ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

ありがとう さようなら 先生♪

2008-12-22 06:46:03 | Weblog
 太郎は来春、小学校を卒業します。卒業文集を作る季節になりました。太郎の作文に、先生からなかなかOKが出ません。最初書いていたのは詩のようなもの。「木に登って落ちてみる 川にはまって流された 天上天下唯我独尊 尊王攘夷佐幕論」。漱石のようでもあり、あいだみつおのようでもあります。友だちとのトラブルの多い6年間だった。自分は人とうまく折り合っていけないたちなのだろうかという感慨も述べられています。しかし先生はだめだという。ネガティブなトーンがよくないのでしょか。

 次に太郎が書いたのは「貧しい人がいて、セレブがいる世の中はおかしいから変えていかなければならない」といった内容の作文。太郎はまじめにそう考えたのでしょう。しかし、先生は「社会や個人の批判はだめ。未来に明るい希望を語って」と書き直しを命じます。社会の批判はしても個人の批判をしたわけではないのに。

 「88年後、ぼくとまさと君は100歳の誕生日を祝っていた」と書いたはよいが、話しが後につながりません。次に太郎が書いたのは自分のケガの歴史。ピーラーで指を切った、転んで手の骨を折った。いくつもいくつもけがの話しが出てきます。しかしこれもだめだという。「その時、血がドバーと吹き出た」という表現がグロいという。

 修学旅行で日光に行って東照宮を観てからから歴史に興味をもち、ぼくは歴史オタクになった。大人になったら歴史学者か、宮内庁で古文書の補修をする人になりたい。この作文でようやくOKがでました。絶対に凡庸で無難な文章を書かせてやる、という担任の執念のようなものを感じました。太郎の学年は、3年生から3年間、どこかのクラスが学級崩壊を起こしていました。太郎も吹奏楽以外によい思い出がないし大人には不信感をもったと言います。「小学校は楽しかったです」とだけは絶対に書きたくなかったのでしょう。その気持ちは分かります。

6 コメント

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豊橋祭り (hikawa)
2008-12-22 16:55:20
 こちらのまちには豊橋祭りという祭りがあるのですが、小学生たちはその祭りにあわせて共通の素材をもとに何かを作り、それを豊橋公園にデコレーションします。数年前のこの祭りで、子供たちに小さな箱がたくさん渡されました。20×45センチほどの蓋つきの箱だったのですが、これを手にとった小学生は数千の棺おけを作り、そのなかに凄惨な死に様をする人形を作っていれてしまいました。

まぁ、公園の中に数千の棺おけが並んだ姿は、それは壮絶でした。ミニミニボスニアが祭りで華やぐ町に突如として出現したのです。僕のような人間は腹を抱えて笑うのですが、多くの人は突如、死の公園になった市の公園で眉間に皺をよせて「なにか子供たちの間でおこっているんでしょうか」とひそひそと話し合っていたのですが、逆にこれが子供の生命力なんですよねと僕は眉をひそめる大人たちにいいっていました。
子供は死ですら遊びにする。それをまたすぐに忘れもする。それは柔軟で、大人にとっては理解できないこともある。大人のために翻訳された世界や感動をよぶようなものは逆にうそっぽいように僕には思えるんですよね。

昔、被爆者の親戚に聞いたことがあるんですけど、被爆した子供たちは、その当時「ぴかどんごっこ」という遊びにふけっていたそうです。ぴかどんというとみんなが倒れるだけの単調な遊びらしいですが、こうした風俗史とよんでもいいようなものは大人たちによって抹殺されてしまうのですが、こういのこそが子供の生命力を示すものだと思うんですよね。
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サドの幼児性 (hikawa)
2008-12-22 17:08:33
マルキ・ド・サドの本は読む人によっては、とても不愉快な本なのですが、これをコミック的によむとこれでもかこれでもかと書き付ける変態性愛と残虐シーンは、僕にとっては笑えてしまうんですよね。(うつくしいとは決しておもわないけど)ああした、激しいことを書きながら時として、人間が万物の支配者じゃないというようなことを作中人物に書かせたりする。あるいみこういう人間は万物の霊長じゃないというような近代哲学の骨幹になるようなことが書ける。これは子供性の高い表現者だったから可能だったとも思えるんですよ。
子供の表現の中には未来が詰まっている。
それが表現活動でありリアリティにかけてもいいものならば、子供の表現に制限をかける必要性はまったくないんじゃないでしょうかね
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役人 (加齢御飯)
2008-12-22 17:51:35
 「子供の表現の中には未来が詰まっている。
それが表現活動でありリアリティにかけてもいいものならば、子供の表現に制限をかける必要性はまったくないんじゃないでしょうかね」

 hikawaさま。教師は本当に役人に成り果てたと思いました。太郎の学校をみていてそう思います。子どもは変わったことを言ったりやったりしたがるもので、それを面白がる精神がないのであれば小学校の先生などになるべきではないでしょう。この担任はミュージシャンで子どもが好きで小学校の先生になったという30代の男性ですが、遊び心がある人にはみえません。

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教員文化 (かつのり)
2008-12-23 10:23:17
以前、近くの公立中学で図書館のあるバイトをしようと思ったことがあります。面接のとき、職員室の中を通ったのですが、子供のときの通り、すごく嫌な空気で充満していました。私が40を超え、教師ともある程度近いことをしているのですが、全くの別世界だったのです。

ちなみに面接では、すごいことを聞かれました(笑)。「もし生徒が倒れていたらどうするか」ですよ。図書館と職員室の距離だとか部屋に電話があるのかとか、そういうことも全く知らないのに、です。煙を巻くというか、エラソウにするための質問でした。

ただし学校によって雰囲気は違うようですね。
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教員の判断力 (かつのり)
2008-12-23 10:30:56
僕は小学校高学年のときには、成績的には中の上と評価されていました。もちろん担任にです。

しかし、考えてみれば、100点がクラスで一番多かったこともありました。(ただしムラがあるので平均点はよくありませんでした。慶應にいった子と同じレベルまで落ちていました)。また、小六ではアインシュタインの本を読み、子供電話相談室で「ローレンツ変換」に質問をしていたのです。

そういう子を「中よりちょっと上くらいかな」と認識・評価するとは、湯山(担任の名前)ケシカラン節穴だなと後から思います。
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うーむ (加齢御飯)
2008-12-23 19:29:30
 「また、小六ではアインシュタインの本を読み、子供電話相談室で「ローレンツ変換」に質問をしていたのです」。

 太郎は文集の扉の絵を描く係りになったみたいです。立候補したというから不思議で先生もよく認めたと思います。隣の席の文学少女

 http://blog.goo.ne.jp/binbin1956/s/%BA%E1%A4%C8%C8%B3

と組んで描いた絵は抽象画のようでわけが分かりません。なんだかわけの分からない四角形が描かれているのでなんだと太郎に聞いてみると、「それはわれわれが乗り越えるべき壁だ」。うーん。
 
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