ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

あなたをもっと知りたくて(気をつけよう、おれおれ詐欺・声に出して読みたい傑作選94)

2009-10-29 10:27:51 | Weblog
 何年か前の話です。入試の終わった2月のこと。平日の昼間自宅にいると、電話がかかってきました。ぼくが出ると男の声がします。「加齢さんのお宅でしょうか」。ぼくが「はい」と答えると、男は少し驚いたようで「御飯さんのお父さんですか」と聞きます。このあたりからおかしいと思った。何故「御飯さんですか」と聞かないのか。平日の昼間にぼくが家にいるとは思わなかったのでしょう。不審に思ったぼくは、「御飯の父です。あなたこそどなたですか」と問い返します。男はぼくの勤務校の事務職員だと答えました。

 大学からの電話ならナンバーディスプレイに代表番号が表示されますが、これは非通知になっている。「振り込め詐欺」の類だとぴんときました。ぼくが大学の教員だということを、この男は知っている。セクハラか何かの問題をお前の息子が起こした。だから金を所定の口座に振り込め…。そういうストーリーなのだろうな、と思いました。ぼくはこう尋ねました。「どちらの部署の方ですか」。相手は不快そうにいいました。「そんなことどうでもいいじゃないですか」。

 ぼくは勝ち誇ってまくしたてます。「本当にあなたが、うちの大学の職員なら、まず自分の名前と所属を明かすはずです。そして事務職員が教員のことを『御飯さん』と呼ぶはずがない。いや、電話の主がたとえ学長であっても必ず私のことを『先生』と呼ぶでしょう」。

 男は完全に狼狽してぼくに尋ねます。「なんでそんなこと、あなたが知っているんですか」。「それは私が加齢御飯、本人その人だからです!ずばりあなたは、振り込め詐欺の人でしょう!!」。ぼくの声は完全に裏返っていました。まるで「ちびまる子」ちゃんの丸尾末男です。

 それにしても不思議です。この詐欺師は格別お粗末な輩だったのでしょうか。それともこういうお粗末な手口に世の善男善女はひっかかっているのでしょうか。男は、「大学の先生が嘘なんかついていいんですか」と捨て台詞を残して電話を切りました。


「酒とつまみ」12号(本のメルマガ 10月25日掲載分)

2009-10-26 18:56:31 | Weblog
ロシア人のアルコール摂取量は、一人年間18リットルに達するそうです。アルコールだけで、ちょうど一斗!日本酒換算ならその6倍強!月平均5升です。未成年者やまったくお酒を飲まない人まで含んでこの数字です。

酒好きは、どれだけ飲むことやら。ロシア男性の平均寿命は、59歳にまで落ち込んだことがありました。ロシアは日本以上に自殺率が高い数少ない国の一つです。男性が短命であることや自殺の多さの背景に、過度の飲酒があることは明らかです。メドベージェフ大統領が、「国民的災厄」と叫ぶ所以でしょう。

アルコール中毒といえば連続飲酒がイメージされます。しかし日本人の体力では、なかなかそれはできません。だから絵に書いたようなアル中は少ないのでしょうが、アルコール依存症とその予備軍は増加傾向にあるようです。

飲酒の量の多寡に関わらず、健康を損ない、仕事や家庭生活に悪い影響が出ても酒をやめたり控えたりできない人は、立派なアルコール依存症患者であるといえます。テレビには酒のコマーシャルが溢れ、コンビニでは24時間簡単に酒を買うことができます。飲酒に対するこの寛大さにも疑問を覚えます。

「酒とつまみ」というマイナーな雑誌が酒好きたちの間で静かな人気を博しています。編集長の大竹聡さんは、いまや「メディアの寵児」です。「酒とつまみ」と言っても。グルメ雑誌ではありません。有名無名の酒好きたちの、ゲロを吐いたとか失禁したとか、酒の上での失敗談が延々と出てくる雑誌です。大酒飲みの著名人への酒場でのインタビューがこの雑誌の目玉商品。第1回には中島らもが、第5回には高田渡が登場。両雄はともに本誌登場からほどなくして亡くなりました。酒がお二人の命を縮めたことは否定できませ
ん。

