ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

模倣犯

2008-07-30 08:19:51 | Weblog
八王子の書店で、アルバイトをしていた女子大生が、若い男に刺殺された事件には、非常なショックを受けました。私のゼミの卒業生が、この本屋でバイトをしていたことがあったからです。

 犯罪はむしろ減っているのに、治安が悪化しているという印象をもつ人が増えている。以前なら凶悪犯罪が起こらなかった住宅地などでの発生件数が増えていることが、治安悪化の印象が形成される要因の一つとなっていると指摘する犯罪学者もいます。たしかにこれと同じ事件が夜の盛り場でおきるより、本屋のほうがよほどショッキングでしょう。骨子も大学生になったら本屋でバイトをしたいと言っていました。絶対安全なはずの場所で起こる凶悪事件は、人々に大きな不安を与えます。

 そして、メディアの過剰報道も「治安悪化」を印象づけている大きな要因です。それどころか過剰報道それ自体が、凶悪犯罪を誘発している面のあることは否定できません。この事件も、あの秋葉原の事件がなければ起きていなかったでしょう。そして、「家族の問題」を犯罪の動機としてあげる事件が、この後頻発しています。タルドがいうように、社会を動かす大きな力は模倣です。テレビは声高に事件の再発防止を訴えていますが、凶悪事件の扇情的な報道を控えることが、再発防止のもっとも有効な手だてのはずです。

 被害者は中央大学の4年生。賢そうなお嬢さんです。しかしフジテレビの朝の番組での小倉智昭氏のコメントはいただけなかった。秋葉原の事件でも東京芸大の学生が犠牲になった。今度は中央大の女子学生。立派に育てたのにご両親はどれだけ残念だろうか、と小倉氏は言っていました。 一流大学の学生を亡くすと親はとても残念だ。ではいわゆる「落ちこぼれ」の子どもを亡くした両親は「より少なく」残念なのでしょうか。人の命に学歴で区別をつける、とても不愉快な発言として受けとめました。

世界征服

2008-07-28 12:16:48 | Weblog
 大学生のころ、酔っ払って友人宅にころがりこんだことがあります。その部屋に彼の中学校の卒業文集があったのでなんとなく開いてみたところ、「将来の夢」の欄に彼は「世界征服」と書いていました。「冗談だよね」というと、「いや、当時はマジで考えていたなあ」。

 大学院生の頃、ピアジェの本を読んでいたらこんなエピソードが出てきました。どこかのリセの先生が、非常に優秀な低学年の生徒(日本の中学生の年齢)が「街のまんなかに将来自分の大きな銅像が建っている」という作文を書いていた、この子は誇大妄想狂なのではないかという相談をピアジェにしてきたそうです。14歳で大人なみに頭脳は完成するが、いかんせん入っているデータは少ない。だから非常にとっぴなことを考えつくのがそれぐらいの年齢の人たちの特徴で、その子はむしろノーマルな発達段階を踏んでいる。これがピアジェの回答でした。

 修学旅行で日光東照宮の威容に感動した太郎は、やはり「将来の夢」という作文に、「天下を平定して神とあがめられ、どこかに祀られたい」と書いていました。太郎も来年は中学1年生。私の友人も太郎君も、ピアジェの言が正しいとすれば「ノーマルな発達段階を踏んでいる」ことになります。そういえば中学生の頃にはぼくも、ドストエフスキーのような大文豪になるんだとかいっていたなあ。この年代の女の子はどんな誇大妄想を抱くのでしょうか。

 友人とのやりとりの続きです。「まさかいまはそんなこと(世界征服)考えてないよね」とぼくがいうと、「いや、まったく考えていないわけではない」。彼は大蔵省(当時)のキャリア官僚になりました。将来を見据えての職業選択であったはずです。世界征服の野望への第一歩と考えていたのでしょう。それから30年近くがたちますが、幸か不幸か世界はまだ彼の手に落ちてはいません。世界征服は、ただならぬ困難を伴う企てのようです。

ブラバン甲子園

2008-07-25 08:44:02 | Weblog
 ブラスバンドの演奏のない高校野球なんてクリープのないコーヒーみたいなもの。高校生になった骨子もS高野球部の応援に行ってまいりました。吹奏楽部の定期演奏会には必ず野球部員が全員来ます。お互い様というところでしょうか。場違いな坊主頭が会場をうろうろしているのが、なんとなくおかしい。

 吹奏楽のコンクールに行くと、あの海軍旗みたいな旗が掲げてあります。高校野球と同じで吹奏楽のコンクールも朝日新聞の主催です。野球の90回に対して吹奏楽は今年で56回。その歴史から言って、吹奏楽は野球の妹分です。吹奏楽の場合、女子部員の比率が圧倒的に高いことからも「妹」の比喩は当たっているでしょう。

