ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

赤いお鼻の トナカイさんは♪

2008-12-28 08:04:26 | Weblog
 サンタクロースの原型となったのが、セント・ニコラウス。もともとはローマ正教の聖者で、トルコのあたりで活躍していた人のようです。セント・ニコラウスのお祭りはキリストの生誕ではなく冬至を祝うものでした。二コラウスが貧しい子どもの靴下にコインをめぐんだという逸話がサンタクロースのプレゼントの起源だとか。二コラウスは、悪い子どもを罰するなまはげのようなところもあって、子どもミをンチにして食べたという、恐ろしい伝説も語られています。

 セント・二コラウス祭のもう一つの特徴は、その夜には若者たちの性的放縦が許されていたことです。靴や靴下といった小道具が登場することも、それと無関係ではありません。フロイトを持ち出すまでもなく、これらは性的なもののメタファーであるからです。

 中世のヨーロッパでセント・二コラウス祭は共同体の祭りでした。それが、子ども中心の近代家族が築かれた17世紀のオランダで、家族の祭りに変貌を遂げます。そしてオランダ移民とともに海を渡ったクリスマスは、アメリカで商業主義のお祭りへとさらなる変貌を重ねます。日本でも高度経済成長期以降、クリスマスは大衆化していきました。そして80年代以降、日本のクリスマスは若者のお祭りの様相を呈していきます。

 キリスト教信者が全人口の1%しかいない日本で、クリスマスの狂騒が繰り広げられているのは不思議な話です。しかし、若者のお祭りとしてのクリスマスが、セント・ニコラウス祭の精神に忠実なところもあります。それは性的放縦の習慣を受け継いだところです。バブルの時代のイブの夜、東京のシティ・ホテルの部屋は、一年前から予約で一杯でした。ゼミ生たちが当時の若い男の子むけ雑誌の記事を紹介しながら、「彼らは、一夜の快楽を手に入れるためにあらゆる手段を尽くしていたのです」と報告した時、バブル世代に属する教授たちが顔を赤らめて下を向いてしまった場面が印象に残ります。

恋人はサンタクロース♪

2008-12-25 12:44:40 | Weblog
 恒例の合同ゼミが先週末開かれました。加齢ゼミの1つのチームは、クリスマスの研究。「anan」と「cancam」を80年代から分析。彼女たちによれば、クリスマスが女の子雑誌によって「発見」されたのは1983年だったとのこと。まだこの頃は、クリスマスは女の子が男の子に「手作り」の品物をプレゼントするイベントだったようです。バブル突入の85年からは、女の子が男の子に「おねだり」をする日になりました。

 バブルがはじけた92年には女の子雑誌から「おねだり」ということばが姿を消し、4年ほどの「自粛期間」がありますが、96年にはクリスマスの「おねだりカタログ」が復活し、現在までそれは続いています。不況であればせめてクリスマスぐらい豪勢にすごしたいということでしょうか。雑誌や活字メディアの衰退が叫ばれるなかで、女の子のライフスタイルに対して雑誌が大きな影響力をもっていることに驚かされます。

 学生たちは、クリスマスの思い出についてのインタビューを色々な世代の人たちにとっていました。バイト先で知り合った地味で堅実な感じの40代の女性が、「学生時代、サラリーマンのカレシからポンと30万円のバッグをプレゼントしてもらったわ」と話していたのでびっくりしたといっていた学生がいました。バブルとはすごいものだと思ったようです。

 クリスマスが華やかなイベントになればなるほど、カレシカノジョがいない若い未婚の男女にとってはつらい季節となります。アルバイト先の休憩室で同僚の女性にインタビューをしていた学生は、そばに座っていた30前の男性から「俺にはクリスマスにいい思い出は一つもないんだ!そんな話しはやめろ!!」と怒鳴られたとか。34歳フリーター男性の「昔はクリスマスも色々なことがあって楽しかった。この歳でこの境涯では、クリスマスなど来ないでくれと思う」ということばには胸が痛みました。

