ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

壁と卵

2009-03-30 06:35:58 | Weblog
 骨子はホルン吹きだ。S高のホルンは、老朽品ばかり。塗装ははげて青さびが生じている。何より音が満足に出ない。仕方なくホルンを購入することになった。覚悟はしていたものの目の玉が飛び出るほどの値段。吹奏楽はとてつもなくお金のかかる部活だと思った。

 マイホルンに骨子は「太宰」というニックネームをつけている。ホルンの購入が昨年の6月19日。桜桃忌の日だからだ。ドイツのヴェンツェル社製。ホルンでは世界的に定評のあるメーカーらしい。ところがこれがやたらに壊れる。3月の末にも演奏会の前日に壊れてしまった。「太宰」は骨子にこう言って詫びたという。「生まれてきてすみません」。

 同じメーカーのホルンを使っている部活友人のものは、まったく壊れないというのに。これがドイツ製の特徴らしい。クオリティは抜群に高いが、ある種職人芸の産物なので、どうしてもものによってむらがあるというのだ。日本のヤマハの楽器は面白くもなんともないという定評がある。しかし、すべてにおいて高水準で、滅多なことでは故障しない。そしてものによるむらがないという。職人技というより工業技術の産物。

 そういう一般論ですむ問題なのだろうか。「太宰」というネーミングに問題があったのではないか。太宰はやたらめげる人だった。だから「太宰」はやたらにめげるのだと思う。めげるぐらいはまだよい。「太宰」が骨子におかしな気持ちを起こして「一緒に入水しよう」などと言い出さないとも限らない。父親としては心配になるではないか。

 そのことをぼくのある友人に話すと、「名前が悪い。『井伏』と改名すべきだ。太宰と縁だし、長命で安定するだろう」とアドバイスをしてくれた。なるほど。一理ある。「村上」と改名するのも一案だろう。骨子は村上春樹が大好き。ノーベル賞は無理でも「金賞」ぐらいは望めるだろう。「村上」は立ち回りもうまそうだ。


♪わしを野球に連れて行ってごせいや♪

2009-03-27 08:22:37 | Weblog
 フランスサッカーの英雄ジダンに、邦貨にして60億円だかの天文学的な移籍金が発生した時、ポーランド人のローマ法皇が、「あまりにも高すぎる。貧しい人を馬鹿にしている」と不快感をあらわにしたことがあった。まともな感覚である。ローマ法皇を怒らせたということは、神様を怒らせたということでもあるだろう。

 案の定、その後のジダンのサッカー人生は不運につきまとわれていた。2002年の日韓ワールドカップでは、足の怪我で試合に出られず、日本のテレビCMで「じだんだ」を踏んでいた。そして06年のドイツワールドカップでは、相手選手に頭づきを食らわせて退場になり、選手生命を終えている。神様を怒らせた報いである。

 イチローは、5年115億というとんでもないサラリーをもらっている。そのことについてイチローはこう言っている。「年俸1000万円の選手は、平安時代から現在まで稼ぎ続けなければこの額には届かない。500万円の選手なら弥生時代からだ。これはすごいことだ」。

 イチローも貧しい人を馬鹿にしている。いや、馬鹿にしまくっている。この発言は神の怒りを買うだろう。彼の選手生活は悲惨なものにならなければならない。ジダンの例が示すように。ところがそうはならなかった。大リーグの打撃記録を一世紀ぶりに破ったりもしている。神様は実はいないのではないかという、イワン・カラマーゾフ的疑念が頭をもたげてきた。

 WBCでイチローはひどい打撃不振に陥っていた。はじめから彼が打っていれば、日本はもっと楽に優勝できたはずだ。ヒットの打てないイチローをみて、ぼくは思った。これは貧しい人を馬鹿にしまくった報いだ。やはり神様はいたのだ、と。ところが決勝戦の最後の場面でタイムリーヒットを打って英雄になった。今回のWBCで証明されたことが二つある。アジアの野球のレベルの高さと、イワン・カラマーゾフの正しさだ。

