ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

ヤンキー先生とヘーゲル(予言的中!声に出して読みたい傑作選30)

2007-06-30 07:10:24 | Weblog
先週のことである。昼前のNHKテレビをみるともなくみていたら、ヤンキー先生こと義家弘介氏が出ていた。彼のことばに驚いた。大人に反逆して高校を中退した16歳の夏。乱読に明け暮れる日々のなかでヘーゲルの『精神現象学』を読んだことが彼の人生の転機になったという。肯定と否定の弁証法のなかから論理が発展するというヘーゲルのことばに目がさめたのだ、と。

 それまでの自分は親・学校・大人を否定し続けて生きてきた。だから人生に行き詰ってしまった。否定ばかりで肯定のない人生はだめだ。そう思いたった彼は、自分の人生をやり直していく。北海道余市市の高校中退者を集めた高校に入学し、その後大学に進学。自らもその高校の教師になり、本を出してメディアの寵児になった。そしていまや、30代の若さで横浜市の教育委員だ。

 ヤンキー先生。意外に学があるものだ。たしかに書いたものを読んでも、とてもしっかりとしている。端倪すべからざる知力の持ち主という印象はある。そしてヘーゲルの理解も正しいと思うのだ。ヘーゲルその人もプロイセン国家を肯定することによって、ベルリン大学教授の地位を得たのだから。ヘーゲルのいう肯定とは、偉い人に頭をなでられて出世することに他ならない。

 関曠野さんは、ヘーゲルのキーワードの一つであるアウフヘーベンは「止揚」と訳されているが、「ヨイショ」と訳すのが正しいという。なるほどねえ。大人たちを「ヨイショ」して義家氏は教育委員の「先生」としての地位を若くして手にした。そういえば横浜市の中田市長も偏差値35から有名大学に入ったことを自慢していた。義家氏とは「成り上がり」コンビだ。

 いまの学校や大人が作った社会を安易に肯定してしまってよいのだろうか。否定を貫く生き方のモデルが存在しないことこそが、日本の子どもや若者の大きな不幸なのではないのだろうか。個別的精神から普遍的精神を経て絶対的精神へ。ヤンキーから高校の先生を経て、横浜市教育委員と出世の階段を駆け上ったヤンキー先生が次に目指すのは、国会議員の椅子なのではないか。

リポビタンD

2007-06-27 12:25:39 | Weblog
 ぼくは、割合手で字を書くほうだと思う。講義ノートは必ず手書き。毎年どの科目も新しく作っている。というと熱心なようだが、字が汚すぎて次の年にはもう判読できなくなっているからである。それに論文を書く時には、必ず原稿用紙に下書きをする。骨髄移植の後から、目がものすごく光性の刺激に弱くなっているから、ディスプレイに向かって長考することを避けるためだ。

 万年筆は鳥取万年筆博士のオーダーメード。世界にこの一本しかない。10万円の逸品である。「日本一高い万年筆を使い、世界で一番下手な字を書く社会学者」。それがぼくのアイデンティティである。

 これだけ字を毎日書いているにも関わらず、黒板に向かうとさっぱり漢字が出てこない。加齢の恐ろしさである。ある日、明治の学制公布に反対して、各地で農民の一揆、学校打ちこわしが起こったという話をした。そして「一揆」という字を黒板に書こうとした。ところがというか、案の定というか、出てこないのだ。「一揆」という字が。

 いろいろな字が頭には浮かんでくる。「一期」。うーむたしかに、首謀者は「一期」の終わりだっただろうが。「一気」。なるほどそれをやるには「一気」の勢いが必要だ。「一機」。そう、ことの成否はワンチャンスにかかっている。どれももっともらしいがどれも違う。ぐずぐずしているうちに時間が過ぎていく。さすがにぼくも焦ってきた。

 そのうち「一揆」という漢字がおぼろげに頭に浮かんできた。そうだこれだ、と思って黒板にその字を書いた。すると教室からどよめきが起こった。前の方でいつも聞いてくれている、まじめで賢い学生さんの間から失笑がもれた。改めて黒板をみて愕然とした。「おぼろげな記憶」に頼ったのがいけなかった。黒板にはこう書かれていた。