ありがとう さようなら 先生♪

2008-12-22 06:46:03 | Weblog
 太郎は来春、小学校を卒業します。卒業文集を作る季節になりました。太郎の作文に、先生からなかなかOKが出ません。最初書いていたのは詩のようなもの。「木に登って落ちてみる 川にはまって流された 天上天下唯我独尊 尊王攘夷佐幕論」。漱石のようでもあり、あいだみつおのようでもあります。友だちとのトラブルの多い6年間だった。自分は人とうまく折り合っていけないたちなのだろうかという感慨も述べられています。しかし先生はだめだという。ネガティブなトーンがよくないのでしょか。

 次に太郎が書いたのは「貧しい人がいて、セレブがいる世の中はおかしいから変えていかなければならない」といった内容の作文。太郎はまじめにそう考えたのでしょう。しかし、先生は「社会や個人の批判はだめ。未来に明るい希望を語って」と書き直しを命じます。社会の批判はしても個人の批判をしたわけではないのに。

 「88年後、ぼくとまさと君は100歳の誕生日を祝っていた」と書いたはよいが、話しが後につながりません。次に太郎が書いたのは自分のケガの歴史。ピーラーで指を切った、転んで手の骨を折った。いくつもいくつもけがの話しが出てきます。しかしこれもだめだという。「その時、血がドバーと吹き出た」という表現がグロいという。

 修学旅行で日光に行って東照宮を観てからから歴史に興味をもち、ぼくは歴史オタクになった。大人になったら歴史学者か、宮内庁で古文書の補修をする人になりたい。この作文でようやくOKがでました。絶対に凡庸で無難な文章を書かせてやる、という担任の執念のようなものを感じました。太郎の学年は、3年生から3年間、どこかのクラスが学級崩壊を起こしていました。太郎も吹奏楽以外によい思い出がないし大人には不信感をもったと言います。「小学校は楽しかったです」とだけは絶対に書きたくなかったのでしょう。その気持ちは分かります。

15歳のハローワーク(東大教授も楽じゃない・声に出して読みたい傑作選69)

2008-12-19 07:42:07 | Weblog
骨子の中学校の「総合的学習」の発表会というのに行ってきました。この前やった、「職業体験」の発表です。各クラスの代表が出てきて話すのですが、いやどれも堂々たる出来栄えで驚きました。骨子は某全国紙の横浜総局というところに行った時の話をしました。仲良しのリコちゃんが行ったのは東京大学工学部!「大学教授の一日」と名づけた発表は秀逸でした。

 「D教授は朝の7時には研究室に入ります。夕方の6時に家に帰ります。教授のなかには昼頃出勤して、深夜に帰る人もいるそうです。出勤時間は自由にきめることができます。教授は朝早く来て、自分の論文を書いて、その後は大学の仕事をするとおっしゃっていました。

 この研究室で一年にどれぐらいの研究費が使われていると思いますか。1億2千万円!教授はいまは実験をしないそうです。研究費を請求する書類を書くことに毎日追われているそうです。最低でも10ページにびっしり字がうまった書類をつくらなければならない。これは大変なプレッシャーだと言っておられました。

 研究はすべて英語で発表するそうです。『英語が書いたり話したりできない奴はダメだ』と教授はくりかえしおっしゃっていました。私も、英語を頑張りたいなあと思いました。これで終わります」。

 リコちゃん、すごいことを聞き出してきましたね。理科系の場合、教授になると研究(実験)はしないみたいです。英語を自在に操れるのはたしかにかっこいい。しかし1億ちょっとの売り上げ(?)で、日々金策に追われている。これってなんだか、あまりうまくいってない小さな会社の社長さんみたいではありませんか。大学教授とは、夢のある仕事だとリコちゃんは思ったのでしょうか。心配になります。

勉強なさい 勉強なさい 大人は子どもに命令するよ♪

2008-12-16 09:47:32 | Weblog
 理数の学力の国際比較調査で、日本の成績に改善がみられたという報道がありました。「学力低下」と騒がれた前回03年のテストでさえ、世界のベスト10に入っている。1番にならないと許してもらえないのでしょうか。それでは日本の子どもがかわいそうすぎます。それにこうした報道の際には、「日本はOECD諸国中、教育予算のGDP比率が最低レベル」というコメントを付してもらいたいたいと思います。