旅立ちの日に

2009-03-24 09:43:31 | Weblog
 太郎が小学校を卒業した。月日のたつのは早いものである。太郎たちの小学校では、卒業証書を貰う時に、子どもたちが自分の思いを一言ずつ語る。「お父さん お母さん これまで育ててくれてありがとう」という子どもが多かった。子どもたちがこうしたことばを述べることに、ぼくは違和感を覚える。親が子どもを育てるのは当たり前のことである。なんで感謝されなければならないのか。

 作家の筒井康隆は、父親(動物園の園長をしていた人で相当な奇人変人だったらしい)に「「子を持って知る親の恩」ということばを知らぬか」と非難された時、「「子を持って知る子の恩」ということばを知らぬか」と斬り返している。有島武郎のことばのようだが、至言である。「3歳までのかわいさで人は一生分の親孝行をする」ともいうではないか。小学校を卒業する子どもたちは、もう十分に親孝行を済ませているのだ。

 そもそも「育ててくれてありがとう」などとは水くさいではないか。中学生たちは、いじめにあうなど、様々な悩みを抱えている。しかし、それを親にいえない。「親を心配させたくないから」というのがその理由だ。私の教えている大学生たちの多くが、卒業後に非正規雇用の仕事にしかつけなくて経済的に苦しい状況に追いやられたとしても、「親だけには頼りたくない」という。これ以上迷惑はかけられないというのだ。日本の若者や家族の病理は甘えや依存にではなく、この異様な水くささにある。

 教師に感謝のことばを述べる子どももいたが、これもぼくは気にいらない。「子どもみたいな面白い動物を預からせてもらって、教師ほど楽しい職業はない」とは遠山啓のことばである。子どもたちは壇上で、こう言うべきだったのではないか。「お父さん、お母さん。そして先生方。ぼくたちはそのかわいさとおもしろさとで、あなた方を幸せにしてあげました。どうかぼくたちに感謝の気持ちを示してください」。

♪赤い夕日が 校舎を染めて♪

2009-03-21 08:03:20 | Weblog
 メアリー・ブリントンの『失われた場所を探して』という本を読んだ。なかなか面白い。80年代までは、高校生が就職する場合に絶大な役割を果たしていたのが高校の進路指導部であった。企業は進路指導部と密接な関係をもっていて、「一校から一人」を原則に毎年継続的に新卒生徒を採用していた。高校という「場所」から、会社という「場所」へと生徒を送り込むことを進路指導の先生たちは至上命題としていたのである。

 ところが90年代に入ると、高校卒の若者が企業に正社員として採用されることが困難になっていった。そこから「ロスジェネ」世代若者たちの窮境が生じたのである。高卒の正社員採用が極端に狭まったことによって打撃を受けたのは、若者たちだけではなかった。

 就職できない若者が増えたこと、あるいは進路指導部など介さずに自分でみつけてきたアルバイトの仕事を卒業後も続ける若者が増えたことによって、日本の非進学校はその存在理由を失ってしまったとブリントンはいう。これはよくわかる。神奈川県にも入学して来た生徒の半数以上が途中で退学してしまうような高校はたくさんあるからだ。

 存在理由を失ったのは非進学校だけではない。エリート公立校の生徒も眠たげな目をして授業を受けている。夜遅くまで進学予備校に通っているからだ。夜中コンビ二でバイトをして、授業中は寝ている非エリート校の生徒と選ぶところはないという、ある高校教師の述懐をブりントンは紹介していた。

  東京圏の公立高校は受験教育をまったく放擲している。都会には受験産業が花盛りだからだ。そもそも受験を意識している生徒は私立の一貫校に中学から通うだろう。エリート校に通う生徒は学校への適応度が高いから中退することはまずないが、空洞化している点では非進学校と変わりはない。他に何もやることがないから、進学校の生徒たちは、部活と体育祭のような学校行事にいれこむのではないか。

寿限無寿限無

2009-03-18 09:36:52 | Weblog
 2月、太郎が新宿厚生年金会館の舞台に立ちました。「東日本管楽器合奏フエスティバル」。東日本の10の都道府県の小学校の吹奏楽団の大会ですが、太郎たちの学校は神奈川県から推薦されての出場です。小学校生活最後の晴れ舞台。よい思い出になったことでしょう。すべての学校の演奏が終わったあとで講師の先生からの講評がありました。その先生が紹介された時、会場からどよめきが起こりました。その肩書きが、あまりにも長いからです。