               農民一発。

象牙の塔

2007-06-25 17:27:59 | Weblog
今年はぼくの大学が「第3者評価」というものを受けます。11月に2日ほど検察官(?ゴーゴリでもあるまいに)が来て、何の予告もなく研究室に立ち入って事情聴取をすると聞いています。その時には逃亡しよう。

 今回は、学部の評価が主ですが、文部科学省は高等教育の重心を学部から大学院に移していて、7年後の再評価では、大学院の評価が中心になると学長はいっていました。臨床心理士養成の大学院はわが大学も盛況ですが、大学院社会学専攻は、いまや在籍者ゼロ。評価のしようもありません。

 たしかに大学院の需要は今後とも増えていくことでしょう。しかしすべての大学のすべての専攻に果たして大学院が必要なのか。アメリカでは大学院大学と学部教育に特化した大学との分業が成立していると聞きます。日本でも大学院教育は、東大、早慶…日大ぐらいまでのレベルの大学が担えばよいのではないか。うちのようなのんきな女子大は学部教育に専心すれば十分だと思います。

 大学院に軸足を置いた大学評価とは、つまりどの大学も東大になるように努力しろということなのだと思います。馬鹿馬鹿しい。バンタム級がヘビー級と同じリングに上って勝負になるわけがありません。しかしこの「硫黄島国家」では、「無理です」といっても通らない。今後無理でもなんでもお上がそういってるんだからそうしろ、という圧力が現場にかかってくることでしょう。

 山梨日日の元論説委員氏のことがますます他人事と思えなくなってきます。結局、その力もないのに「朝日新聞と同じようにしろ」という圧力がかかってきたために、あの悲喜劇が生まれたのではないか。分をわきまえて、山梨県内のことだけ論じていれば、何の問題もなかったはずです。無理をして、せっかくの強みさえ消してしまう。「みんな違ってみんないい」とは、この国では誰も考えていないのです。


アメージンググレース2(地には平和を!・声に出して読みたい傑作選29)

2007-06-23 17:50:05 | Weblog
神奈川県第一の人口をもつ都市は横浜市。第2は川崎市。ここまでは誰でも知っている。では第3の都市はどこか。横須賀か、小田原かと首をひねるむきも多いであろう。正解はわが相模原市である。人口60万人はほぼ鳥取県と同じ。その名のごとく相模の国の野原のなかのこの町には軍都としての歴史がある。子どもの通っている小学校も、昔は陸軍の通信学校だった。米軍が総司令部をこの町に移す構想があって、地元の名望家である市長は、身体を張ってそれに反対している。

私は相模原の公団団地に住んでいる。ここには以前アメリカ軍の病院があった。その跡地に、デパートと公園、そしてこの団地ができた。私の住む相模大野が急速に発展したのは、米軍病院の返還後のことだ。いまではきらびやかな消費都市の様相を呈しているが、ベトナム戦争華やかなりし頃には、連日のように米兵の死体がヘリコプターで運びこまれていたという。エンバーミング(防腐処置と整形)を施して、本国に送り返していたのだ。

 そうした由来をもつこの団地には、「黒人兵の幽霊が出る」という噂が絶えない。戦争で命を落とすのは、常に貧しい人たちだ。ベトナム戦争で死んだのは、圧倒的に黒人であり。団地に住む奥さんで霊感の強い人がいる。彼女は黒人兵に突然、肩をつかまれたといっていた。その他にも幽霊の目撃情報はかずしれず。住民たちは公団にお祓いをするよう申し出た。それに対する公団の回答がふるっている。お祓いは神道の儀式だから、黒人には効かないだろうというのだ。

 なるほど。一理ある。「信教の自由」を持ち出すより説得力があるような気もする。それでは黒人霊歌でもみなで歌えばよいのだろうか。ウイシャル・オーバーカムとか、アメージンググレースとか…。しかし下手に歌うと、鎮魂どころか幽霊が暴れだすのではないかと、心配になる。

