「婚活」ということばが流行っています。「就活」をもじったことば。学生が会社を色々値踏みして、自分が就職する会社を決めるように、いまの男女も様々な望みを掲げて配偶者を選んでいる状況をあらわしたことばです。世も末だと思いました。
「就活」がうまくいかず、非正規雇用に就く学生が大勢います。それと同じ理屈だとすると、「婚活」から落ちこぼれて結婚できない若者が出てくることになります。男も女も、結婚相手に高いものを求めていることも非婚晩婚化の大きな要因ではないのでしょうか。「割れ鍋に閉じ蓋」。「一人口では食えぬが二人口なら食える」。そんなことばは、いつから死語になってしまったのか。
「婚活」をしているのは、「就活」をしてきた都市の高学歴層でしょう。それとはまったく異質な世界があります。「社会調査実習」という授業では、中学時代の同級生でヤンママになった子にインタビューをするという学生が、しばしば出てきます。何人もケースは出てきましたが、ヤンママになった子は、ほとんど例外なく次のような歩みをたどっています。
1.中学時代はかなりの問題児。「こわい系」。
2.高校には行くものの中退する。
3.高校在学中か退学後に知り合ったカレシと「でき婚」。
4.結婚後は自分またはだんなの両親と同居。親に子どもの面倒をみてもらいバイトに出る。
5.お母さんになると女の子はものすごくまじめになって、しっかりしてくる。「母は強し」。
6.しかし、男の方はまだ遊びたい盛り。子どもができても、ふらふらしている。夫婦仲は当然悪くなる。別れたカップルも珍しくない。
こうしたライフスタイルを、三浦展氏ならば「下流」とそしることでしょう。しかしヤンママたちは健気に生きている。ヤンママとその子どもたちが、幸せに生きていける社会になってほしいものです。「少子化」が問題だというなら、彼女たちの生き方は賞賛されてよいはずですが。
「就活」がうまくいかず、非正規雇用に就く学生が大勢います。それと同じ理屈だとすると、「婚活」から落ちこぼれて結婚できない若者が出てくることになります。男も女も、結婚相手に高いものを求めていることも非婚晩婚化の大きな要因ではないのでしょうか。「割れ鍋に閉じ蓋」。「一人口では食えぬが二人口なら食える」。そんなことばは、いつから死語になってしまったのか。
「婚活」をしているのは、「就活」をしてきた都市の高学歴層でしょう。それとはまったく異質な世界があります。「社会調査実習」という授業では、中学時代の同級生でヤンママになった子にインタビューをするという学生が、しばしば出てきます。何人もケースは出てきましたが、ヤンママになった子は、ほとんど例外なく次のような歩みをたどっています。
1.中学時代はかなりの問題児。「こわい系」。
2.高校には行くものの中退する。
3.高校在学中か退学後に知り合ったカレシと「でき婚」。
4.結婚後は自分またはだんなの両親と同居。親に子どもの面倒をみてもらいバイトに出る。
5.お母さんになると女の子はものすごくまじめになって、しっかりしてくる。「母は強し」。
6.しかし、男の方はまだ遊びたい盛り。子どもができても、ふらふらしている。夫婦仲は当然悪くなる。別れたカップルも珍しくない。
こうしたライフスタイルを、三浦展氏ならば「下流」とそしることでしょう。しかしヤンママたちは健気に生きている。ヤンママとその子どもたちが、幸せに生きていける社会になってほしいものです。「少子化」が問題だというなら、彼女たちの生き方は賞賛されてよいはずですが。
校内でシンナーを吸うわ。他校に殴りこみいくわ。髪の毛は染めてるわ。教師はすべて敵だと思っていたようです。喧嘩一番の硬派不良って感じで、同じ学校の男子よりも女子に非常に人気があり、ファンレターをたくさんもらい、教師のいじめに対してリボルトを代行していたようです。
しかし、勉強が校内でもできるほうだったので、教師による過度のいじめや排除を受けなかった。また、性的な非行を伴わなかったので教師も言いようがなかった。
僕の場合はもっとひどかったですけど、勉強ができたので何も言われなかった。
上流下流なんて素行とまったく関係がないんでしょうね。単に勉強ができて、よい職業に就けば上流、そうじゃない場合には下流か脱落者。
ここでいう高学歴というのはFランク大学もはいているのdしょうか。
>中学時代の同級生でヤンママになった子
都市と、田舎では違うのでしょうか?
かつのりさま。
「ここでいう高学歴というのはFランク大学もはいているのdしょうか」。
どうなんでしょうか。「就活」の俎上に乗っている大学、ということなんじゃないでしょうか。
「都市と、田舎では違うのでしょうか」?
そういわれて考えてみると、地方出身者のレポートが圧倒的に多かったです。東京圏の学生でも、千葉とか埼玉とかの田舎じみたところの学生です。23区みたいな、正真正銘の大都会のケースは、たしかなかったなあ。
下流というのはFランク大学に行く人のほうで、たぶん三浦はこの人たちは無視していると思いますよ。
若い社会学者の仕事で引きこもり・不登校の調査はたくさんあります。引きこもり・不登校には知的な子どもや若者もたくさんいますし、若い研究者のなかにもそうした経験をした人は少なからずいます。だから地平を共有できる部分がある。ところが「ヤンママ」となると、「おばさん」世代の教授・准教授が調査をしてもまず心を開かないでしょう。若い世代の研究者でも彼女たちと地平を共有することは難しい。勉強をずっと続けることと、「ヤンママ」になることとは180度違う生き方ですから。うーむ、社会学という学問の「世間の狭さ」を感じざるをえません。
といって、調査した学生を褒めて上げよう。
ところでヤンママ等を対象にした商売(ドンキとか)との接点で、何か研究があっても良いはずですよね。でも、やっぱり、見捨てられる領域かもね。
本当にそうなんですか? いわゆる「コンカツ」についていえばそうなんでしょうが、地方の、高卒、高校中退の人たちも、ある種のそういった活動をしているのでは???
ああ、それにしても、将来結婚できないね、みたいな言葉が、昔以上に説得力をもってきてしまったような気がする。
おっしゃるとおりで、お見合いパーティみたいな、メディアのいう「こんかつ」をやっているのは都会の高学歴層に限られるのでしょうが、居住地階層の如何を問わず、これに類したことはやっているのだと思います。お見合いも世話焼きおばさんも消滅してしまいましたから。結婚なんて昔はだれもがすること(「であること」)だったのが、業績競争の勝ち組だけができること(「すること」)になっちゃんたんですね。だから、丸山真男が悪い!こじつけだけど(笑)。