ガラパゴス通信リターンズ

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エリクソンの人生

2010-01-10 10:02:42 | Weblog
エリクソンで卒論を書いた学生がいたので、いろいろとエリクソンについて考えてみる機会をもてた。彼の本当の父親は誰なのか、永くわからなかった。20世紀に入る頃に生きた女性として、本当に奔放生き方を貫いた人だったのだろう。養父のホンブルガー氏は堅実なプチブルで、息子に堅実な生き方をすることを望んでいた。ちなみに彼の生まれた時の名前は、エリック・ホンブルガーである。

 しかしエリックは、大学には進まなかった。30を過ぎるまで画家になると称してウィーンでぶらぶらしていた。いまでいえば「夢追いフリーター」か「ニート」と呼ばれていたであろう。父親より官能的で奔放な母親に似ていたのだと思う。

 30近くになってアンナ・フロイトに見出され、臨床カウンセラーの道に進む。当時、子どもと遊ぶことのできる男性が稀だったことと、彼の絵の才能にアンナが着目したようだ。アンナの研究所で修行をしていた頃、英仏への第一次大戦の戦費の召還を猶予する「フーバーモラトリアム」が発令された。嗚呼俺は人生の「支払い猶予期間を永く過ごしたのだな」というこのときの彼の感慨が、有名な「モラトリアム」ということばを生んだ。

 彼は、このころジョアと結婚している。アンナフロイトと袂を分かち、アメリカに亡命する。ジョアンは、彼の母親に似た知的ではあるが、官能的で情熱的な女性だった。冷酷なアンナを毛嫌いしていた。

 アンナにジョアン。エリックの前には、常に母親的人物があらわれる。彼はマザコン男だった。そして彼は同時に度し難い怠け者でもあったようだ。30過ぎるまでぶらぶらしていたことはその証である。そしてアメリカにわたってバークレーに職を得た時も、昼には家に帰ってシェスタを楽しんでいたようだ。身なりも生活時間もでたらめでだらしない彼を「調教」し、立派な社会人にしたのはひとえにジョアンの功績である。