Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

こどもと家庭(6)

2022年10月18日 06時30分23秒 | Weblog
 さらなる行政の労力浪費や税金の無駄遣いはやめて欲しいところだが、私などは、本質的なところで、この集団の思考にある種の”気味の悪さ”を感じてしまう。
 まず、「こどもをあたかも道具のようにコントロールし、意のままにデザインしたい」という思考が挙げられる。
 これが宗教と結びつくとどうなるかは、アメリカの問題状況や日本における「二世」の状況を見れば分かるだろう。
 また、「こどもを持たない/持てない成人を『親』よりも劣位に置く」、あるいは「親を持たないこどもを『家庭』のあるこどもよりも劣位に置く」という思考も根底にあるだろう。
 これは、端的な差別であり、ただでさえ「新階級社会」という問題を抱える日本に、新たな階級対立を持ち込みかねないものである。
 すなわち、この集団からは、「親」及び親のいる「家庭」の優位性を確保するとともに、そうでない人たちを「こども」と同じ階層に括りこんで劣位に置いてしまおうという思考が透けて見えるのである。
 そして、これをつき進めると、「親」と(「非親」成人を含む)「こども」との階級分化が生じることになるだろう。
 そのうち、こういうスローガンが叫ばれる時代がやって来るかもしれない。

 「万国の”こども”たち、団結せよ!

 ところで、そもそも「こども」にとって「親」は本当に必須のものだろうか?
 この疑問については、例えば「タイピー日記」を視てみるとよいと思う。
 そこでは、親からはぐれた/親のいない、中には殺処分寸前だった犬と猫が、のびのびと個性豊かに暮らしている姿を見ることが出来る。
 彼ら/彼女らを支えているのは、タイピーさんをはじめとする周囲の人間や(仲間である)動物たちの愛情と友情である。
 少なくとも、そこに階級分化を煽るような差別的な発想は微塵もない(だから、犬と猫あるいは猫同士が互いにじゃれ合うわけである。)。
 もちろん、タイピーさんが「親学」を修めた有資格者であるということもない(はず)。
 「親はなくとも子は育つ」というのは、人間に限らず動物の世界にも当てはまるようだ。

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