これから卒論のシーズンに入っていく。毎年「女おたく」とか「腐女子」とか称する人たちの論文を何本も読まされる。うんざりだ。「女おたく」と称している人たちは、ただ男性同性愛を主題としたマンガや小説を書くのが趣味というだけで、別におかしなところはない。日常の生活態度もきちんとしていて、ちゃんとした会社に就職していく人たちである。たぶん将来的には結婚もするだろう。80年代の「原おたく」を知るものとしては、それで一体何のおたくだといいたくもなる。
80年代にぼくは、あるデザイン学校でアルバイトをしていた。社会学やマスコミの授業はそういう学校でも置かれていたのだ。その学校にはアニメ科のクラスがあった。なんというか、おたくの理念型のような連中がうじゃうじゃいた。私語一つない静かなクラスだったが、ぼくの話を聞いているわけではなかった。みんな片時も休まずにマンガの落書きをしていたのである。
おたくというと男の子のイメージだが、このクラスの半数以上は女子生徒だったと記憶している。正真正銘のおたく、という感じだった。わが大学の自称「女おたく」どもとは比べるべくもない。マンガを読んでいないと、描いていないと死んでしまう(マンガカツオ?)というタイプの若者たちの集団だった。アニメ科の先生に聞くと、日本のアニメーターの世界は驚くほどの低賃金だが、ああいう若者たちがいるから低賃金構造が維持できているのだといっていた。
デザイン学校のクラスの比較的社会性があり、陽気な感じの女子生徒が、マンガ同人誌の祭典、コミケットに誘ってくれた。80年代半ば。コミケット黎明期の、まだ晴海でやっていた頃で、くそ暑いのには閉口した。「センセー!」という声に振り向くと、「うる星やつら」のラムちゃんの格好をした彼女がいた。 他にも色々な奇妙な着ぐるみに身を包んだ男女が跳梁跋扈していた。まだ「コスプレ」ということばをぼくは知らなかった。暑さにやられて頭がおかしくなったのかと思った。幻影をみているに違いないと思ったのだ。
80年代にぼくは、あるデザイン学校でアルバイトをしていた。社会学やマスコミの授業はそういう学校でも置かれていたのだ。その学校にはアニメ科のクラスがあった。なんというか、おたくの理念型のような連中がうじゃうじゃいた。私語一つない静かなクラスだったが、ぼくの話を聞いているわけではなかった。みんな片時も休まずにマンガの落書きをしていたのである。
おたくというと男の子のイメージだが、このクラスの半数以上は女子生徒だったと記憶している。正真正銘のおたく、という感じだった。わが大学の自称「女おたく」どもとは比べるべくもない。マンガを読んでいないと、描いていないと死んでしまう(マンガカツオ?)というタイプの若者たちの集団だった。アニメ科の先生に聞くと、日本のアニメーターの世界は驚くほどの低賃金だが、ああいう若者たちがいるから低賃金構造が維持できているのだといっていた。
デザイン学校のクラスの比較的社会性があり、陽気な感じの女子生徒が、マンガ同人誌の祭典、コミケットに誘ってくれた。80年代半ば。コミケット黎明期の、まだ晴海でやっていた頃で、くそ暑いのには閉口した。「センセー!」という声に振り向くと、「うる星やつら」のラムちゃんの格好をした彼女がいた。 他にも色々な奇妙な着ぐるみに身を包んだ男女が跳梁跋扈していた。まだ「コスプレ」ということばをぼくは知らなかった。暑さにやられて頭がおかしくなったのかと思った。幻影をみているに違いないと思ったのだ。