わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
金子みすずの有名な詩である。この詩には何の文句もない。ある小学校の校長先生が、この詩をえらく気にいって、その学校のすべての教室にこの詩を掲げさせたという話を聞いたことがある。「みんなちがってみんないい」という詩が例外なくどの教室にも。「私はみんながちがっていいとは思いません」という子どもがあらわれた時、この学校の先生はどう対処するのだろうか。
金子みすずの詩とならんで学校の先生が好きなものに、あいだみつおの箴言(?)がある。「人間だもの」という、あれだ。人間なのだから、小さな間違いや失敗は誰にでもある。それにこだわらずにおおらかに生きろということがいいたいのだろう。ぎすぎすした世相のなかでこのことばに「癒し」を感じる人も少なくないはずである。
しかし、「人間だもの」は恐ろしいことばではないのか。本能の壊れた動物としての人間は、どんな悪でもなしうるのだから。原爆を投下した飛行士が「人間だもの」といってもおかしくはない。歴史に名を刻む連続強姦殺人犯が、現場にたたずみながら「人間だもの」といってもまったく違和感はないのだ。イェルサレムの法廷で、何故大勢のユダヤ人をガス室に追いやったのかと問われたアイヒマンが、人間だもの」とうそぶいても、何の不思議もないのである。「人間だもの」で許されるのなら、なんでもまかり通ってしまうことになる。安易に口にすべきことばではない。
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
金子みすずの有名な詩である。この詩には何の文句もない。ある小学校の校長先生が、この詩をえらく気にいって、その学校のすべての教室にこの詩を掲げさせたという話を聞いたことがある。「みんなちがってみんないい」という詩が例外なくどの教室にも。「私はみんながちがっていいとは思いません」という子どもがあらわれた時、この学校の先生はどう対処するのだろうか。
金子みすずの詩とならんで学校の先生が好きなものに、あいだみつおの箴言(?)がある。「人間だもの」という、あれだ。人間なのだから、小さな間違いや失敗は誰にでもある。それにこだわらずにおおらかに生きろということがいいたいのだろう。ぎすぎすした世相のなかでこのことばに「癒し」を感じる人も少なくないはずである。
しかし、「人間だもの」は恐ろしいことばではないのか。本能の壊れた動物としての人間は、どんな悪でもなしうるのだから。原爆を投下した飛行士が「人間だもの」といってもおかしくはない。歴史に名を刻む連続強姦殺人犯が、現場にたたずみながら「人間だもの」といってもまったく違和感はないのだ。イェルサレムの法廷で、何故大勢のユダヤ人をガス室に追いやったのかと問われたアイヒマンが、人間だもの」とうそぶいても、何の不思議もないのである。「人間だもの」で許されるのなら、なんでもまかり通ってしまうことになる。安易に口にすべきことばではない。