 12号の冒頭には大竹さんがラジオの番組に出演した後、泥酔し、顔面から大出血した話が掲載されていました。大竹さんの古典落語を思わせる語り口は軽妙そのもの。この「痛い」エピソードも良質の笑い話に仕立てあげられています。この辺りの才覚はさすがと思います。

しかし不安になります。大竹さんも40を超えています。若い頃のように無茶がきくはずがありません。こんな飲み方をしていれば、いつか中島らもと同じようなことが大竹さんの上にも起きるのではないか。ファンであればこそそんな心配をしてしまいます。

 「酒とつまみ」にはしかし何の罪もありません。楽しい雑誌です。だが世界の超大国の指導者が酒びたりであるとすれば、これは由々しき問題です。ジョージ・ブッシュ・ジュニアが、若い頃はアルコール依存症患者であったことは有名です。大統領としての彼の衝動的な意思決定にアルコール依存症の残滓をみるのは私だけでしょうか。日本では最近、「酔いどれ会見」によって大臣の椅子を棒に振った政治家が亡くなりました。アルコールに曇らされた頭脳が、世界を動かす重大な意思決定を行っていた可能性を否定できません。

野ギャル

2009-10-23 12:04:46 | Weblog
 若者の間で農業ブームが起こっています。「野ギャル」と呼ばれるタレントが人気を博し、若者向けの農業雑誌も創刊されているようです。「おしゃれじゃなければ農業じゃない!」などという惹句をみると?と思わないでもありません。しかし、5、6年前から若者たちの間では農業のボラバイトが結構盛んに行われていました。ボラバイトとはボランティア+アルバイト。農作業を手伝って日当はもらうだけれどもどんなに遠くに行っても旅費は自弁。北海道や沖縄にも長期働きに行った学生もいました。そう考えてみるとこの農業ブームも一過性のものとばかりはいえないでしょう。

 今年はぼくのゼミで初めて、農業で卒論を書いている学生がいます。彼女のおじいさんとおばあさんが、神奈川でみかんを作っていて、30年前は、みかんの価格が一キロ200円だったものが、いまでは50円にまで下がっていると言っていました。30年前といえば、ぼくが大学院に入った年で、そのころ大卒初任給は10万円ぐらいだったはずです。物価は倍。収入は4分の1。いまは果物はいろいろある。しかもジュースやアイスクリームに押されて消費量も減っています。愛媛等ブランド産地のみかん以外は外国産果物並みの値段しかつかないことが原因のようです。

 これでは一部のブランド農産物を生産している農家以外は生き残れないでしょう。農家への所得保障は絶対に必要であると思いました。やはり農業では食えません。しかしその食えない農業に何故若者たちが惹かれていくのか。これは考えるに値する問いかけです。やはり土と触れ合う人間的な生き方に魅力を感じる若者が多いということなのでしょう。そして「食えない」とは言っても、それはお金が稼げないという意味。「食う」ものを作っているのです。食糧危機にでもなれば、これほど強い職業はありません。フリーターならずとも、農業に憧れる所以でしょう。


模倣の法則

2009-10-20 08:14:28 | Weblog
 ガブリエル・タルドは社会学史のなかではデュルケームによって葬り去られた存在である。だが、彼の模倣の理論は、社会学や文学の理論のなかにも大きな影響を与え続けてきた。彼の『模倣の法則』は、昭和初期の邦訳しか存在せず、長らく「幻の名著」とされてきたが近年、若い社会学者によるよい翻訳が出版された。

 社会を成り立たせるものは模倣であるとタルドはいう。そしてタルドによれば、社会は圧倒的多数の模倣とごく少数の発明からなるものである。本質的な革新は、常に少数者の頭のなかに生じる。人類が二足歩行をはじめたのも、「二本の足で歩こう」と考えた独創的な個人がいたからに他ならない。

