先週、骨子の吹奏楽のコンクールがあった。立派な演奏だった。骨子からは、女の子同士のいじめや諍いの話しかきいていなかっので、音楽もやっていたのだなあ、とおかしな感想をもった。県大会出場を決めた骨子たちは、喜びを爆発させていた。
吹奏楽部は文科系のなかの体育会みたいなもの。年がら年中活動している。朝練も含めて一日の練習時間はとても長い。多くの練習時間を、楽器ごとのパートという「島宇宙」で過ごす。思春期の女の子たちの人間関係のストレスは凄まじいのだろう。いじめやいさかいがたえないはずだ。
妻は中学校の時に吹奏楽部だったが、コンクールに出た記憶がないという。高校に入って吹奏楽部の門をたたいたものの、練習のハードさに驚いてすぐにやめてしまった。ぼくのソフトテニスも似たようなものだった。試合の数は少ないし、休みの日もたっぷりあった。いまの中学校の部活の厳しさは、比較を絶している。
中学校の部活が大きく変質したのは、80年代のことだ。この時代には少年非行が増えていた。共働きの家庭が増えていたから、放課後長い時間子どもを「野放し」にすれば、非行を一層増大させかねない。学校に「託児機能」が期待されるようになった。そこで「部活の出番」である。子どもたちも当然、勉強よりは部活の方に熱中する。教師の側も目にみえる成果の上がる部活にエネルギーを注ぐようになった。
中学の部活は弊害ばかりが目立つ気がする。整形外科にいくと中学高校の部活生ばかり。健康な身体をつくるはずの部活が子どもの身体を壊しているのだからお話にならない。早くから練習づけにして挫折を味あわせればその競技が嫌いになる。せっかくの才能の目が多数つまれているのではないか。このことは吹奏楽についてもいえる。楽器など、一生つきあうことができるもののはずなのに。音楽で勝った負けたと大騒ぎをするのも、おかしな話である。
吹奏楽部は文科系のなかの体育会みたいなもの。年がら年中活動している。朝練も含めて一日の練習時間はとても長い。多くの練習時間を、楽器ごとのパートという「島宇宙」で過ごす。思春期の女の子たちの人間関係のストレスは凄まじいのだろう。いじめやいさかいがたえないはずだ。
妻は中学校の時に吹奏楽部だったが、コンクールに出た記憶がないという。高校に入って吹奏楽部の門をたたいたものの、練習のハードさに驚いてすぐにやめてしまった。ぼくのソフトテニスも似たようなものだった。試合の数は少ないし、休みの日もたっぷりあった。いまの中学校の部活の厳しさは、比較を絶している。
中学校の部活が大きく変質したのは、80年代のことだ。この時代には少年非行が増えていた。共働きの家庭が増えていたから、放課後長い時間子どもを「野放し」にすれば、非行を一層増大させかねない。学校に「託児機能」が期待されるようになった。そこで「部活の出番」である。子どもたちも当然、勉強よりは部活の方に熱中する。教師の側も目にみえる成果の上がる部活にエネルギーを注ぐようになった。
中学の部活は弊害ばかりが目立つ気がする。整形外科にいくと中学高校の部活生ばかり。健康な身体をつくるはずの部活が子どもの身体を壊しているのだからお話にならない。早くから練習づけにして挫折を味あわせればその競技が嫌いになる。せっかくの才能の目が多数つまれているのではないか。このことは吹奏楽についてもいえる。楽器など、一生つきあうことができるもののはずなのに。音楽で勝った負けたと大騒ぎをするのも、おかしな話である。