ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

死の床に横たわりて

2006-01-31 07:02:58 | Weblog
 妻の母は面白い人だった。結婚の許しを得るために、妻の実家をたずねた時のことである。彼女は一目見てぼくを気にいってくれた。そしてこういった。「あんたあ、ええ身体をしとんさる。わしと組んで闇屋をやろう。儲かるで!」。義母は逞しい人で、戦後は闇で随分もうけたようである。それをもとでに市内で、小さな菓子屋を開いていた時期もあった。ぼくの母もその店のことはよく覚えていた。おしゃれで品揃えのよい店だったらしい。

 しかし物資統制令が撤廃され、ぼくの生家のような本物の菓子屋が復活してくる頃には、義母はそのお店をたたんでいた。女性が働くよい職場が限られていた時代である。次に彼女が始めたのが株である。義父は出世したお役人だが、「夜の帝王」の異名をとる人付き合いのよい人だった。給料は飲み代に消えてしまう。家にはあまりお金を入れなかったようだ。義母の株には家計の足しにするという目的もあった。いは流行のデイ・トレーダーの走りである。

 妻は小学生の時、「仕事をするお母さん」という図画の宿題を出された。彼女はラジオの株式市況を聴いている義母の絵を描いた。それは間違いなく義母の「仕事」だったのだが、先生には理解できなかったらしい。「休憩中のお母さん」というタイトルがつけられた。義母の思い出話は本当に面白かった。スターリン暴落や昭和40年の証券危機での田中角栄の日銀特融の発動等々、現代史のトピックスを講釈師のような口吻で語る様は圧巻だった。

 義母はバブルでも大きな傷を負わなかった。株価が上がっていた時に、「これはおかしい」と思い、資金を全部引き上げてしまった。ヒルズ族のようなIT成金のことは、「あのもんらは好かん」といっていた。死の床に横たわりながらも、やはり株をやる妻の兄に向かって、「ブッシュのだらずが戦争しまわる。みとれい。株もドルもどーんと下げるわ」といっていた。ホリエモンの騒動に義母は何をいったのだろう。それを聞けなかったのが残念だ。

鳥だ!スーパーマンだ!!いや、学部長だ!!!

2006-01-28 07:46:36 | Weblog
 7年前の8月の20日過ぎ。大学病院に行くと、骨髄移植の日程が示されました。これまで病気のことは、大学関係者には伏せていました。しかしこの先、半年以上の休職はさけられません。私はその夜、学部長に電話をかけました。着任早々申し訳ないが、長期入院をすることになったと手短に用件を伝えたのです。着任してからの私は、ひどい貧血でドラキュラのような顔色をしていました。だから学部長も、長期入院ということば自体には、それほど驚いた様子はありませんでした。

 「どこが悪いの。消化器かい」と聞くので、「白血病です。骨髄移植を受けます」と答えました。彼は平素多弁な人です。その彼が完全にことばを失ってしまいました。「3千世界に沈黙がこだまする」という古風なことばさえ浮かびました。よほどショックだったのだと思います。学部長は大変な人情家です。入院する直前に町田のデパートのてんぷら屋で、お昼をご馳走してくれました。あなたはきっと治るはずだ、と私を励ましてくれました。大変に力づけられました。

 移植は成功し、私は無菌室を一月ほどで出ることができました。病状も安定したころ、学部長から見舞いに行くという連絡がありました。その旨を医師たちに告げると、彼らは何故か狼狽を始めました。「学部長が来られるのですか!こちらも学部長を呼びましょうか?」。医学部で教授といえば大変なステータスです。学部長ともなれば尚更でしょう。文科系は違います。年功さえ積めば誰でも教授になれるのです。学部長も、とりたてて特権はない。雑用係のようなところさえあります。カルチャーの違いを感じました。

 その日の午後、学部長が見舞いにきました。病室をのぞいた彼は、ぼくの名前を呼ぼうとしてそのまま絶句してしまいました。ぼくの頭に髪の毛が一本もないのをみて、びっくりしてしまったのです。恩のある先生を二度も驚かせて、悪いことをしたとぼくは思いました。彼が帰ってしばらくした頃、医学生が「いま学部長が来られましたね」といいました。どうして分かったのでしょうか。彼女はいいます。「エレベータを降りて来られた瞬間、あ、学部長だ!と思いました。あの方は絶対に大学教授以外にはみえません。きっとこの人がそうだと思ったのです」。そう、学部長は学者のイデアが服を着て街を歩いているような先生でした。その他の職業の人には絶対にみえないでしょう。