 子どもの学力を国力と結びつけて考える発想が日本ではとても強い。だから、ゆとり教育がヒステリックな批判の的になったのではないでしょうか。「資源の乏しい日本は、優れた工業製品の輸出によって豊かな国になることができた。それを可能にしたのは日本人の秀でた理数系の学力であり、授業時間の大幅削減など国を滅ぼす愚行である」。学力低下論者の主張はこのように要約することができるでしょう。

 このニュースと同時にトヨタやキャンノンなど、日本の代表的企業での期間工の解雇が報じられています。正社員の削減を予定している超一流企業も少なくないようです。世界貿易の収縮によって、日本の輸出産業が壊滅的な痛手を受けていることのあらわれでしょう。「工業立国」・「輸出立国」という方向性がもはや成り立たなくなってしまった。そのなかで、高度経済成長期と同じような学力観が語られている現状に違和感を禁じえません。どんなに日本人が高い理数系の学力と技術力とを備えていて、優れた工業製品を造りだしたとしても、それを買ってくれる相手がいなければどうしようもないのですから。

 どうした教育を行うのか。子どもたちにどんな「学力」を求めるのか。これは国の進む方向性と切り離して考えることのできない問題です。「工業立国」・「貿易立国」は完全に過去のものとなりました。それに変わる「この国の形」を構想できない限り、教育論議の迷走が終わることはないでしょう。

防人の歌

2008-12-13 08:12:19 | Weblog
 4年前のことです。甥っ子のうなぎ君が防衛大学に入ったので、大学祭をみにいきました。学年の代表が旗をもって行進します。その時、出身高校が紹介されます。それを聞いて驚きました。リベラルな都会の進学校や、さるやんごとなき方の母校までありました。

 うなぎ君の話では、防衛大は給料が出て将来も保証されるのでここに進学したという若者が圧倒的多数だということでした。女子のばあい、男女差別の少ない、有望なキャリアという期待もあるようです。右翼的観念の持ち主や国粋主義者はいるかと聞くと、そんなことは考えたこともない人たちがほとんどではないかといっていました。

 昔は防衛大学に多く生徒を送る高校といえば、九州の剣道や剣道でも有名な、文武両道の学校と相場がきまっていました。「愛国青年」というとばでくくられる若者が多くを占めていたはずです。ところがいまの防大生の政治意識を尋ねれば、「そんなことは考えたこともない」という答えが返ってくる。

 自衛隊は軍隊です。その幹部を養成する学校の若者たちのなかに、国家意識が希薄になっている。これは、よいことのように思えます。しかし、軍人の職務は戦争の遂行です。死と背中合わせの仕事です。自分のなかに「身捨つるほどの」国家に対する大義をもつことなく、続けていくことのできる安易な仕事だとは思えません。

 自衛隊が政治意識という面からは、烏合の衆の集団になってしまった。しかも自衛隊に大きな緊張感を与えてきたソ連という仮想敵もいまはありません。田母神問題で表面化した、自衛隊の過剰で偏向した「政治教育」も、冷戦終結によってもたらされた思想的空洞と幹部自衛官のサラリーマン化に対する上層部の焦燥が生み出したもののようにもみえます。現在の自衛隊の迷走は、大義なき国に軍隊が維持できるのかという問いを投げかけているように思えてなりません。


カラマーゾフの兄弟(『罪と罰』も楽しみだ・声に出して読みたい傑作選68)

2008-12-10 09:10:05 | Weblog
 世評高き亀山郁夫さんの訳で『カラマーゾフの兄弟』を読んだ。いや実に面白いし分かりやすい。若い人が読んでも親しみがもてるのではないか。ベストセラーになるのも道理である。

 前回米川正夫さんの訳でこの小説を読んだのは中学生か高校生の頃だった。当時は、末弟のアリョーシャでさえ、ぼくにとってはお兄さんだった。ところがいまではアリョーシャは自分の子どもぐらいの年齢。父親のフヨードルは55歳だという。はるかにこちらに近づいてしまった。光陰は矢の如し。