かつお

2007-06-20 10:37:15 | Weblog
 去年から法政・日大等の大学との合同ゼミに参加している。12月に発表会があるのだが、今月は学生たちが相互にゼミを訪問する月間。この前、他大の男子学生がぼくのゼミにたくさんやってきた。いつも女子学生ばかりを相手にしている身にとっては、やはり違和感がある。共学の大学の女子学生は、みんなさばさばとして感じがよい。能力的にも男子より高いと思うのだが、発表会で報告をしきるのはきまって男子学生である。

 長い間やっているとゼミもマンネリになる。その意味でこの合同ゼミは、ぼくにとっても学生たちにとっても新鮮な刺激を与えてくれる。同じゼミといっても大学によって教員によって、進め方に大きな違いがあるので、学生たちもそのことには驚いていた。ぼくはかなりゼミの時間にしゃべる方だ。しかし他のゼミのなかには、自分はほとんど発言しないで学生たちの自由な討議にすべて委ねている先生がいる。議論がおかしな方向に進んだ時だけ、先生が介入してくるということだ。

 そちらのやり方の方が学生の力がつくのではないかとも思う。しかしいまの学生さんの学力で、学生の討議にだけ委ねていたら、全然テキストの理解が進まないのではないかという懸念がある。そしてこちらの方がよほど理由としては大きいのだが、ぼくは人の話を聞いているとすぐに寝てしまうのだ。教師が寝ていたのでは話にならない。寝ないためにはしゃべり続けていなければならない。だからたとえその方が学生にとっては有益だということが明らかだとしても、彼女たちの討議にすべてを委ねる方式は採用できないのである。

 かつおという魚は、泳いでいないと死んでしまうという話を聞いたことがある。しゃべっていないと寝てしまうぼくは、「かつお教授」である。それだって、文部科学省や大学当局の意向ばかりを気にする「ひらめ教授」や、脳みそが小さく粗暴な「さめ教授」より数等よいのだと開き直ることにしよう。うん、前のエントリーでは、自分のことを「さば」だといっていたではないかって?ご心配にはおよびません。かつおもさば科の魚です。

さば

2007-06-17 06:50:53 | Weblog
 子ども教育関係の編著を出した時のことである。ある方の紹介で左翼系の教育学者に電話で原稿依頼をした。見知らぬ人間から電話がかかってきて、彼も警戒していたのだろうか。随分と居丈高な感じでこういった。

 「私はすぐに陳腐化してしまうような論文は書かない主義です。最低10年は読むにたえるものを書けと若い者には常々いっています。加齢さん。あなたの主要業績を私に送ってください。私の眼鏡にかなえば、寄稿させていただきましょう」。

 なんと偉そうなと思ったが、教育学者に知り合いは少ない。何冊か書いたものを彼のもとに送った。その時に書いた手紙の文面は大体こんなものだった。

 「ご指示のとおり、貧しい業績をお送りいたします。私にはとても10年の風雪にたえる文章など書けません。『さばの生き腐れ』ということばがありますが、書いている途中にすぐに陳腐化が始まって、悪臭を放ちはじめる始末です。それでもお許しいただけるならご寄稿くださいませ」。

 彼は結局寄稿してくれることになった。しかし「私は締め切りを守ったことは一度もありません」といっていた通り、まてどくらせど、原稿はできなかった。遅れること1年。この間、毎週のように催促の電話をかけた。向こうが横柄でこちらが卑屈だった関係もいつしか逆転していた。ついに堪忍袋の尾がきれたぼくはこんな手紙を書いた。

 「締め切りの期限を大きく過ぎても泰然としておられる先生をみていると、小心翼翼たる私は羨望の念を禁じえません。先生の剛胆さのかけらでもあれば、私が大病をわずらうこともなかったでしょう。どうか私のような小人には忍耐の限度があるということをご理解くださいませ。 さば拝」。

 こんな手紙を大人に書けば、絶対にそこで人間関係は終わる。結局この先生からは原稿をいただけなかった。穴埋めは大変だったし、さる方の手を煩わせることとなった。大変申し訳なく思っている。しかしこの先生から学んだことが一つある。文章を陳腐化させない最良の方法。それは一字たりとも書かないことだ、ということである。