 中世のヨーロッパでは、様々な地域で、「妻に殴られた夫はロバの背中にくくられて町中を引き回され、さらし者にされる」という慣行があった。こんなくだらない考えが同時多発的に、複数の人間の頭に浮かぶとも思えない。この事例の存在も文化伝播における模倣の力を証明しているとタルドは言う。

 ヨーロッパと南米の古代帝国の同時代に、同じような建造物が見出される。これもタルドのみるところ模倣の所産である。同じ地域のなかでは比較的短期間で模範は伝播する。そして地域と地域の間には境界的な部分があって、そこを行き来する人たちがいる。だから世界の隅々まで、昔から模倣は伝わっていたというのがタルドの見解である。グローバリゼーションということばなどない時代から、世界は模倣でつながっていた。
 
 タルドの議論は、広く生命界はもとより物質の世界にもおよび、原子や分子も模倣しあっているという記述すらある。この議論はちょっと分からない。しかし、日本の近代化はすなわち欧米列強の模倣であり、東アジアの国々が日本の経済発展を野方したと考えれば、マクロな歴史もまた模倣としてとらえることが可能になる。模模倣の理論の射程には大きなものがある。

かっこよかったイルカショー<小学校3年男子>・(これぞ最高傑作!・声に出して読みたい傑作選93)

2009-10-17 06:29:04 | Weblog
ぼくは10月7日に江ノしまえんそくにいきました。
 ぼくはイルカショーをみにいきました。
 イルカがジャンプしたら水がちょっとだけとんできました。えんそのにおいがしました。ぼくはイルカショーをはんで見ました。

 ぼくと美月君はよくけんかをします。
 えんそくでも3回ぐらいけんかをしました。イルカショーをみたら麗香ちゃんと美月くんがいなくなりました。ずっとまっていたらかえってきました。2人とも息ぎれをしてへとへとでした。
 そのあとべんとうをたべました。ごはんにすながはいってたべられなくなってしまったのでしかたなくかしをたべました。すぎ山くんにかしを10こもらいました。10秒でたべました。おれいにミンツをあげました。
 もらったおかしがおいしかったです。

 かえりにさいとうせんせいにもんだいをだされてあたりました。かえりのでんしゃはきゅうこうでかえりたかったです。けっきょくかくていでかえりました。
 でんしゃにのるまえに石くらさんにとけいをこわされました。先生になおしてもらったけど、じかんがくるってつかえませんでした。でんしゃは20分ぐらいでよいました。よってでろでろになっていたらさいとうせんせいにたたかれました。そのときにひろったかいをおとしました。
 でもけっきょく美月さんのしたにありました。つぎになんにもしてないのにさいとうせんせいにけられて、あしのつけねのあたりに大きなあざができました。かなりいたかったです。えきにつくまえにはきそうになりました。えきにつくすんぜんにたおれそうになりました。
 えきについたらあしがいたかったです。
 ちょっとあるいたらなおりました。かえるときもたのしかったです。
 みんなさわがしくてだぢゃれを1人でブツブツいっていました。
 木にぶつかっていたかったです。

韃靼人風き○たまの握り方

2009-10-14 13:15:00 | Weblog
 中学生にネイティブの英語にふれさせようと、ALTという制度が定着している。骨子が中学生に入る以前から定着している制度で、子どもたちの評判も良好だ。かなり厳しい選考基準があるようで、不良外国人の類はきちんと排除されているようである。また肌の色も様々で、おかしな人種主義とは無縁であることも好ましい。

 しかし問題もある。公立中学では英語が週3時間しかないのに、1時間をALTの時間として使っている。子どもたちは楽しいようだが、これでは基本的な英語の教科内容が身に付かないのではないか。骨子も中学入学当初は英語を苦手としていた。きれいな単語帳を作りながら「単語って暗記しないといけないの」などといっていた。b動詞のことを「美動詞」などともいっていた。学校の英語教育では、会話よりも文法等の基礎力を身につけることが大切だと思う。