 昔読んだ時には酒乱で好色家のフヨードルなど嫌悪の対象でしかなかった。しかし今回は共感する部分が多々あった。フヨードルが金なら一文でもおしいと演説する場面がある。自分は薄汚くだらだらと生きながらえたい。そのためには金がいるのだ、と。これは多くの中高年の本音のように思う。 フヨードルは「老醜」を象徴する人物だと思う。だからアリョーシャ以外の彼の子どもたちは、父親を憎んでいた。しかし歳をとればとるほど、男の子は父親に似てくるものだ。いまぼくはそれを痛感している。

 前に読んだ時、ぼくにはフヨードルの「好色」の本質がよく分からなかった。自分が子どもだったせいもあるし、米川正夫先生の訳が、すこしお上品に描写をぼかしたところもあったのだと思う。しかし今回は女の身体の線がどうのこうのと、フヨードルが語っている。自分は女の身体だけを、いやその一部だけを愛することができると赤裸々に語っているのである。なるほど、これは筋金入りのエロ親父だと納得できた。

 妙に心にとまった部分があった。自分はいい女だけが好きなのではない。大抵の女は自分にとっていい女なのだ、とフヨードルはいう。ある意味フヨードルは博愛主義者で、その血が末弟のアリョーシャに受継がれたのだろう。カラマーゾフ的なものの本質が何なのか、少しわかったような気がした。大変な名訳だ。みなさんにも是非読んでいただきたい。

「生きづらい」時代の若者たち

2008-12-07 08:43:37 | Weblog
最近うつやパニック障害だと名乗る学生が増えてきました。そのこと自体は、心の病気を隠さなくなったという点では、よい面もあります。しかし気になるのは、そうした病気を抱えながら、大学に出て来ることや4年で卒業することにこだわる学生が多くなってきていることです。

 身体でも心でも、病気になれば仕事や学校を休んで静養するのが一番の薬のはず。ところが大学を4年で卒業しなければ、人生の落伍者になるという強迫観念に、学生たちだけではなく親もまた囚われています。いや、親の方が出席や卒業にこだわる傾向が強い。まあ、「学校のことはいいから、ゆっくり休みなさい」というような親であれば、子どもの症状がひどくなることもないでしょうし、そもそも鬱病などにはなりにくいでしょう。

 子どもを追い詰める親には、教師、公務員、一流企業のサラリーマン等々、硬い職業に就く、エリートと呼ばれる人たちが多いように思います。こうした親たちはどうしても子どもに多くのものを求めてしまうからです。「休むこと」を「怠ける」ことだと考えるのもこうした人たちの特徴です。

しかし「新規学卒一括採用」という不条理な慣行が支配している現状では、「4年で卒業しなければ…」という焦燥も、杞憂や妄想だと片付けることはできません。一度躓くとやり直しがきかない。硬直的な日本社会のあり方も、若者たちを精神的に追い詰めている要因の一つにあげられます。

 ぼくの大学にも学生相談室があります。専任のカウンセラーは、若くてやさしい女性の先生で、大変評判のよい人です。そこに行けば症状が軽快するばあいが多い。しかし、どこの大学でも学生たちのなかには、カウンセラーに頼ることに強い抵抗感があるようです。若者たちは、「自立」や「自己責任」ということばに脅され続けて育ってきています。「20にもなって人に頼るなんて情けない」。そうした周囲の冷たい視線を、若者たちは感じてしまうのでしょう。


ノーベル賞の光と影(日本海新聞コラム「潮流」・11月29日掲載分)

2008-12-04 07:33:59 | Weblog
 4人の日本人研究者が、ノーベル賞を受賞しました。日本のメディアは、最近では珍しい明るいニュースとして大きくこれを報じていました。日本人はオリンピック好きでノーベル賞好き。前者は東京オリンピックの、そして後者は湯川秀樹博士の日本人として初のノーベル物理学賞受賞に、その起源を求めることができます。戦後の成功物語の記憶を、まだ引きずっているのでしょうか。これは東アジアに共通の傾向でノーベル賞を、オリンピックの金メダルと同様、国威の発揚と結びつける発想は中国と韓国にも根強くあります。

