ガラパゴス通信リターンズ

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カラマーゾフの兄弟(『罪と罰』も楽しみだ・声に出して読みたい傑作選68)

2008-12-10 09:10:05 | Weblog
 世評高き亀山郁夫さんの訳で『カラマーゾフの兄弟』を読んだ。いや実に面白いし分かりやすい。若い人が読んでも親しみがもてるのではないか。ベストセラーになるのも道理である。

 前回米川正夫さんの訳でこの小説を読んだのは中学生か高校生の頃だった。当時は、末弟のアリョーシャでさえ、ぼくにとってはお兄さんだった。ところがいまではアリョーシャは自分の子どもぐらいの年齢。父親のフヨードルは55歳だという。はるかにこちらに近づいてしまった。光陰は矢の如し。

 昔読んだ時には酒乱で好色家のフヨードルなど嫌悪の対象でしかなかった。しかし今回は共感する部分が多々あった。フヨードルが金なら一文でもおしいと演説する場面がある。自分は薄汚くだらだらと生きながらえたい。そのためには金がいるのだ、と。これは多くの中高年の本音のように思う。 フヨードルは「老醜」を象徴する人物だと思う。だからアリョーシャ以外の彼の子どもたちは、父親を憎んでいた。しかし歳をとればとるほど、男の子は父親に似てくるものだ。いまぼくはそれを痛感している。

 前に読んだ時、ぼくにはフヨードルの「好色」の本質がよく分からなかった。自分が子どもだったせいもあるし、米川正夫先生の訳が、すこしお上品に描写をぼかしたところもあったのだと思う。しかし今回は女の身体の線がどうのこうのと、フヨードルが語っている。自分は女の身体だけを、いやその一部だけを愛することができると赤裸々に語っているのである。なるほど、これは筋金入りのエロ親父だと納得できた。

 妙に心にとまった部分があった。自分はいい女だけが好きなのではない。大抵の女は自分にとっていい女なのだ、とフヨードルはいう。ある意味フヨードルは博愛主義者で、その血が末弟のアリョーシャに受継がれたのだろう。カラマーゾフ的なものの本質が何なのか、少しわかったような気がした。大変な名訳だ。みなさんにも是非読んでいただきたい。