今年の「新春浅草歌舞伎」の演目のうち、社会学的・法学的分析の対象となるのは、「絵本太功記」尼ヶ崎閑居の場のみである。
この演目が、第1部・第2部でキャストを変えて上演される。
あらすじがやや複雑なのだが、上の動画の前半は分かりやすいし、以下で引用された解説も分かりやすい。
「ここは武智光秀のお母さん・皐月(さつき)が滞在しているおうちです。
皐月は息子が自らの主君を討ったことを良く思わず、あの子はなんで謀反なんてしたのよ…と引きこもっていました(。´_`。)
光秀の妻の操はそんなお姑さんの様子が心配ですヽ(´o`;
息子の十次郎とその許嫁の初菊の若者二人を連れて尼ケ崎へとやってきました。
光秀の息子・十次郎というのはとてもできた子で、お父さんが春永を討ったため、春永の敵を討とうとする真柴久吉(秀吉のことです)とお父さんとの合戦は近いぞ…(・・;)と見越しており、初陣に出ることをおばあちゃんに許してもらおう、討死も覚悟だ、とお別れの準備をして正装でやってきました。
光秀は謀反人であっても、大切なお父さんであります。どうにか助けたいのです。許嫁の初菊に対しても、もうすぐ死んでしまうから別の家にお嫁に行ってほしい…と思いやる優しさを持っています。
しかし初菊ちゃんは、大好きな十次郎にどうしても初陣に出ないでもらいたい一心。゚゚(´□`。)°゚。どうにかして止めたいとがんばりますが、十次郎の決心はかたく「鎧を用意してくれ」と告げて奥へと入ってしまいます。この場面の二人の切ないやりとりや重い鎧を一生懸命運ぶ姿などが見どころです(人’v`*)
支度を終えた十次郎の鎧姿はそれはそれは立派なものでした。
皐月は初陣と祝言のふたつのお祝いを兼ねて、十次郎と初菊に盃を交わさせることにします。皐月は十次郎が死を覚悟していることを察していたため、別れの盃のつもりで交わさせてあげたのです。結婚、即お別れという非常にハードな運命を強いられてしまった初菊ちゃんにとっては、これが最初で最後なんて…と嘆くほかない辛すぎる結婚式でありました(/_;)」
まず押さえるべきポイントは、武智家において、光秀は当主としての資格を事実上喪失しており、母・皐月がイエの当主をいわば代行しているところである。
その理由は、言うまでもなく、光秀が主君を弑したという、武家における最大の罪を犯したからである。
そこで皐月は、武智家の当主代行として、孫の十次郎の出陣を祝うと同時に、初菊と盃を交わさせる(これを主宰したのが光秀でないことが重要である。)。
皐月の考えは、
「『主殺し』の子である十次郎にとって、『恥』を雪ぐ唯一の手段は、戦場で討死にすることである」
というものだろう。
つまり、この時点で十次郎が疑似ポトラッチ(武智家の罪・恥の代償として命を捧げること)を行うことは予定されていたわけである。
だが、これだけでは済まなかった。
(前掲より続く)
「光秀は竹藪から一本の竹を抜き、先を尖らせた竹槍を作って準備万端。
家のようすを窺うと障子の奥になにやら人の気配が!
これこそ久吉だと確信した光秀は、えいやっ!と槍でひと突きにします。
ウゥ~!!と痛そうな叫び声。
よろめきながら現れたのは久吉ではなく、なんと母の皐月でありました…!なんてことだ…と愕然とする光秀のところへ駆けつけた操と初菊。これは一体どういうわけなのかとおろおろうろたえてしまいますヽ(´o`;
そんな状況にあっても気丈な皐月は、「私は主君を殺した光秀の母なのだから、このような動物同然の報いを受けるのは当然だ」ときっぱり言い放つのでした。息子にもう、これ以上の罪を犯してほしくはないのです…。」
光秀は、久吉と間違えて、自分の母・皐月を槍で突いてしまったのである。
しかも、この後皐月は、
「なげくまい、なげくまい。主君を害せしゆえ、かくなりはつるは理の当然。・・・(光秀は)我がイエを逆賊非道の名に汚したる、譬え方なき人非人。・・・主に背かず親に仕え、仁義忠孝の道に立たば・・・」(聴き取り書きなので不正確かもしれない)
と述べて、槍を手に取り自らを刺す。
我が子・光秀は、「道」に背き、主君を殺害した。
これによって、武智のイエは「逆賊非道」の名に汚れることとなった。
さらに皐月は、人非人・光秀の母であるという理由で、我が子に殺されることとなった。
つまり、光秀は仁義忠孝の「道」を完全に踏み外してしまうのだが、皐月からすればこれは「理」の当然である。
武士にとってのイエ原理は仁義忠孝という「道」を内包しており、これに背けば、「理」が発動して、イエの名は汚れ、ついには滅びてしまうというのである。
・・・この一連の出来事の継起が、「因果応報(ここでは悪因・悪果)の法則」に則っていることは明らかだろう。