見果てぬ夢2

2006-01-25 06:55:37 | Weblog
 『ドン・キホーテ』を相変わらず読み続けている。とても面白い。ところで、ある人から驚くべき情報を提供された。中南米では相次いで反米的な民族主義政権が誕生した。その旗手ともいうべきベネズエラのチャペス大統領は、国民に『ドン・キホーテ』を読むことを薦め、なんと100万部もこの本を配ったのだという。ベネズエラの民よ。ドン・キホーテのように正義の闘いに邁進しよう。いまに甦ったシモン・ボリバルは、国民にそう呼びかけている。

 「憂い顔の騎士」の行動は、はた迷惑の極みである。そして誰の目から見ても彼は狂っている。しかし彼のなかに打算や邪心は一切ない。勇気はたいしたもの。騎士としての気位や美意識も大いにある。その学識たるや当代一流の学者に匹敵するものだった。彼に関わった人たちは、彼を馬鹿にし、あるいは憐れみながらも、決して軽んじることはできなかった。そして多くの人から敬愛すらされたのは、こうした人間的な美質によるものではなかったのか。

 ブッシュや小泉は打算や邪心の塊である。彼らには、美意識や勇気のかけらもない。そしてドン・キホーテに比べれば、こいつらは無学文盲の徒といわなければならない。世界の最高権力者の低学力はよく知られている。日本の総理大臣だって似たようなものだ。「ワンフレーズ」を発することしができないのだから。ツインタワーにつっこんだイスラム原理主義者たちは、憎悪に凝り固まっていた。憎悪ほどドン・キホーテに似つかわしくない感情も他にない。

 小泉も、ブッシュも、イスラム原理主義者も、妄想のなかを生きている点ではドン・キホーテの同類である。しかし彼らは、ドン・キホーテの美質とは無縁のまがい物だった。スペイン語圏の人たちは、幼い頃からドン・キホーテに親しんで育っている。だから彼らは、その美質をわがものとしているのであろう。いまに甦ったドン・キホーテは、グローバリゼーションというドラゴンにどんな戦いを挑むのだろうか。中南米から目が離せない。


楽しくなかったお正月(小学校3年生男子)

2006-01-22 07:33:24 | Weblog
 お正月は鳥取に帰りました。正月の3日には、うなぎのけっこん式に出ました。うなぎというのは、いとこのあだなです。うなぎのかばやきが大好きだから、うなぎとよんでいます。ぼうえい大学の学生です。うなぎは、3人兄弟の一番下だけど、一番先にけっこんします。およめさんは、おいしゃさんです。うなぎより年上です。とってもきれいで、やさしそうな人です。みんな「よかった。よかった」といっていました。ひろうえんは夏にするそうです。

 「うなぎはなぁ。もんつきはかまで式に出るだけぇ。よおみたげてな」とおばちゃんが教えてくれました。ぼくは、はかまがどんなものかしりません。「はかまって、おしりとおち○ち○のところだけを隠す、あのひもみたいなの?」とぼくはたずねました。みんなゲラゲラわらいました。おねえちゃんが、「それは、ふんどしだが」といいました。びんちゃんは、「それがはかまなら女子大のそつぎょう式は、たいへんなことになる」といいました。

 式の日にうなぎにあいました。式は倉吉のほうであります。その前に鳥取のホテルで、みんなで写真をとりました。うなぎは、はかまをはいていました。はかまは、ぼくが考えていたものとはちがいました。ベトナムの人がきていました。ぼうえい大のりゅうがく生で、うなぎのなかよしです。びんちゃんが、「しょうらいのこくぐんかんぶだな」といいました。そのベトナムの人は、ぼくに1000ドンこうかをくれました。きんいろのきれいなお金です。うれしかったです。

 かえりにデパートで買いものをしました。おねえちゃんとおかあちゃんが買い物をしている時に、ぼくとびんちゃんは地下のテレビではこね駅でんをみていました。その時、大事にしていた黒いこんちゃくぶくろを落としました。こんちゃくぶくろには、さっきもらったベトナムのお金が入っていました。後で気がついてデパートにもどってさがしました。でもけっきょく、こんちゃくぶくろはみつかりませんでした。ぼくはなきました。ことしのお正月は楽しくなかったです。