 「国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部教育課程審査官文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官」。ごく普通の外見の先生です。そして小学校の音楽教育における技術至上主義の弊害を述べ、子どもたちの感性と理解力とを育む指導の重要性を力説しておられました。私も深く共感しました。しかし、この先生、自らが標榜するリベラルな教育観と寿限無寿限無みたいな肩書きとの間で自我を引き裂かれたりはしないのでしょうか。

 私も人のことを言えた義理ではありません。現在「○○女子大学大学院人間関係学研究科社会学専攻主任」の地位にあるからです。そして「大学院社会学分野における単位互換制度運営協議会年次総会議長」の役割を2月には果しました。この二つの肩書きをつなげれば、先の先生にひけをとるものではありません。いま世の中は官僚制化が進んでいます。誰であれ油断していると寿限無寿限無の世界の住人になってしまうのです。

 総会に向けて加盟校から公文書が送られてきます。それを読んでいて、何故だか胸がときめいたのです。手元には、さる国立大学からの公文書があります。そこには「学長 亀山郁夫」と記されていました。ロシア文学愛好者である私の心の琴線に触れたのでしょう。公文書に「萌え」ていてはどうしようもないのですが。それにしても世評高き『カラマーゾフの兄弟』の翻訳者が学長とは。思わぬ人が寿限無寿限無の世界で偉くなっているものです。 


魚類への憧憬

2009-03-15 07:38:43 | Weblog
 昨年の暮れのことである。夕食時に太郎が、「セックスってそういうことだったの」と突然聞いた。その日学校で、隣の席のさくみちゃんがスティック糊と筆箱をつかって、セックスのなんたるかを「実演」してみせたのだという。さくみちゃんはボーイッシュで活発な女の子である。なんであれこの年頃では、女の子の方が早熟である。さくみちゃんはさらにセックスをすると赤ちゃんができるということも太郎に教えたようだ。

 「さくみのいうとおりなの。びんちゃんとおかあちゃんもそんなことやったの?」と聞く。嘘をつくわけにもいかないので、われわれが「そうだ」と答えると、太郎は「H先生も?」と聞く。H先生は太郎の担任の男の先生である。こちらとしては「たぶんそうだろう」と答えるしかない。先生にはお子さんがいるから、「たぶん」も何もないのだが。太郎はショックを受けたようだ。

  太郎は最近、その手の下品なことばを連発していた。太郎はこの4月から中学生。そういうことを口にしたがる年頃ではある。だから当然、赤ちゃんのできるメカニズムは知っているのだと思っていた。それを知らなかったということにも驚いたが、これほどショックを受けるとも思っていなかった。まあ、ぼくも中学に入った直後にそのことを知ったのだから驚くには値しないのかもしれない。でもいまは昔と違って小学校から性教育は始まっている。そこでは一体、何を教えているのだろうかと思う。

 「ああ、もう御飯を食べたくない。人間に生まれたくなかった。動物か昆虫がよかった」と太郎はいう。骨子が、「でも太郎、動物も昆虫も交尾をするのは知っているでしょう。交尾というのはね。すなわちセックスなのだよ」。流暢に講釈を続ける骨子に「魚は?」と太郎が聞く。「魚類は交尾しない。卵に精液をかけるだけ」と骨子。太郎はしみじみと言った。「オレは魚類に生まれたかった」。


ぼくの小規模な失敗(麻生さんにも読んでもらいたい・声に出して読みたい傑作選75)

2009-03-12 06:20:05 | Weblog
 福満しげゆき氏の『ぼくの小規模な失敗』は本当に面白い。若いマンガ家のいわば自伝的な作品である。あまり勉強ができる中学生ではなかった「僕」は深い考えもなく工業高校に入る。当然そこは技術者養成の場所である。「僕」はそんなものには何の関心もない。日々の学校生活が苦痛で苦痛でしかたがない。周囲から遮断し、自分を守るために彼は猛烈にマンガを描き始める。 

