ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

タミフル

2006-02-26 08:31:19 | Weblog
 娘の吹奏楽の友人二人が最近、相次いでインフルエンザに罹りました。大変だったみたいです。病気というより薬の副反応で。一人は躁病のような状態になり、もう一人は妄想を口にするようになったといいます。「薬をやめたら病気も治りました」とは後者のお母さんの言。薬とはあのタミフルです。 

 退院後も骨髄移植を受けた患者は、非常に感染に弱い状態に置かれています。私の場合12月初旬の退院でしたから、心配されたのはインフルエンザへの感染です。その年はインフルエンザの大流行が予想されていました。退院直前に尾美としのり似の病棟での主治医はこういっていました。「加齢御飯さん、インフルエンザの予防注射をしておいた方がよいかもしれませんが、副反応もきつい薬なので、しばらく様子をみることにしましよう」。

 退院直後で、しかもGVHDがかなり酷く肝臓にきていたため、相当の量の免疫抑制剤を使っていました。感染にはとても弱い状態です。悪いことにこの年は、インフルエンザが大流行したのです。当時は、上の娘が小学校1年生。案の定、学校でインフルエンザをもらってきました。子どもと隔離できればいいのですが、2LDKの狭い垂直長屋ではそれもかないません。下の坊主もインフルエンザにかかり、ついに私もやられてしまいました。

 病院に行くとせんだみつお似の助教授がまっていました。タミフルを処方するといいます。パーキンソン病によくきく薬でもあるという話を彼はしました。アトランタオリンピックの開会式で震える手で宣誓をしたモハメド・アリの姿が頭に浮かびました。強い薬ではないかと聞くと、「妄想が生じ、言語に失調をきたすこともある」と薬の注意書きを歌うように読み上げます。「副反応もきつい」というのがまさかここまでとは思いませんでした。

 幸いインフルエンザも大したことはなく、心配された副反応も何も生じませんでした。「毒をもって毒を制する」のが薬というもの。副反応のない薬などありません。鳥インフルエンザのように命にかかわる病気ならタミフルを使う意味もあるでしょう。しかし通常のインフルエンザでこんなリスキーな薬を使う必要があるのでしょうか。世界でも突出してタミフルの使用量が多い現状は異様です。薬品業界を儲けさせるための医療になってはいないでしょうか。この時わが家では、妻だけが感染しませんでした。ぼくが病後で、自分まで倒れたのではどうしようもなくなると彼女は言っていました。まさに母は強しです。

虹と雪のバラード2

2006-02-24 14:05:22 | Weblog
 すべては金の世の中である。スポーツの世界も例外ではない。一流の施設で優れたコーチの指導を受け、世界を股に転戦しなければトップクラスのプレーヤーになどなれはしない。アテネオリンピックで日本はたくさんの金メダルをとった。それと近年の日本の「経済復興」とは無関係ではない。「勝ち組」企業がバックについている選手がやはり強かった。

 トリノで日本勢は惨敗した。日本選手の圧倒的多数は、北海道・東北・信越地方の出身者である。東京の繁栄からは、置き去りにされた地域の人たちの集まりである。冬の競技の場合、大手のスポンサーが次々と撤退している。フリーター同然の身で細々と競技を続けてきた選手も多い。アテネの大勝とトリノの惨敗。その理由は、経済決定論で説明できる。

 そうしたなかで女子カーリングチームの活躍は、さわやかな印象を残した。北海道の田舎町の出身者たちが、青森市を基盤に活動していたチームが母体である。テレビでみていても平凡な地方の若い女性たちの集団という印象だった。それが世界を相手に堂々の闘いを演じたのである。彼女たちの健闘は、地方の若者に大きな励ましを与えたのではないか。

 日本チームだけではない。どの国のカーリングの選手も、平凡なおねえさんやおばさんたちにみえた。ベンチプレスで200kgを持ち上げる力持ちを集めても、100m11秒台のイダ天を集めても、IQ180超の頭脳を集めても、強いチームは作れない。心をこめてモップをかける、実直な人間がいなければカーリングは成り立たない。人を出し抜くことを旨とする拝金主義の対極にある、「凡人」が輝く競技である。