 野球の甲子園と同じように吹奏楽にも聖地があります。東京杉並にある普問館という、5000人を収容する巨大ホールがそれです。立正佼成会の持ち物ですが、この教団は、東京校成ウインドオーケストラという、日本を代表する吹奏楽団のオーナーでもあります。吹奏楽に力を入れています。

 吹奏楽も野球と同じように、頂点を目指して、日々激しい練習が行われています。吹奏楽はどこの学校でも、練習時間の長さを野球部と競っているのではないでしょうか。甲子園大会の過熱化と勝利至上主義が、野球の世界を歪めているのと同じ構造が吹奏楽の世界にもあるのではないか。吹奏楽部は文化部というより、「競技部」という印象。コンクールで金賞をとることが至上命題になっています。

 甲子園大会の予選と、吹奏楽の県大会は同じ時期にあります。コンクールに向けて猛練習をしているさなかに応援にかり出されるのですから吹奏楽部員は大変。今年のS高野球部は7年ぶりに3回戦に進出を果し、同じ市内の進学校O高と対戦。「相模原の早慶戦」(?)はS高が7回コールド負け。野球のルールは全然分からない骨子ですが、同じ偏差値で家から5分のO高ではなく、わざわざ1時間かかるS高を選んだだけに悔しそうにしていました。
 

 

白鯨(祝52歳のお誕生日・声に出して読みたい傑作選56)

2008-07-22 08:13:37 | Weblog
 中学一年の時の担任だったK先生は、英語弁論の達人だった。「T市で唯一、RとLが発音し分けられる男」、「長年の修練の結果、彼の舌は石になっている」等々、多くの伝説に包まれた人物でさえあった。教師としての彼は、中学生を大人扱いする人だった。彼の出した夏休みの宿題がふるっていた。「夏休み中に一度、徹夜をすること」。徹夜するぐらい熱中できる対象をもたない人生はつまらない。それが先生の持論だったのである。

 この「宿題」をぼくはとても新鮮に感じた。小学校の先生たちは夏休みに入る時、判でおしたように「規則正しい生活を」と繰り返していた。それをK先生は、「徹夜せよ」、「熱中せよ」というのだ。ぼくは徹夜をしてメルヴィルの『白鯨』を読むことにした。前年の夏、影丸譲也が『少年マガジン』誌上で劇画化していたのを読んでいた。ものすごく面白かった。今度は「大人の本」で読んでみようと考えたのである。早速本屋で文庫本を買った。

 執念で白鯨を追い求めるエイハブ船長の冒険には心踊るものがある。しかし、こちらも生涯最初の徹夜に挑むのだ。心の高まりはいささかも、かの老船長に劣るものではなかった。しかし、うんざりするほど長い本だ。とても一晩で読みきれそうにはなかった。それでも、とにかく7月21日を「冒険敢行」の日と決めた。13歳の誕生日の前日である。夜9時に『白鯨』を読み始める。9時にはもちろん意味がある。クジラと「9時だ」を掛けたのだ。

 クジラにまつわる長い長いぺダントリーが気になってそこから読み始めた。気がつくと日付けが変わり22日。ぼくの誕生日だ。エイハブ船長がドアを開けて酒場に入って来る最初の場面を読み始めたまさにその瞬間、ぼくの部屋のドアが開いた。大学受験浪人中の兄がそこにいた。「まだ起きとっただかいや。ああ、今日はお前の誕生日だなあ。お祝いをしようで」。兄は冷蔵庫から何本もビールをもってきた。ぼくたちはそれを次々と空けてしまったのである。翌日、ぼくは生涯最初の二日酔に苦しんでいた。トイレでもどしながら、ぼくの頭にはこんなフレーズが渦巻いていた。「吐くゲー、はくげい、白鯨…」。正直に言おう。ぼくは、この大作をまだ読み通したことがない。

羞恥心

2008-07-20 05:46:41 | Weblog
 デービット・リースマンは日本に来た時に、街に溢れる漢字をみて、この複雑な文字の習得を求められる限り日本人のなかに反知性主義が優越することはないだろう、と述べています。日本人が手で文字を書いていた時代には、リースマンの言は妥当したと思います。しかし、パソコンが普及した現在では、曖昧に文字の形と意味とを覚えていれば、事が足りるのです。漢字が「反知性主義」の防波堤になるとはいえないでしょう。羞恥心を「さじしん」と読んだ人たちが、それ故に人気アイドルになったことは何かを暗示しています。
 