 太郎が習っているALTは、シェイクスピア先生。先祖をたどれば、かの文豪に行き着くのだろうか。カナダの人らしい。「カナダのシェイクスピア」。何やらポストコロニアル文学のようではある。小学校にも不定期だが、ALTはやってくる。骨子が小学校3年生の時、ジェファソンという先生がやってきた。「建国の父」の一人と同じ名前だ。シェイクスピアにジェファソン!日本人に置き換えれば、弟は「夏目先生」に習い、姉は「山縣先生」にならったというところか。山縣有朋と同列に語られれば、トマス・ジェファソンは怒るかもしれないが。

 「山縣先生」が、教えていた時のことである。やんちゃなA君が突然先生の前にあらわれ、先生の股間に手をやった。そしてなんと力いっぱい先生のき○たまを握り締めたのである。カリスマ教師の呼び声も高かった担任の男の先生は、その男の子をひっぱたいてこう叫んだ。「お前、ひとのき○たまにぎるなぁー」!傍らでは、「山縣先生」が悶え苦しんでいたことはいうまでもない。

東大ノート

2009-10-10 10:25:37 | Weblog
まじめで成績もよいのだが、何故か授業はいつも後ろの席で聴くいる学生がいる。どうして前の方で聴かないのと尋ねると彼女はこう答えた。前の方の席で聴くとどうしても先生と目があったりする。そうするとうなずいたりしないといけないからとても疲れる。中学高校の時に自分は、「まじめな生徒」を演じることにエネルギーを使いすぎて、勉強の実質がおろそかになってしまった。だから大学では後ろの席に座ることにしたのだと言っていた。ただ私語のひどいクラスだと、先生の言っていることがよく聞こえないのが難点だとも言っていた。

 「まじめな生徒を演じる」。女子生徒に多そうなパターンである。いまの「関心・意欲・態度」を重視する内申制度のなかでは、実質的な意味があるのだろう。女の子ばあい、きれいなノートを作ることに熱中してしまい、内容の理解がおろそかになってしまう場合も少なくない。骨子もそういうところがあった。びっくりするぐらいきれいな単語帳を作っているのに英語の成績がさっぱり振るわない。それもそのはず「単語って覚えないといけないの」などと言っていた。

 そう考えると『東大生のノートはかならず美しい』という本は眉に唾して読むべきではないか。太郎の友だちのお兄ちゃんは東大生だが、中学の時にはひどく乱雑で内申は途方もなく低かった。勉強のよくできる人がきれいなノートを作るのだとすれば、大学教授の黒板は大変読みやすいはずだ。しかし多くの場合、教授たちの板書の評判は最悪である。内容に注意が集中していれば、ノートをとることじたいはおろそかになることは大いにありうる。「美しいノートをとる東大生もいる」という程度であれば嘘ではないだろうが。

 やっぱり形から入ることには無理があるような気がする。大学受験で成功したければ、ノートのとり方を気にするより、まずガリガリと勉強しなければならないのではないか。

見捨てられた若者たち(日本海新聞コラム潮流・9月29日掲載分)

2009-10-07 08:48:01 | Weblog
「数は力なり」。故田中角栄元首相の名言です。民主政治は多数決原理で動きます。多数者が優位に立ち、少数者は苦しい立場に置かれます。日本はすっかり少子高齢社会になりました。しかも年齢の高い人ほど熱心に投票に足を運ぶ傾向が強い。1980年の総選挙では20代の投票者が70代の2倍いたのに、05年の総選挙ではその比率が逆転しています(「東京新聞」8月3日)。これに60代50代を加えれば、中高年の投票者の数は20代の数倍に達するはずです。当然、日本の政治は中高年の利益に奉仕するものとなります。