 女子フィギュアの金メダルでメディアは大騒ぎだ。ぼくはどうしてもこの競技が好きになれない。日本選手のパパたちの職業は、NTTの幹部社員に日航のパイロット。「勝ち組」のご令嬢たちがなさるスポーツではないか。こんな競技みるものかと天邪鬼をきめこむつもりだったが、結局今日も朝早くからテレビにかじりつき、荒川選手が金メダルをきめた時には思わず快哉を叫んでしまった。そんな自分をとても情けなく思っている。

医者もいろいろ

2006-02-21 07:34:07 | Weblog
 おしっこの管のことを書きましたが、それは瑣末な話。もっと大事な管があります。骨髄移植の過程では、膨大な輸血が必要です。経口での食事が困難になれば、栄養補給も点滴に頼ることになる。抗がん剤等の各種の薬も然り。大量の各種輸液を患者の体内に送り込むためには、動脈に太いカテーテルをいれなければなりません。まさにライフラインです。

 カテーテルを通す手術は、移植10日前に行われました。私の動脈が予想外に細かったために作業は難航。長い時間がかかりました。手術の傷口をみえないようにするためなのか、布団蒸しのような格好にされるからとても苦しい。思わず手を動かします。すると、医者も苛立っていたのでしょう。「汚い手をうろちょろさせんじゃねえよ!」と怒声が飛んできました。

 なんとかカテーテルを入れることはできました。しかし入ってからが大変。別に痛みも感じませんが、点滴棒につながれる生活です。どこに行くにも点滴棒をゴロゴロと引きずって歩かなければなりません。動きにくいことこの上もない。鎖に繫がれた犬にでもなった気分です。一日も早くこのカテーテルから解放されたいとそればかりを考えていました。

 無菌室を出たのが11月のはじめ。回復は極めて順調。その一週間後にはカテーテルを外すことになりました。ジャニーズがやってきました。「管抜くっすよー。痛くないっすよー」と相変わらず軽薄です。しかし、複雑な処置がしてあったために抜くことができません。ジャニーズの友人の小汚い外科の医者が応援に来ます。しかし、彼もほどなくギブアップ。

 結局、カテーテルを入れた先生に抜いてもらうことになりました。処置室に行くとあの医者がまっていました。いらいらした感じの人です。数分であっけなく管は抜けました。腕はいいのでしょうが、おっかなくてしょうがない。この話をすると血液内科の先生たちは、「外科は荒っぽいから」といいました。お医者さんも専門によって個性があるようです。



虹と雪のバラード

2006-02-18 00:06:49 | Weblog
 慶応の学生や、私の勤務校でも「優秀」とされる学生と話をすると、うんざりすることが多い。彼・彼女たちは小泉改革を支持している。「がんばった人が報われて、怠け者は罰を受ける。格差がつくのは当然です」などという。そこはさすが優等生。「でも普通の人がちゃんと生きていける社会でなければなりません」というフォローも忘れない。しかし、この人たちが考える「普通の人」とは「有名大学を出た人たち」である。なんともはや。

 努力は常に報われるのだろうか。能力のある者は競争において必ず勝者となるのだろうか。トリノ五輪で日本勢の惨敗が続いている。メディアが持ち上げるほど強くはないだろうとは思っていたが、お家芸のスピードスケート男子500メートルで、メダルがとれなかったことには驚いた。日本選手だけではない。カナダの強豪ウオザースプーンは、今回もメダルに届かなかった。彼らは「怠けて」いたから勝てなかったのか。能力がないから無残に敗れ去ったのだろうか。

 オリンピックでは、強者・勇者と讃えられた者が敗れ去り、名もない伏兵が勝利の栄冠を手にする。古代ギリシャの人々は、ここに深い意味を見出していた。いかに能力に恵まれ、努力を重ねた人間であったとしても、勝利の女神の気まぐれの前には無力な存在でしかない。古代ギリシャの人々は、人間の傲慢(ヒュブリス)を諌める教育的機能をオリンピックに担わせていたのである。本命と呼ばれた選手が無残に敗れ去ることこそが、五輪の精神を体現している。

