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Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

歌、唄、詩(5)

2025年04月07日 06時30分00秒 | Weblog
シューマン:
 《6つの歌》op.107
  第1曲 心の痛み
  第2曲 窓ガラス
  第3曲 庭師
  第4曲 紡ぎ女
  第5曲 森で
  第6曲 夕べの歌
 《ケルナーによる12の詩》 op.35
  第1曲 あらしの夜の楽しみ
  第2曲 愛の喜びよ、消し去れ
  第3曲 旅の歌
  第4曲 新緑
  第5曲 森へのあこがれ
  第6曲 亡き友の杯に
  第7曲 さすらい
  第8曲 ひそやかな愛
  第9曲 問い
  第10曲 ひそやかな涙
  第11曲 だれがお前をそんなに悩ますのだ
  第12曲 古いリュート
 《3つの詩》 op.119
  第1曲 小屋
  第2曲 戒め
  第3曲 花婿と白樺
 《ガイベルによる3つの詩》 op.30
  第1曲 魔法の角笛を持つ少年
  第2曲 小姓
  第3曲 ヒダルゴ(スペインの郷土)
 《6つの歌》 op.89
  第1曲 夕べの空は荒れて
  第2曲 秘密の失踪
  第3曲 秋の歌
  第4曲 森との別れ
  第5曲 戸外へ
  第6曲 ばらよ、ばらよ
 《リートと歌 第4集》 op.96
  第1曲 夜の歌
  第2曲 松雪草
  第3曲 あなたの声
  第4曲 うたわれて
  第5曲 天と地
[ アンコール曲 ]
シューマン:
 歌曲集《ミルテの花》op.25より
  第17曲 ヴェネツィアの歌1
  第25曲 東方のバラより
 ロマンスとバラード集第2集 op.49より 第1曲 二人の擲弾兵

 結局、リートにおいては「詩」とは何かが真っ先に問題となるのなのだが、これまたトーマス・マンになぞらえて言えば、「感情になり切り得る思想」かつ「思想になり切りうる感情」、つまり、Gefühl と Gedanke を媒介するものこそが「詩」だということになるだろう。
 なので、少年時代のトニオ・クレーゲル(マンの分身)は、やたらと詩をつくったのである。
 ちなみに、マンは Gefühl という語を用いるけれども、脳科学の観点からは、やはり「エモーション」(情動)と読み替えるのが良いだろうフィジカリティとエモーション)。
 つまり、最初の図式で言うと、シニフィエとシニフィアンを媒介するのが(文字としての)「詩」ということになる。
 それでは、「歌」はどう位置付けるべきか?
 「歌」は、(文字としての)「詩」を、再び「エモーション」(情動)としての「声」として表現したものということになりそうだ。
 詩人が用意した食材(あるいはレシピ?)を、作曲家が料理に仕上げるわけである。
 ・・・と言う風に考えて来ると、あくまで私見だが、第二夜の曲目は総体として物足りない。
 ゲーテ(夜の歌)を除けば、(失礼ながら)今ひとつ傑作とまでは言いにくい詩ばかりだからである。
 それにしても、ゲルハーヘルさんの「絶唱」は迫力満点。
 彼に「怒り」や「嘆き」さらに「呪い」を表現させたら天下一だろう。
 というわけで、Mahler: Orchestral Songs を購入した



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