 相次ぐ総理大臣の政権投げ出し。長期化する景気の停滞。そして小泉改革が広げた格差への憤り。自民党が今回の総選挙で惨敗した原因は様々にあげることができます。しかしそれより何よりしかし人間の数が多い、すなわち強い力をもつ中高年を怒らせてしまったことが致命傷となりました。後期高齢者医療制度は75歳以上の方とその予備軍の怒りを買いました。そして年金問題はやはり大きかった。一番数の多い「団塊の世代」が年金を受け取る年代にさしかかっているからです。今回の自民党の惨敗は「中高年の乱」がもたらしたものといえます。

 どの政党も年金問題を大きく取り上げていました。中高年の歓心を買おうと必死の様子が伝わってきます。手厚い子育て支援策や様々なレベルの学校の無償化案も各党の目玉商品でした。しかし、時ならぬ『蟹工船』ブームで若い入党者を大幅に増やした共産党を例外として、どの党も若者に対して冷淡であったという印象を禁じえません。「若者が安定した仕事に就き、結婚することのできる社会を作ります」とマニュフェストで謳った政党は、一つもありませんでした。若者の歓心をかったところで票にはならないからです。

若者が投票に行かないことにも問題があるという反論が聞こえてきそうです。そうかもしれません。しかし若者たちに選挙に関心をもてという方が無理な注文に思えます。若者たちは年金をめぐる議論にしらけきっています。それが遠い将来の話だからではありません。自分たちは年金など貰えるはずがないと思っているからです。若者たちの多くが自分は生涯結婚できないのではないかという不安を、もしくは結婚できないであろうという諦念を抱いています。その人たちに子育て支援の話を聞かせるのは趣味の悪い冗談でしょう。

各政党が、若者を無視した政策を作る。すると若者の足は投票からさらに遠のき、政党はますます若者を無視するようになる…。そうした悪循環があることは否めません。「右肩上がりの時代」の恩恵を享受した挙句「逃げ切り」をはかる中高年。中高年の愚行のつけを担わされ苦難の人生を送ることが予想される若い世代。いまの日本には若者と大人の間に大きな断層と不平等とが横たわっています。中高年の利益にひたすら奉仕しようとする新政権がこの断層をさらに広げるのではないか。そうした危惧を私は禁じえないでいます。

移植記念日(B型10歳の誕生日・声に出して読みたい傑作選92)

2009-10-04 10:39:59 | Weblog
10月3日の正午ごろから始まった心臓痛は数時間に及びました。本当に死ぬほどつらい経験でしたが、中村江里子似の女医さんの打ってくれた鎮痛剤が効いて、あっけなく寝入ってしまいました。目覚めたのは翌朝の8時。痛みはウソのようにひいていました。中村江里子が来て、昨日の検査結果をいろいろとみせてくれます。症状は完全に心筋梗塞のそれだが、心臓にはどこも悪いところはなく、心電図も正常。ただ炎症反応が爆発的に上がっているとのことでした。いまにいたるまでその原因は分かっていない。謎の心臓痛です。

 続いて尾美としのり似の病棟での主治医が部屋にきます。移植の予定を一日早めるのだと言います。ぼくの移植の方法は抹消血幹細胞移植。薬でドナーの抹消血中の白血球を増やして、それを採血してそこから造血幹細胞を抽出する方法です。ドナーになってくれた兄の薬の効きが大変によくて、順調に白血球が増えているので予定を早めるのだということです。はっきりとは言いませんが、この心臓痛も予定を早める一因になったようです。

 移植は第二の誕生日。家族を呼んで、ポラロイド写真の記念撮影をします。もっとも、家族は無菌室のガラス越しに撮影に加わるのですが。ぼくは自宅に電話をします。無菌室の電話線が切れて何が私の身に起こっているのか分からず、不安な一夜を過ごした妻が「どうしたの?昨日は!!」と息せききって尋ねますが、何しろこちらも気息奄々。「いや、ちょっと心臓が…」と言うのが精一杯でした。移植が一日早まって今日の夕方になった。桜が学校から帰ったらこちらまで来てほしい。と用件だけを告げて電話を切りました。