 結局工業高校を「僕」は中退してしまう。定時制高校を経て、アルバイトを重ねながら夜間大学に通う。不器用な「僕」は、アルバイトでも失敗を重ね、夜の学校生活にもなじめない思いを抱えている。マンガを描き続けることが「僕」の存在証明となっていた。彼は投稿を重ね、雑誌連載の機会を得る。そして九州から出てきた少女と結婚をしたところでこのマンガは終わっている。

 このマンガを読んで感じるところは多かった。骨子をみていても中3の時点で自分の進路など選べるわけがない。成績の関係で工業高校に行かざるをえなかったことが「僕」の最初の「小規模な失敗」である。そして、日本の社会は一度人生のレール(ベルトコンベア?)を外れたものにすさまじい孤独と惨めさとを強いるものであることが分かる。一度このレールだかベルトコンベアだかから外れると、もとに戻ることはほとんど不可能なのだ。

 「僕」は「夢追い型」フリーターの「小規模な成功」者だ。結婚もし、ささやかながらマンガ家としての地位も築いたのだから。「夢追い型フリーター」といえばふわふわと地に足のつかない若者がイメージされる。しかし「僕」はマンガを描き続け、マンガ家になるという夢を追い続けることで辛うじて過酷な現実を生き延びることができたのである。「僕」のようなタイプの「夢追い型フリーター」もけっして少なくはないはずである。そのことは以前のSさんの論文も明らかにしていた。この人たちの多くには「小規模な成功」すら無縁なのではないか。彼らの人生の果てには何があるのか。それを思うと胸が痛む。

うらみ つらみ ねたみ そねみ

2009-03-09 07:42:10 | Weblog
社会学に「相対的剥奪感」という概念がある。自分と同じはずの人間が自分よりも高い地位にあり、多くの年収を得ている。そのことによって、損をしたような気持ちになる。これが「相対的剥奪感」ということばの意味するところだ。

 高い地位、多くの年収といっても普通の庶民は東大教授や内閣総理大臣をうらやんだりはしない。ヒルズ族やイチロー選手の年収と自分のそれとを比べることもないだろう。比較の対象になるのは、自分の手の届く範囲だと感じられる「上」の人たちである。

 さしずめ日本の庶民にいま「相対的剥奪感」をもっとも強く与えているのは公務員なのではないか。彼らは高給を食み、働かず、しかも仕事を失う心配もない。薄給でこき使われ、明日をも知れぬわが身に比べ、あまりにも不公平ではないか。そうした不満が渦巻いている。だから、郵政改革によって郵便局員から公務員としての地位を奪った小泉や、役人を目の敵にして、役人の給料を下げることばかりを考えている橋下のようなポピュリストが拍手喝采を浴びるのだ。

 いまの社会学者たちは「負の相対的剥奪感」ということを言い始めている。自分より「下」だと思っている人間が、自分とあまり変わらぬ暮らしをしている。それで自分は損をしたような気持ちになるというのが、「負の相対的剥奪感」である。

 派遣村へのバッシングや、ベーシックインカムの議論で必ず出てくる「フリーライダー」論は、日本の庶民が抱いている「負の相対的剥奪感」を反映したものなのではないか。自分は真面目に働いているのにかつかつの生活しかできていない。それなのに働かない怠け者が、屋根のある家に住んで、3度の食事にありつけるのは不公平ではないか。派遣村にネガティブなことを言っている人たちの奥底にあるのはこうした気持ちだろう。弱者が弱者に対して抱く、うらみ、つらみ、ねたみ、そねみを強者がたくみに利用している。なんともいやな構図だ。


ニューディールのゆくえ(日本海新聞コラム「潮流」・2月28日掲載分)

2009-03-06 00:08:29 | Weblog
  47歳の若さとそのカリスマ性において、オバマ新大統領はJFケネディを髣髴とさせるものがあります。また共和党政権の自由放任政策が招いた経済の破局の後に登場した民主党の大統領という点で氏は、F.D.ルーズベルトとも重なるところがあります。本人もそのことを意識しているのでしょう。アメリカ経済再生のために新大統領が打ち出したのは、石油依存型の社会から脱却するために大規模な財政出動を行う「緑のニューディール」です。
 