 今日のオリンピックは、巨大なテレビマネーに支えられている。しかし、競争の結果が努力と能力とによって決定されるという、新自由主義イデオロギーへの反証をも突きつけているのである。1972年の札幌五輪で、無敵の日本ジャンプチームを最後の競技で打ち破ったのは、ヴォイチェフ・フォルトナというポーランドの無名の若者であった。「フォルトナ」とは「幸運」の謂いである。これほどオリンピックの勝者に相応しい名前も他にない。

春のコナタ

2006-02-15 09:27:43 | Weblog
 鹿児島にいた時の話である。霧島の温泉に職場の仲間と出かけた。いまから約10年前。韓国からの新婚旅行客が、増え始めた時期でもある。旅館の仲居さんの話。韓国の新婚カップルはとてもとても仲がよい。そして熱烈なのだと。夜といわず昼といわず、そこここで激しい抱擁と口づけが交わされている。仲居さんは、身振り手振りの「実演」を交えながらこういった。「みとるこっちまで妊娠しそうになるとよ」。彼女は、60歳前後にみえたのだが。
 ゆかりさんは、韓国人留学生にインタビューをして、日韓若者比較の卒論を書いた。彼女のインタビューに答えた韓国人男性は、日本の若者の優れたところとして、「自立心が強くてなんでも自分でやってしまうこと」をあげていた。韓国の若者は親や友人にものすごく甘えている部分があるというのが彼の見解。「モラトリアム人間」の昔から、日本の若者は、「甘ったれ」・「依存的」という評価が相場だったから、これは少し意外な感じがした。
 しかし、そういわれてみると思い当たる節もある。自立心があるかというと首をかしげるところもあるが、いまの若い人は甘え下手な印象がある。子どもの頃から「人に迷惑をかけるな」と言われて育ち、最近ではやたら「自己責任」が強調されている結果だろうか。どんなに困っても、他人を頼らずに自分でなんとかしようという傾向が昔より強くなっているように思う。人に迷惑をかけまいとする、生真面目な優等生タイプの学生が、引きこもりになってしまうことが多い。
 日本の若者のよくないのは「冷たい」ところ。非常に礼儀正しいが、けっして本心を明かさない。友人関係が驚くほど淡白で、若者なのに腹の探りあいのようなことばかりやっている。韓国の若者は、友だちには自分のすべてをさらけだす。昔の日本の青春ドラマのように、友人とは本音でぶつかりあう。友だちの友だちはみな友だちだ。友だちが困っていれば、身体を張って助けるのだという。ゆかりさんは驚いていた。「韓国の若者って熱いですね」。
 彼は日韓関係の歴史を、大人たちから聞かされて育ってきた。だから日本に来ることに不安があった。日本人と殴りあうようなことになるのかと、本気で心配をしていた。実際の日本人は、やさしいのでそんなことにはならなかったが…。彼は日本の若者と歴史認識について議論したいという欲求をもっているが、実現しそうもない。日本の若者が、自国の歴史を韓国人である彼よりはるかに知らないからだ。「本当に恥ずかしいことだと思いました」とゆかりさんはいっていた。

「こざらかす」知恵

2006-02-12 08:05:14 | Weblog
 いま、モンテーニュの『エセ-』を読んでいます。とても面白い。そのなかに、こんなエピソードが出てきました。あるところに非常に羞恥心の強い王様がいた。彼は自分が死んだ後、恥部が人目に晒されることを恐れて、自分を棺に納める時には必ずパンツをはかせるようにと遺書に書いたそうです。モンテーニュはこんな心配をしています。王様は、自分にパンツをはかせる家来に目を閉じて作業を行うよう命じるべきだったのではないか。そうでなければおち〇ち〇を、この家来に見られてしまうだろう。

 この王様がいまの世界によみがえり、不幸にも骨髄移植を受けなければならない病気に罹ったとしたら、一体どうなるのでしょうか。無菌室のなかでは排泄物をすべて、看護師さんにもっていかれてしまいます。若い女性の眼の前で入浴をしなければなりません。挙句の果てには、何人もの女性の眼前で、管をおち〇ち〇に入れられるのです!この王様は、こうした屈辱を受けることを潔しとせず、治療を受けるよりはむしろ死ぬことを選ぶのではないでしょうか。それもまた一つの美学であるとは思いますが…。