 骨子は、現在高校一年生。吹奏楽部の活動に明け暮れています。市内の別の高校の吹奏楽部の定期演奏会に、花束を贈るために同級生と花屋さんに行き、店員さんにこう頼みました。「領収書をください。『S高吹奏楽部』でお願いします」。ところが店員さんは、どうしても「奏」の字が分かりません。骨子たちは宙に「奏」の字を書きます。「ああ、分かりました」と店員さんは手を打ちます。領収書にはこう書かれていました。「S高吹秦楽部様」。

 S高は、一応進学校ということになっています。しかし油断はできません。高校野球の応援は、吹秦楽、もとい吹奏楽部の重要な行事の一つです。上級生の幹部団員が、プリントを配りながら応援の要領の説明をしています。骨子はそのプリントを見て目を疑ったといいます。「小田急線で、原木方面行きの電車に乗ってください」。正しくは「厚木」です。

 骨子の現代国語のクラスで芥川の『羅生門』の本の帯のコピーを考えてくるようにという課題が出されました。提出された課題に対する先生の講評。「いや、みんな大変よく書けていましたよ。ただ芥川を茶川と書いた人がいたのは残念だった。まあ、『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画のなかで、茶川という売れない作家が出てきたからその影響かな」。うーむ。そういう問題なのだろうか。


永久欠番(悲劇から一年・声に出してよみたい傑作選55)

2008-07-16 08:03:19 | Weblog
7月15日の深夜、近所で大きな火事がありました。両親は2階から飛び降りて無事でしたが、骨子と同じ中学に通う二人の子どもが犠牲になりました。3年生のM君は骨子と小学校が同じで何度も同じクラスになっています。弟のH君には、この3月まで太郎が吹奏楽の同じパートの先輩としてお世話になりました。昨年秋の水戸であった吹奏楽の大会には、M君が応援に来ていました。大変仲のよい兄弟だったようです。M君は一度はベランダに出ていたのに、弟を助けようとして部屋に戻り犠牲になったという説があります。

 連休明けの火曜日。朝の全校集会で二人の死が告げられました。全員で黙祷。兄のM君のクラスでは、彼が作った修学旅行の新聞の前に女子生徒が群がり号泣していたそうです。バドミントン部のエースで、ミュージシャンになるのが夢だったという、かっこよくてやさしいM君は、女の子に大変人気がありました。兄弟のお母さんはフィリピンの方です。その南国的で陽性な気質を受継いだのでしょうか。二人とも明るく愉快な性格で、悪い評判はまったく聞かれませんでした。

 骨子のクラスの担任は熱血体育教師。「お前らなぁ。Mの無念を思えば、安易に死のうなんて絶対考えるんじゃないぞ」といってそのまま泣き崩れてしまいました。先生になってまだ3年目。教え子の死にはじめて接したのでしょう。 国語の中年の女の先生は、M君の去年の担任。中島みゆきの「永久欠番」の歌詞を配り、CDをかけていいます。「毎年卒業式の前にこれを配るのにね。こんなに早くこの歌を聴くことになるなんて…」。この先生もやはり泣き崩れてしまいました。

 火事の翌日は海の日。バドミントンの大会当日です。M君と組んで春の大会のダブルスを制したA君は、この大会の第1シード。顧問の先生は、事態をA君に告げ、ペアを代えてダブルスの試合に出るよう促します。しかしA君は、「ぼくはM以外の奴とペアを組むつもりはありません」といって棄権し、そのまま部活を引退してしまいました。終業式の日には1学期に活躍した生徒が表彰されます。M君とA君の名前が呼ばれました。壇上には悲しみにたえて一人毅然と立つ、A君の姿がありました。


よみがえれ、「投手王国」

2008-07-11 19:16:25 | Weblog
鳥取県の人口は60万人。47都道府県中最少である。しかしこの県は、たくさんの著名なマンガ家を輩出している。水木しげる、青山豪昌、谷口ジロー、山松ゆうきち、篠田ひでお…。まさに枚挙に暇がないほどである。人口比に対する著名マンガ家の数は、おそらく全国一だと思う。

 そして鳥取県は稀代の投手王国でもある。350勝の大投手、米田哲也。日本と韓国で大活躍した故松原(福士・張)明夫。江川卓とのトレードが話題となった「細腕サブマリン」小林繁、そして川口和久、加藤伸一…。プロでは大成しなかったものの、甲子園で1試合16三振を奪い、準完全試合を達成した田子譲二(鳥取西)の名も忘れ難い。

 マンガ家と野球のピッチャー。「一人黙々と」というのが、その共通項だろう。野球は9人でやるものだが、よくいわれるようにマウンド上のピッチャーは孤独である。周囲とうまくやっていくことが苦手で、しかし粘り強く、そして実は密かに自己顕示欲が強いという鳥取人にはぴったりのジャンルである。