 ルーズベルトは、それまでの自由放任政策に変えて財政出動によって有効需要の創出を図るケインズ政策を採用しました。ニューディールは、TVA(テネシー川流域開発公社)に代表される大規模公共事業や、労働者保護政策によって知られています。しかしニューディールによってアメリカは大恐慌の痛手から立ち直ることはできませんでした。経済の再生においてアメリカは、イタリアやドイツ、そして日本の後塵を拝していたのです。アメリカ経済を甦らせたのは第二次世界大戦の勃発でした。ニューディールではありません。

 「緑のニューディール」は、果たして成功するのでしょうか。私は非常に懐疑的です。金融バブルの崩壊で生じた天文学的な額の不良債権は、公共事業でどうにかなる問題ではありません。アメリカのGDPの7割を個人消費が占めています。サブプライムローンが象徴するように、貧しい人までもが借金をして浪費をすることによってまわってきた経済なのです。ところが、アメリカの金融業は崩壊してしまいました。借金をしようにも貸し手がいないのです。こうした状況で財政出動に有効需要を生み出す力があるとは思えません。

  アメリカには、「軍産複合体」の名で知られる肥大した軍需産業があります。戦争が起きれば巨額の軍事予算がここに投下されることでしょう。もちろん軍需産業が潤っても、崩壊した金融システムが甦るわけではありません。しかし戦争が起きれば軍隊は、雇用の大きな受け皿になります。軍需産業への投資は、海のものとも山のものとも知れない環境ビジネスに対するそれとは違って、ある程度の景気浮揚の効果を期待できるでしょう。新大統領は、戦争という「死のニューディール」の誘惑に打ち勝つことができるのでしょうか。

 もちろんオバマ氏は、「戦争中毒」と揶揄された前任者とは比較にならない高い知性の持ち主です。イラクからの撤退とグアンタナモ収容所の廃止を決めたことも評価しなければなりません。私の懸念は次の点にあります。アメリカでは戦争を指導する大統領は英雄になります。大統領選挙の結果に疑義をもたれ就任当初不人気を極めた前任者が「戦争中毒」に罹った原因もここにあります。景気の浮揚に失敗すれば現在の高い支持率は失われてしまいます。その時オバマ氏が前任者と同じ罠に落ちないという保障はどこにもないのです。

ものぐさ養生のすすめ

2009-03-03 10:39:05 | Weblog
 京都大学名誉教授で数学者の森毅さんが、自宅で調理中大やけどを負ったという記事を読んで驚いた。81歳。奥さんが入院中、一人で料理を作っていて、フライパンの火が服に燃え移ったらしい。よる年なみゆえの事故なのだろうか。そういえば森さん最近メディアに出ないなあ、と思っていた矢先の出来事だった。

 森さんは数学教育にも熱心で、遠山啓らの数学教育運動に加わっていた。その経験に根ざした教育論は傾聴に値するものであったが、それ以上にその百科全書派的博識と洒脱なエッセイの私は大ファンだった。かの浅田彰も森さんの教養ゼミの聴講生だった。

 京大の教養部といえば社会学の作田啓一先生が森さんと同じ時代にいた。京大の社会学科は文学部にあるが、そこの教授が誰だったかを思い出せる人は少ないだろう。京大で社会学者といえば作田先生だった。作田先生も森さんと同様、専門外の文学や哲学にもその筋のプロ以上に通暁していた。まさに「教養」の権化であった。

 15年ほど前の大学改革ブームのなかで教養部は目の敵にされた。いまではほとんど姿を消してしまった。たしかに何も業績を発表しない人たちがとぐろを巻いているところという趣はあった。森さんや作田先生のような人は例外中の例外だとは思う。しかし教養部の先生には変な権力欲のない人が多かった。自分の存在は「無用の用」なのだと自覚しているようなタイプの人である。教養教育はいまでも続いている。それに責任をもつ部局が存在しなくなったことの弊害も小さくはない。

 森さんは自分で電話をかけて救急車を呼んだのだという。その時もあの飄々とした調子だったのだろうか。それともさすがに慌てていたのだろうか。そんな不謹慎な想像をしてしまう。相当な大やけどのようだが、生命に別状はないらしい。またあの森節を聞かせてもらいたいものである。どうかお大事になさってください。