社会の木鐸3

2007-06-14 06:31:52 | Weblog
 先週末は熊本に行っていた。「日本マスコミュニケーション学会」に参加するためである。地元メディアの水俣病報道をめぐるシンポジウムには、大きな刺激を受けた。熊本のジャーナリストのこの問題に対する真摯な姿勢には感銘を受けたが、昨今のこの国のジャーナリズムは病んでいるという他はない。テレビの捏造、新聞の記事盗用はその最たるものであろう。

 熊本の本屋で「論座」という雑誌をみつけた。そこに山梨日日新聞の小林という元論説委員が、自分が社説盗用を繰り返した経緯について述べた文章が載っていた。実に面白い。

 この新聞社では、地元だねの問題については、自社の論説委員が社説を書き、全国や世界の問題については共同通信が「参考資料」として送ってくるものをそのまま、あるいは少し手を加えて載せていたという。全国の多くの地方紙がそうしていたようだ。しかし、それはおかしいではないかという声が当然のように起こってくる。

 そこで山梨日日では、全国や世界の問題についても、自社で社説を書こうということになった。しかしこの会社には彼を含めて論説委員が二人しかいないのだ。2日に一度、地元山梨はもとより世界のあらゆる大事件について社を代表して論説を書かなければならない。誰が考えても無理な話である。当然、小林さんは抵抗する。せめて社説の回数を減らしてほしいと懇願したのだという。しかし、彼の言は職場で一顧だにされなかった。毎日社説が載らない新聞など恥ずかしいという意見に押し切られてしまった。

 ぼくは小林さんに同情する。はなからできないことを押し付けられたのだ。盗作は愚かなことだし、恐ろしい結果を招くのは目にみえている。しかし、真っ白な紙面を作るのも同じように恐ろしい。盗作に手を染めるのも道理ではないか。あえて自分の恥をさらして、現在の日本の組織が抱える問題を浮き彫りにした小林さんに敬意を抱く。まだ50代なかばとお若い。再起がかなうことを願う。

地上の星2

2007-06-11 07:19:18 | Weblog
 「プロジェクトX」の悪口をかいたが、エックスという字はぺけとも読める。この番組自体大変なぺけだった。しかし「プロジェクトぺけ」という番組があればおもしろいのではないか。「これは戦後の日本に大打撃を与えたエリート男性たちの無能と怠惰の記録である」。キャッチコピーはこれだ。

 料亭のおかみに巨額の貸付をして、大銀行を倒産に追いやった大エリートがいた。夕張や宮崎のシーガイアだって、とんでもない「プロジェクトペケ」である。かつての動燃や社会保険庁なんていうのも、組織ごと「プロジェクトペケ」だろう。マスコミ産業の中にもねたは転がっているではないか。捏造や社説の盗作等々。

 これ本当に作ってみる価値があると思う。人間は成功より失敗から学ぶことが多いのだし、失敗の軌跡をきちんと検証しなければ、また同じ轍を踏むことになるだろう。みんなに空元気をもたせる番組より、こちらの方が、よほど公共放送の責務を果たすことになると思うが、まさかNHKが作るとも思えない。
  
 そして一つの難しい問題が横たわっている。×の読み方が、全国でばらばらなのだ。関東は「ばつ」。関西は「ぺけ」のようだ。そして鳥取は「しめ」。×と〆が似ているところから、こういう呼び名になったのだろうか。鹿児島時代の大学の学部長は奄美出身の大碩学だったが、この人は投票の時、「賛成のかたはまるを、反対の方はかける(×)をお願いします」と説明していた。鹿児島もしくは奄美沖縄では「かける」なのだろう。全国各地でばらばらの番組名でも困る。
 

 ここまで書きながら、あっと思ったことがある。戦後の日本という国そのものが、実は巨大なプロジェクトペケだったのではないかということだ。戦前の軍事力による膨張政策で大失敗をしても、そこから何も教訓をくみとらなかった。戦後は経済の膨張政策を続け、その破綻が明らかになっても、方向転換することなく、いまなおそれにしがみついているからである。

 

六大学(ハンカチ王子で大フィーバー・声に出して読みたい傑作選28)