 私も、この王様ほどではないにせよ羞恥心の強い方です。「管挿入の儀」には強いショックを受けました。直後に始まった抗がん剤投与の最中にも、くよくよとそのことを思い悩んでいたのです。私は馬鹿でした。致死量をはるかに超える抗がん剤が、私の身体のなかに流れこんでいたのです。大きな生命の危機に直面していたその時に、やれ管がどうの、おち〇ち〇を女の人に見られてどうのと、そんなどうでもいいことばかりを考えていたのですから。

 しかし、いま私はこう考えています。馬鹿だったからこそ、こうして生きているのではないか、と。無菌室のなかで自分が置かれている現実を直視するとどうなるか。死の深淵が口を開けて待ち構えているのです。自我は押し潰され、発狂してしまうかもしれません。「管」にまつわる事柄をくよくよ思い悩んでいたのは、死と直面することを避ける防衛のメカニズムが働いたためだと思います。

 現実をしっかり受け止めることが、常によいことだとは限りません。鳥取には、「こざらかす」ということばがあります。適当にだましだましやるというような意味です。病気や治療に耐えていくためには、厳しい現実を「こざらかす」意識的・無意識的な知恵が必要なのだと思います。


されどわれらが日々

2006-02-09 15:33:04 | Weblog
  教師にも芸人のようなところがある。学生たちに興味をもって聞いてもらえないと授業にならない。ギャグを交えながら話を進めていく能力は、教師にとって欠くことのできないものだ。しかし、学生たちとの年齢的文化的ギャップが大きくなってきた。笑いをとることも容易ではない。ぼくにも「笑えないギャグ」の在庫がいっぱいある。

 それはたとえばこんな風である。「琉球列島に生息するハブは猛毒をもっています。しかしハブには特技がある。あの辺りは長く米軍の施政権下に置かれていたので、英語が話せるんですね。ところがそこは畜生の悲しさ。文法的に正しく話せない。『あなたはハブですか?』と尋ねると、Yes I have.と答えてしまう…」。もちろん、学生はくすりとも笑わない。

 N教授との共同研究は、日教組のシンクタンクで行われた。何しろお堅い組織である。隣の部屋からは、「教育の本質…、人格の完成…」というような難しい話が漏れ聞えてくる。われわれのグループでは、5分間に一回の頻度で爆笑が起っていた。愉快なメンバーが集まっていたからだし、教授の人徳によるところも大きかった。ただ一人、「のび太君」すら知らなかった日教組専従の堅物のおじさんだけは、いつもつまらなそうで居眠りの常習犯だったのだが…。

 ある日の研究会で、何故Jリーグのトップは、議長とはいわずにチェアマンと呼ぶのかということが話題になった。ぼくはこんな話をした。あれは当初、「議長」にするはずだった。しかしサッカー協会の幹部のなかに六全協の経験者がいた。彼はいった。「『議長』はやめよう。野坂参三が出てきそうだ」。彼の意見が通り、川渕「チェアマン」が誕生した。

 その場にいたメンバーの大半が凍りついてしまった。ぼくの世代の人間には六全協といっても実感が伴わない。ただ、N教授だけが狂ったように笑ってくれた。彼は、東大在学中に六全協を経験している。N教授は、政治や社会運動に対して極端にシニカルな態度を貫いた人である。武力闘争から議会主義へ。日本共産党が一夜にして変貌した六全協と若き日に遭遇したことが、教授にとっての大きなトラウマになっていた。そこから、あのシニシズムが生まれたのだと、いまにして思う。

少年時代

2006-02-06 06:28:56 | Weblog
 若者論で一世を風靡したN教授が正月早々他界された。N教授とは10年前ほどに、さるシンクタンクで一緒に仕事をしたことがある。ぼくは自著のなかで、教授を厳しく批判していた。しかし、先生は何のこだわりもみせずに共同研究に取り組んでくださったのである。いろいろと貴重なお話をうかがった。なかでも少年時代の疎開体験のエピソードは、忘れ難い。