 移植の開始は当初夕方の6時からということでしたが、なかなか始まりません。準備に手間取っているようです。無菌室の窓の向こうには家族3人の顔が見えます。インターホン越しに話をしようにもその気力もありません。この待ち時間は非常に長く感じました。7時前になってようやく準備が整いました。移植には何やら儀式めいたものがあります。看護婦さんがおごそかに宣言しました。「ただいまより、加齢御飯さんのMDSRAに対するPBSCTを行います」。ぼくは、それでは何のことだかわからないので日本語で話してくれと、しゃれのつもりで言うと「…骨髄異形成症候群不応性貧血に対する、抹消血幹細胞移植…」。うーん、やはりわからん…。

 兄の骨髄液が病室に入ってきました。「トマトケチャップ」(桜)が250ccづつ2パック。これを点滴して翌日もまた同じことをします。それで移植はおしまい。点滴がはじまったところで記念撮影です。「イェーイ」のポーズをとって無理に微笑むのですが、後から写真をみると泣いているようにしか見えません。憔悴しきっていて死相すらあらわれています。窓の外をみると、太郎はワンワン泣いています。桜は、食い入るようなまなざしでぼくの方をみています。子どもたち二人は、父親の変わり果てた姿にショックを受けたのだろうと、その時は思いました。ところが…。

 病院のなかにはマクドナルドがあります。太郎は何度か見舞いにきて、マックに行くのを楽しみにしていました。ところが、マクドナルドは7時に閉まってしまう。移植の始まりが遅れてマックに行けなくなった。だから泣いていたということでした。桜は、点滴棒に吊るされた袋の数を何度も何度も数えていたようです。「14個もあった。あれを間違えずにつけるなんて、看護婦さんって大変な仕事だね」と帰りの電車のなかで妻に話していたそうです。二人ともぼくの様子にショックを受けていたわけではなかったのです。

 「あの時はあぶなかったね」って、医者が言うから
 10月4日は移植記念日

十年一昔

2009-10-01 00:09:17 | Weblog
私が骨髄移植をうけてからの10年間。医学の進歩には目覚ましいものがあります。10年前にはまだインターフェロンで発症を遅らせる他治療法がなかった慢性骨髄性白血病にグリベックという特効薬があらわれました。最初は途方もなく高価な薬だったのですが、保健も効くようになり、いまでは多くの患者さんがその恩恵に浴しています。

無菌率99.9%状態という、あの鬼のようの無菌室も姿を消し、患者さんの闘病も人間らしい環境で行われています。骨髄移植の年齢上限も50代前半と当時はいわれていましたが、簡便な移植法が開発された影響もあり、いまでは10歳近くその年齢も上がっているようです。現在浅野元宮城県知事が、骨髄移植のドナーがあらわれるのを待っています。フルマラソンを何度も完走した頑健な浅野さんのことです。移植さえできればきっと健康を回復されるはずです。

私が罹った骨髄異形成症候群もその発症の原因が明らかになったという報道がありました。原因が分かれば自ずと治療法も定まってきます。10年前に同じ病気に罹るより、いま罹った方がはるかに生存確率は高いし、その予後も安定したものになることは間違いありません。このことはとくに血液関係の疾患について言えます。

  しかし患者さんの社会経済的条件は悪化しています。私は入院中に数百万円を支払いましたが、そのほとんどが還ってきました。月の治療費が4万円を超えた分は還付されていたからです。ところがいまはその額が万円に上がっています。10年前私は自分が死んだときのことを考え、遺族年金の計算をしょっちゅうやっていました。だいたい20万円を超えるぐらいだったと記憶していますが、いまではこれも大幅に減額されているはずです。きちんとした休業保証のある会社や高額医療費を払える人の数は、10年で激減したことでしょう。社会経済的条件の悪化は、医学の進歩による恩恵を相殺して有り余るものがありそうです。