帝政・by父 (誤)こんちゃくぶくろ→(正)きんちゃくぶくろ

呪術の国

2006-01-19 06:05:15 | Weblog
 4年生のさよならコンパの席で、学生達が寄せ書きをくれた。ある学生は、マスコミを批判的にみることをゼミで学んだと書いた後に、こんなコメントを添えていた。「それにしても、『本当にあった怖い話』が、本当はないのはすごいショックでした」。「本当にあった怖い話」という心霊現象をとりあげる番組が、ゼミの時間に話題になったことがある。「あんなの迷信だ」とぼくは切り捨てた。彼女は、それにショックを受けたのだ。

 前世。死後の世界。そして様々な霊魂。こうしたものを信じている学生は、彼女だけではない。昨年の暮れに「天国からの手紙」という番組が民放テレビで放送された。「スピリチュアル・カウンセラー」を名乗る男が、肉親を亡くし悲嘆にくれる家族を訪ね歩く。そして、亡き人の「天国からの手紙」を届けるという趣向である。「天国からの手紙などあるはずもない。公共の電波を使って迷信を広めるなどとんでもないことだ」と1年生のゼミでぼくはいった。

 この発言が学生たちを怒らせた。いまの学校に来て、はじめてといってよいほどの反発にあった。「みんな感動してみていたのに、先生ひどい」。「じゃあ、あの手紙は誰が書いたのですか」と聞くから、「あのなんとかカウンセラーって男だろ」と答えた。「天国でどうやって手紙を書く。パソコンはあるのか。紙はあるのか」とぼくは応酬するが、彼女たちは納得しない。クラスの圧倒的多数の学生が、前世・死後の世界・霊魂等々を信じていた。

 アメリカ人の過半数が、世界は6000年前に神の手で創造されたという説を信じている。進化論を教えない州がいまでもある。迷信にとりつかれている点では、日本も同じようなものである。「中学校まではよくできた人たち」の集団が、「天国からの手紙」の実在を信じて疑わないのだから。これではまるで呪術の国である。それにしても、遺族の心情を弄ぶ、愚劣極まりない番組を垂れ流すテレビ局の免許など、取り消してしまえばよいのだ。

血液型は何ですか?

2006-01-16 06:12:50 | Weblog
 ある心理学者から聞いた話である。ドイツでの生活が長く、80年代の半ばに日本に帰ってきたその先生は、日本の学生たちが「君(あなた)の血液型は何ですか?」という話をあいさつがわりにしていることに驚いた。ドイツでは血液型が話題になることなどない。どうしてこんな非科学的な話題にこの国の若者は熱中するのか。不思議でならなかったと彼は言っていた。

 血液型というが、ABOは赤血球の型に過ぎない。白血球の型はHLA(ヒト白血球型抗原)というのが別にある。HLAが合致することが骨髄移植を行う条件である。ABOは不一致でもかまわない。ぼくも兄の骨髄をもらって、AB型からB型に血液型が変わった。ABOは変わることはあってもHLAは変えようがない。何故ABOの話ばかりをするのだろうか。

 HLAが合致する人は、いまは遠く離れていても、大昔に親族であった可能性が高い。日本人がアメリカの骨髄バンクに登録して見つかるドナーには、東アジア系の人が多いというのもうなずける。だが完全な白人や黒人と合致することも稀にあるという。「純粋な人種」など実は存在せず、人類の歴史がたえざる混血の過程であることを物語るエピソードだ。

 ぼくはAB型からB型に変わった。移植を境にぼくの性格は激変したのだろうか。ABO性格判断は眉唾だ。ところがHLAと性格の間には極めて強い相関がありそうだ。HLAが同じ人は、昔同じところに住んでいた。兄弟同胞だったといってもよい。HLAは兄弟の間では高い確率で合致する。兄弟の性格は似ていることが多い。血は水よりも濃いというのは、このことである。

 入院中「HLA性格占い」という本を書くことを考えた。科学的根拠があるのだ。ベストセラー間違いなしである。しかしこの野望はすぐに挫折した。HLAの表現は複雑で素人には何が何だかよく分からない。HLAのパターンはいくつあるのか。すべて網羅すれば電話帳、いや百科事典ほどのヴォリュームになるのではないか。一攫千金の夢は絶たれた。残念無念。だから、ぼくはいまもこうして教師稼業を続けている。