  しかし、ノーベル賞受賞をオリンピックの金メダルと同じように騒ぎたてるのは、いかがなものでしょうか。科学的発見は人類の共有財産です。世界的に評価される業績を同胞があげたことは誇らしいことですが、4人の先生方の業績も海外の先人の達成の上に成し遂げられたもの。日本人だけの手柄にすることはできません。受賞の対象となった研究が、日本国籍をもっていた時代になされたとはいってもアメリカ在住でアメリカ国籍を取得している南部陽一郎さん(物理学賞)を、「日本人」にカウントすることには疑問を覚えます。

  アルフレッド・ノーベルは、自らの発明が戦争に用いられ、人類に災厄をもたらしたことへの贖罪の意味で、この賞を創ったのです。莫大な賞金と科学者としての名声をもたらすノーベル賞は、科学者間の競争を激化させ、新しい発明発見を生み出す上での大きな刺激となりました。ノーベル賞の制定後に生み出された発明のなかには、もちろん人類の福利を大きく前進させたものもあります。しかしそのなかには原子爆弾も含まれているのです。ノーベル賞が、ダイナマイト以上に人類に災厄をもたらした部分をなしとはしません。

 アメリカで深刻な金融危機が発生しました。魔術のようにお金を殖やす金融工学の過剰な発達が、その元凶の一つに名指しされています。ノーベルの死から72年もたってから創設された経済学賞の受賞者のなかには、金融工学の専門家が多数含まれています。ノーベルの遺志は、平和と文化への人類の福利への貢献です。金融工学の発達は、それにかなうのでしょうか。ノーベルは、自分が莫大なお金を稼いだことに罪の意識を抱いていました。お金を殖やす魔術を発明した人を讃えることを、彼は絶対によしとはしなかったでしょう。

  ノーベル賞の負の部分に目をつむり、ただよきものとして語る風潮に私は違和感を覚えています。しかし6年前、博士でも教授でもない普通の企業に勤める研究者だった田中耕一さんが化学賞を受賞した時には心底驚きました。日本で最高位の勲章や名誉ある表彰を、何の肩書きもない人が獲ることは考えることもできないからです。肩書きにとらわれることなく、ただ研究の質だけを選考の対象にしている姿勢が浮かびあがってきます。そのことが、ノーベル賞を長く世界でもっとも権威ある賞としてきた理由であると私は考えます。

母は強し 女も強し

2008-12-01 07:23:59 | Weblog
「婚活」ということばが流行っています。「就活」をもじったことば。学生が会社を色々値踏みして、自分が就職する会社を決めるように、いまの男女も様々な望みを掲げて配偶者を選んでいる状況をあらわしたことばです。世も末だと思いました。

「就活」がうまくいかず、非正規雇用に就く学生が大勢います。それと同じ理屈だとすると、「婚活」から落ちこぼれて結婚できない若者が出てくることになります。男も女も、結婚相手に高いものを求めていることも非婚晩婚化の大きな要因ではないのでしょうか。「割れ鍋に閉じ蓋」。「一人口では食えぬが二人口なら食える」。そんなことばは、いつから死語になってしまったのか。

「婚活」をしているのは、「就活」をしてきた都市の高学歴層でしょう。それとはまったく異質な世界があります。「社会調査実習」という授業では、中学時代の同級生でヤンママになった子にインタビューをするという学生が、しばしば出てきます。何人もケースは出てきましたが、ヤンママになった子は、ほとんど例外なく次のような歩みをたどっています。

1.中学時代はかなりの問題児。「こわい系」。
2.高校には行くものの中退する。
3.高校在学中か退学後に知り合ったカレシと「でき婚」。
4.結婚後は自分またはだんなの両親と同居。親に子どもの面倒をみてもらいバイトに出る。
5.お母さんになると女の子はものすごくまじめになって、しっかりしてくる。「母は強し」。
6.しかし、男の方はまだ遊びたい盛り。子どもができても、ふらふらしている。夫婦仲は当然悪くなる。別れたカップルも珍しくない。

 こうしたライフスタイルを、三浦展氏ならば「下流」とそしることでしょう。しかしヤンママたちは健気に生きている。ヤンママとその子どもたちが、幸せに生きていける社会になってほしいものです。「少子化」が問題だというなら、彼女たちの生き方は賞賛されてよいはずですが。