2007-06-07 09:48:11 | Weblog
 ぼくの勤務校の学生さんは、関東出身者が多数を占めています。だから大阪に行く機会があると少なからずカルチャーショックを受けるようです。「おばさんがすごい派手な現色の服を着ていた」。「普通の人の会話がお笑い芸人みたいに面白い」。「猿を連れて歩いている人がフツーにいる」。おいおい。学生たちは、東京とは全然違う、関西の「本音の文化」に新鮮な驚きを覚えるようです。

 あれは何年前のことだったか。「社会調査実習」の授業で「阪神タイガースファンの研究」というテーマを掲げ、甲子園球場に乗り込んでいった一群がありました。外野席に陣取るコアな阪神ファンをみつけては話をきいていた。ところが、服装が派手な彼女たちのことです。それで目立ったのでしょう。なんと球場事務室に「拉致」されていったのです。

 球場の係員の人は、「お前ら宗教か!それともセールスか!!ほんまのこというまで帰さんぞ!!!」とえらい剣幕だったようです。彼女たちは必死で自分の学校の名前を名乗り、授業のレポートを書くために取材をしていると繰り返すのですが、球場のおじさんは「嘘や!そんな大学、聞いたこともあらへん!!」の一点張り。困り果てていたらたまたま関東の大学を出たという女性職員が戻ってきて、「その大学はたしかに実在します」といってくれて無罪放免になったとか。

 学生たちは、「拉致」以上に自分の学校の名前が関西では全然知られていなかったことにショックを受けていました。しかしそんなものでしょう。「神戸女学院」を東京の人はどれだけ知っているでしょうか。「金城学院」も名古屋限定の「有名校」でしょう。

 法政大学の学生が大阪の友人のところを訪ねていった。深夜二人でふらふら街を歩いていると、警察官から職務質問を受ける。学校の名前を聞かれて法政だというと、「嘘や、そんな大学あらへん」。彼が「あの六大学の法政です」というと、「アホ!六大学はなあ。早稲田、慶応、東大、明治。これで終わりや!!」。なんでやねん。四大学やがな。

地上の星

2007-06-04 13:21:10 | Weblog
 史上最悪のテレビ番組は何かと問われれば、迷わず「プロジェクトX」と答えたい。この番組が放送されたのは、00年代の前半。「失われた10年」の後遺症から、日本人の自信喪失が続いていた時代です。

 経済成長を可能にする条件はとうの昔に消えてしまっているのだから、それに変わる方向性をこの国の人々は模索しなければならなかったはずです。ところが、この番組は高度経済成長を成し遂げた「男たちの物語」を流し続けた。がんばれば、まだまだ過去の栄光を取り戻すことができるとみる人を鼓舞し続けたのです。このメッセージじたいが妄想めいたものですが、この番組には事実の尊重というジャーナリズム精神がまったく欠けていました。おぞましい捏造のオンパレードだったのです。

 大阪の淀川工業高校の男声合唱部を取り上げた回がありました。この部の指導者の先生が、80年ごろにこの高校に着任して部の創設を職員会議で訴えた時、「工業高校に音楽などいらん!」という反対にあったという場面が出てきます。ところが、この高校には当時すでに全国にその名を轟かせている吹奏楽部があった。そんな高校の職員会議で「音楽はいらん」という発言が出てくるはずがない。

 合唱部が大阪府のコンクールに出た時に、淀工は札付きのワル学校だからということで、会場にパトカーが来ていたというエピソードも出てきた。しかしこれがまたとんでもないデタラメ。そもそもこの高校は昔もいまも、およそ荒れた学校などではなかったのです。

 人々の先入見を打ち破っていくことがジャーナリズムの仕事のはずです。ところが「プロジェクトX」は、「工業高校と芸術は無縁」だとか「工業高校=落ちこぼれ=ワル」というステロタイプから出発して、それを強化するような番組を垂れ流していました。工業高校とそこで学ぶ人たちを貶めているのだから、これは「あるある大辞典」などより、はるかに悪質な捏造ではないのか。ぼくが「プロジェクトX」を史上最悪のテレビ番組と断じる所以です。 ついでにこの番組のテーマソングを歌っていた、中島みゆきも大嫌いになりましたまる