20年ほど前のことだ。テレビが、T県からの中継を放送していた。エサを求めて熊が里に下りてきているらしい。木の切り株に座布団のように落ち葉をしきつめて腰をかけ、むしゃむしゃと美味しそうに梨を食べていたという。「熊はどんな顔をしていましたか」というアナウンサーの問いに発見者の老婆は、「顔っちゃあなもんは覚えとりゃあしません。わが身一つがいっか(一荷)でござんすけえ」。逃げるだけで精一杯だったということらしい。
「熊にあったら死んだふりをしろ」というのが定説である。しかし、最近の研究ではこの定説は否定されている。活動していた人間が突然横たわる。この急激な状態の変化が熊の側の「探求心」(!)を刺激する。その結果、横たわった人間を噛んだり引っかいたりするので、危険な結果を招く可能性が大きい。結局、立ったままじっとしているのが一番よいようだ。
攻撃は最大の防御、という考え方もある。熊と格闘しろというのではない。アイヌ民族には、羆を論難する呪文が伝承されている。羆と遭遇した時、少しも慌てずこちらから近づいて、羆の怠惰と飽食を非難する呪文を唱えるのだ。すると羆は自らの行いを深く恥じて遠くに逃げさっていくのである。羆の戦闘能力に万物の霊長の道徳的権威で対抗する高等戦術だ。
もう亡くなったが、ぼくには大学教授のオジがいた。浮世離れのした変人で、しかもひどい近眼だった。ある秋の一日、彼が趣味の山歩きをしていると向こうから人がやってきた。なんだかとても毛深い人だったらしい。すれ違いざまに会釈をすると、向こうも会釈を返してきた。オジは「ああ、毛深いが礼節を弁えた人だよなあ」と思わず詠嘆したのである。
何か変だと思って振り返ってみると、彼がすれ違ったのは人ではなく熊だった。二足歩行(?)していた月の輪熊と彼はすれ違ったのである。近眼の彼は、それを人だと誤認したのだ。会釈という行為はもともと月の輪熊の文化のなかにあるのだろうか。その熊も彼と出会った時「毛はないが礼節を弁えた熊だよなあ」と詠嘆したのだろうか。知りたいものである。
「熊にあったら死んだふりをしろ」というのが定説である。しかし、最近の研究ではこの定説は否定されている。活動していた人間が突然横たわる。この急激な状態の変化が熊の側の「探求心」(!)を刺激する。その結果、横たわった人間を噛んだり引っかいたりするので、危険な結果を招く可能性が大きい。結局、立ったままじっとしているのが一番よいようだ。
攻撃は最大の防御、という考え方もある。熊と格闘しろというのではない。アイヌ民族には、羆を論難する呪文が伝承されている。羆と遭遇した時、少しも慌てずこちらから近づいて、羆の怠惰と飽食を非難する呪文を唱えるのだ。すると羆は自らの行いを深く恥じて遠くに逃げさっていくのである。羆の戦闘能力に万物の霊長の道徳的権威で対抗する高等戦術だ。
もう亡くなったが、ぼくには大学教授のオジがいた。浮世離れのした変人で、しかもひどい近眼だった。ある秋の一日、彼が趣味の山歩きをしていると向こうから人がやってきた。なんだかとても毛深い人だったらしい。すれ違いざまに会釈をすると、向こうも会釈を返してきた。オジは「ああ、毛深いが礼節を弁えた人だよなあ」と思わず詠嘆したのである。
何か変だと思って振り返ってみると、彼がすれ違ったのは人ではなく熊だった。二足歩行(?)していた月の輪熊と彼はすれ違ったのである。近眼の彼は、それを人だと誤認したのだ。会釈という行為はもともと月の輪熊の文化のなかにあるのだろうか。その熊も彼と出会った時「毛はないが礼節を弁えた熊だよなあ」と詠嘆したのだろうか。知りたいものである。