 N少年が東京から、日本アルプスをのぞむ山村に越してきたのは、大戦末期のことである。母方の実家を頼っての縁故疎開であった。クラスでたった一人の異邦人。しかも後年、東大に進んで学者になったほどの優秀な子どもである。猛烈ないじめの標的にされた。1対40。クラスの全員が襲い掛かってくる。肉体的・精神的いじめの雨あられ。先生も見て見ぬふりだ。いまの子どもなら絶対に耐えられずに自殺しているだろうと、彼はいっていた。しかしどうだろうか。遺書を残すこともなく、人知れず自から命を断った疎開学童も少なくなかったのではないか。

 教授がマスコミで名をはせた後のことである。さる地方紙の編集幹部から教授に電話があった。講演の依頼である。驚いたことに依頼の主は、疎開先の小学校のクラスメート。クラスのガキ大将的存在で、N少年に対するいじめの急先鋒だった人間だ。ところが彼は、N少年をいじめたことをきれいさっぱり忘れている。「O(教授のファ-ストネーム)ちゃん。滝壷で遊んだことがあったよなあ。あの頃は楽しかったなあ」。

 N少年はこの時、滝壷で悪ガキどもに溺れさせられ、危うく死にかけたのである。教授はこの講演の依頼を断った。いじめた側は、いじめの事実を簡単に忘れてしまうが、いじめられた側はそれを絶対に忘れない。人間の記憶の不思議なところである。「昔はいじめなどなかった。それにひきかえいまの子どもは…」。という人がいる。おそらくいじめっ子だった人だろう。この人のせいで心に深い傷を負っている人間が、どこかにいるに違いない。



「お気の毒に」

2006-02-03 17:10:54 | Weblog
 抗がん剤の投与は、放射線照射と並ぶ、骨髄移植の前処置のクライマックスです。順序としてはまず、一般病棟の在室中に放射線照射を浴び、無菌室に移ってから抗がん剤投与を受けます(この逆の順序の病院も多いようです)。私は2日間にわたって、エンドキサンという抗がん剤の投与を2時間ずつ受けました。薬の強さは、致死量に数倍するものであると聞きます。

 抗がん剤投与の間は、絶対安静です。一歩も動けません。そして、投与から数日は劇症の薬物性膀胱炎のおそれがありますから、医療スタッフはその徴候を素早く察知する必要があります。抗がん剤投与の後の数日は、尿道カテーテルを入れていなければなりません。

 抗がん剤投与初日の朝、若い医者(ジャニーズ系のイケメン)が、その説明にきました。「おち〇ち〇に管入れるっすよー。全然、痛くないっすよー。大丈夫っすよー」。わたしは、「ああ、この軽薄な若者が、ぼくのおち〇ち〇に管を入れてくれるのだな。痛くないのだな。大丈夫なのだな。よおしよおし」と、何故か椎名誠風に、割合冷静に構えていたのです。ところが・・・。

 無菌室にカテーテルを手に現れたのは、なんとS医師。中村江里子似の超美形の女の先生です。S先生は、いきなりパジャマのズボンとパンツをおろしにかかります。抵抗の暇も与えません。そして、あろうことかS先生は私のおち〇ち〇をむんずとつまむと、一気に管をそのなかに突っ込んでいったのです。激痛が走りますが、一瞬の事。「管装着の儀」は、あっけなく終わりました。

 その時、部屋のなかには、4人の女性がいました。S先生(30代前半)と主任の看護婦さん(30代前半)、そして担当の若い看護婦さん(20代前半)と掃除のおばさん(50代後半?)です。挿入の瞬間、S先生以外の女性たちのまなざしも、私のち〇ち〇に強く注がれたように感じました。しかし、私はすぐに思い直しました。彼女たちはみな、病院関係者です。こんなありふれた処置を前にして、心が動くはずがない、と。

 ところが、退室の間際、主任の看護婦さんは私にこう言いました。「お気の毒に」。一体、何が「お気の毒」なのか。女の先生に管を挿入されたことか。それを4人もの女性にみられたことか。はたまた、私のおち〇ち〇が貧弱なものであることを憐れんでいっているのか。「お気の毒に」。このことばは、いまでも時々私の脳裏に蘇ってきます。それは、私のアイデンティティを根底から切り崩してしまう、恐ろしい響を持っているのです