 しかし近年、鳥取県からは豪腕投手が出なくなった。上に名前をあげた往年の大投手たちは、鳥取の山野を駆け巡って、強い身体能力を培っていたに違いない。そうした環境が、いまや失われてしまったのだろうか。昔の子どもたちは、無手勝流の草野球から出発していた。いまは、小さい頃からクラブチームに入って、大人の指導を受ける。そのことがかえって子どもたちの豊かな才能を撓めてしまっているのではないか。

 80年代までの鳥取県代表は、侮りがたい力をもっていた。全国にその名の轟いた強豪に何度か土をつけている。ところが近年の鳥取県勢は不振を極めている。体格に恵まれない鳥取の球児たちはでは打力では劣る。幸い今年は、プロも注目する好投手が何人かいるようだ。今年が「投手王国鳥取」復活元年となることを祈りたい。

働きマン

2008-07-06 09:41:35 | Weblog
「就職超氷河期」と呼ばれた時期は随分長く続いたように思う。「超氷河期」ではもうなかったのかもしれないが、05年3月の卒業生あたりまでは、「就職状況は厳しい」といっていた。その翌年から劇的に就職状況は好転した。そして07年の3月に「空前の売り手市場」が喧伝されるようになる。まあ、このあたりの認識については大学によって差があるかもしれないが、一つだけ間違いのないことがある。就職市場は猫の目のように変わるということだ。

 「努力すれば報われる」と大人たちはいう。しかし就職機会と努力は何も関係がない。どの年に生まれたかで、どこの会社に入れるか、そもそも正社員になれるのかどうかが、劇的に違ってしまうのだから。若者の人生は何やらギャンブルめいたものになってきている。社会福祉や介護福祉の専攻は数年前まではどこの大学でもドル箱だったが、いまや不良債権と化しているところがほとんどだ。

 「就職超氷河期」に社会に出ていった私の学生のなかで、最初の職場にとどまっている人たちは3分の1もいないのではないか。起業したり、ヘッドハンティングされたり、「寿退社」をしたハッピーな部分も少なからずいる。しかし仕事が大変で身体や精神を壊して辞めていった人たちが圧倒的に多い。自分は女の子だから割合気軽に会社を辞められた。これが男の子だったら過労死していたのではないか、といっていた学生がいた。それを自分からいう者はいないが、セクハラを受けたことが原因で会社を辞めた人も少なくはないと思う。

 大学は就職率の高さを誇る。しかし、正規雇用にありつけばそれで万々歳というものではない。どんな「いい会社」に入っても、身体を壊せばそれで終わりである。そして、現在の職場はまだまだ女性に差別的である。あたかも男女平等が実現したかのように思い込んでいる学生たちにそこをどう伝えていくのか。頭の痛い課題である。


久しぶりの鹿児島

2008-07-02 06:44:59 | Weblog
 前任校で学会があり、シンポジウムに登壇するために先週末鹿児島を訪れました。実に8年ぶり。新幹線が通ってから始めての来訪です。新幹線開通にともなって旧西鹿児島駅は、鹿児島中央駅に改名しましたが、その変貌ぶりには驚きました。「西駅」時代はひなびた駅舎だったのが、ショッピングモールつきの巨大なビルディングに。大きな観覧車までついています。

 臨海部には、大きなショッピングモールがいくつもできていて、消費の中心は天文館から中央駅と臨海部とに移った感があります。幼稚園児だった娘と「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」をみた、懐かしい天文館の映画館はみんな潰れて、映画をみるためには、中央駅とのシネコンに行くほかありません。山形屋デパートで買い物した後、天文館で映画をみて外食をする。鹿児島市民が慣れ親しんで来た楽しみのパターンが失われたのだなあ、と寂しい気持ちになりました。

 かつては新幹線の開業に伴うストロー効果が懸念されていました。新幹線ができて便利になった分、鹿児島から様々なものが福岡に吸い込まれていくのではないかという懸念です。まだ八代までの部分開業なので、それは顕著になってはいないようです。

しかし、新幹線が止まらない阿久根のような町では地域交通の便が極端に悪くなっています。新幹線の開通は鹿児島県内の地域間格差をいよいよ広げ、鹿児島市へのさらなる人口集中を生みそうです。それを見越して、私が住んでいた市の南部の地域では大規模な宅地造成が行われていました。私の旧居を訪ねてみましたが、近隣には高層マンションが林立し、個人の小さなお店は軒並み潰れていました。

 鹿児島は「篤姫」ブームで沸き立っていますが、どこか空疎に感じました。歴史豊かな鹿児島の街が、ショッピングモールが象徴するスプロール現象という名のシロアリに侵食されているという印象を禁じえません。