2013.2に発刊された「生きる/死ぬ その境界はなかった・死後生命探究40年の結論」 著者:レイモンド・ムーディ、
ポール・ペリーを読み、「臨死共有体験」を知りました。更に詳しく知るために、この「臨死共有体験」の本を読んで
みました。
永遠の別世界をかいま見る 臨死共有体験
レイモンド・ムーディ(著),ポール・ペリー(著),堀 天作 (翻訳)
単行本: 282ページ 出版社: ヒカルランド (2012/5/22)
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ムーディ博士は「臨死体験研究の父」と呼ばれていますが、臨死体験の証言を聞く中で、人の死の際に、
それまで一般的に知られていなかったもう一つの側面があることを発見した。それは、人の臨終の際の
臨死体験が、ときに身近な家族や友人に「分かち合われ」、「共有される」ことがあるということです。
ムーディ博士はその体験を「臨死共有体験」と呼びました。これは死にゆく当人ではなく、そのかたわら
に付き添うなどしている健康な人々の体験です。つまり、死ななくてもできる臨死体験なのです。
●臨死共有体験の事例がたくさん載っていますが、臨死共有体験に特徴的な7つの要素を挙げてみます。
1.空間が変容して見える。
2.神秘的な光を見る。
3.音楽が聞こえる。
4.対外離脱する。
5.人生回帰を共にする。
6.天的な領域に入る。
7.遺体から上がる煙のようなものを見る。
これらは、一人がすべての要素を経験する場合は少なく、多くの場合、これらのうちの幾つかを経験する
ようです。(一つだけの場合もある)
●臨死体験は酸素欠乏状態に置かれた脳内の幻覚だとか、恐れから来るものだとか、麻酔薬の過剰投与、
もしくは不充分な投与によるものだなどの説明がある。彼らはそう言うことによって、臨死体験は死後の
生命を確証するものだという考えを、否定した。しかし、彼らは、その同じ論法を、臨死共有体験に対して
は使うことができない。
●古代エジプトの宗教は、復活信仰を持つ最初の「系統だった宗教」と一般的には考えられている。それゆ
え、なぜ彼らがそのように死後の世界を信じるようになったか、という疑問がわいてくる。
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臨死体験や臨死共有体験が語られて生まれたのではないか?→オシリス崇拝へ
秘教的書物「ペル・エム・フル」→「エジプトの死者の書」を読むと、あたかも臨死体験、臨死共有体験の
証言集を読んでいるかのようである。
●臨死共有体験をしやすい環境や状況
・臨死共有体験者のほとんどは、たいてい逝去者に対する深い愛情や同情を持っていた。
・体験者は、愛する者が死ぬことを、心で受け止め、受け容れていた。
●共感する神経細胞・ミラー・ニューロンとの関わり
ミラー・ニューロンとは、他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように、「鏡」の
ような反応をすることから名付けられた神経細胞。
もしかすると、臨死共有体験を可能にしているのも、ミラー・ニューロンかもしれない。この共感する神経
細胞により、死にゆく者の思いや感情が共感する人に結びつけられ、そこに鏡のように映し出されるの
かもしれない。
●人間の脳の右側頭葉は「神秘に通じる回路板」なのか
人間の脳には遠隔精神感応(テレパシー)の能力が備わっているのではないか?神秘的な事象が起こった
とき、脳のこの領域はある種の刺激を受ける。この領域が臨死体験中にいかに刺激されているかを
見るのは、簡単である。そのときその領域は、異常に活発な反応を示す。臨死共有体験中も同じ領域が
(ミラー・ニューロンの作用により)刺激され、「神秘に通じる回路板」が活性化した結果なのかもしれない。
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上記の要約の他に、よく知る人の身の上に何か悪いことが起こった時に、離れた場所でそれを知覚したり、
いわゆる「虫の知らせ」が働いたりするのも、「遠隔精神感応」であるでしょうし、その知人が亡くなった場合
の知覚は、「臨死共有体験」の一部となるのでしょう。
私の知り合いにも、愛する人が突然亡くなったその時刻に、頭の表皮が異常なほどに痛む体験をしています。
また、別の知り合いは、義父が亡くなった時刻に、お風呂の脱衣所でグワンと空間が変容した体験をしています。
このような話はあちこちで聴きますね。
大昔は、病院なども無く、人の死に接する機会も多かったでしょうから、当然、、「臨死共有体験」をするケース
も多かったと思われます。それらの体験が、その土地土地や各々の文化圏で育まれ、霊的儀式や宗教が生まれ
たとも考えられますね。
ムーディ博士は、この本で最後に「・・・こうした体験が、死後生命の証明ではないというなら、それは一体何だと
いうのか?」という、言葉で締めくくっています。
ところで話は代わりますが、この本に出てきた「ミラー・ニューロン」ですが、このようにも書かれています。
ミラー・ニューロンにより、幸福、肥満、喫煙、飲酒、さらには自殺行動に至るまで、個人というよりは
社会全体の共通の特徴となる場合がある。私たちは職場の同僚とのつきあいや、遊び仲間に影響され
やすいが、それもこの共感の神経細胞があるためである。
これは、まさに「エレメンタル」ですね。それもどちらかというと「欲望→思考型(欲望的思考)エレメンタル」。
この場合では、「思考→欲望型(思考型欲望)エレメンタル」では、確固とした意志が基盤になりますから、
共感は起き難いように思いますね。