音姫

2006-01-13 07:55:17 | Weblog
 子どもの頃、学校のトイレでウンコができなかったという記憶をもつ人は多いのではないだろうか。「花子さん」をはじめトイレにまつわる「学校都市伝説」は枚挙に暇がないほどである。学校のトイレは子どもたちにとって「臭い・汚い・怖い」場所だった。そんな過去への反省から、学校のトイレを子どもたちにとって快適な場所に変えようという親や教師の取り組みがさかんである。トイレをテーマに卒論を書く学生も増えている。

 京子さんもそんな一人である。ホテルやデパートなどで驚くほどゴージャスなトイレが増えた。女性は消費者として大きな力をもっている。女性の顧客を大切にするのは当然のことだ。トイレといえどもおざなりにはできない。ここで京子さんは考える。ゴージャスなトイレの出現は、排泄という行為が市民権を得た結果だろうか。それともゴージャスにすることで、ウンコやおしっこをする場所というトイレの本質を隠蔽しているのだろうか。

 京子さんは「何故日本の女性だけが、水を流しておしっこの音を消そうとするのか」という問いをたてていた。女性たちは、自分が排泄とは無縁の存在であるとみられたいと念じている。だから汲み取り便所の時代から日本女性は、千代紙を落とすなどしておしっこの音を極力消そうとしていた。最近では、「音姫」という消音機器も普及している。しかし「いまおしっこをしています」と宣言しているようだと、「音姫」は学生たちに不評だった。

 京子さんは一生懸命に調べたが、日本女性がいつから水を流しておしっこの音を消すようになったのかをつきとめることはできなかった。ぼくは一つの仮説をもっている。その起源は日本女性の水洗便所との出会いにある。汲み取り式便所に比べて和式の水洗便所は放尿の音がものすごい。びっくりした女性が、反射的に水を流して音を消そうとしたのが始まりではなかったのか。よくできた仮説だと思ったが学生たちの賛同は得られなかった。

見果てぬ夢

2006-01-10 06:23:52 | Weblog
 世界一のべスセラーが聖書であることはよく知られている。では第2位は何か。セルバンデスの「ドン・キホーテ」である。この傑作の名を知らぬ者はいない。しかしその全部を読み通した日本人も稀ではないのか。ぼくは昨年ある人に勧められてこの本をはじめて読んだ。全部はとても読めない。恥かしながら岩波少年文庫版である。とても面白かった。

 暇にまかせて騎士物語に読みふけったラマンチャの男は、現実とフィクションの区別がつかなくなった。愛馬ロシナンテに跨り、サンチョ・パンザをひきつれて諸国漫遊の旅に出る。風車や羊の群れを敵と誤認しては突撃を繰り返し、周囲に途方もない損害を与えながら。下らない本の読みすぎで人生を台無しにした男は、臨終の床でようやく正気に戻る。

 この物語は現代と重ね合わせて読むことができる。ドン・キホーテはアメリカではないのか。大量破壊兵器の幻にかられ、風車ならぬアフガンやイラクに襲いかかっていったのだから。サンチョの役どころは日本だろう。この男は内心ドン・キホーテを馬鹿にしている。しかし何かうまい汁にありつけるのではないかと期待してご主人様にくっついている。

 またこうも読める。ドン・キホーテはイスラム原理主義勢力である。狂気にかられ、風車ならぬツインタワーに突っ込んでいったのだから。ブッシュのアメリカは、さながら「鏡の騎士」か。ドン・キホーテの狂気を正そうとしたこの男は、ドン・キホーテと同じ泥沼のなかにはまりこんでしまった。狂気は強い感染力をもつ。この名作はそう教えている。

 ラマンチャの男の時代、活字の本はまだ「ニューメディア」の域にあったはずである。『ドン・キホーテ』は新種のメディアに耽溺した結果、妄想に取りつかれた人間の物語だ。けだしドン・キホーテは「われらが同時代人」なのである。死の床で彼は正気を取り戻す。人間正気に戻った時にはもう遅いのだ。スペインの文豪の言いたかったことはこれである。

夫が、裸で、若い女と!

2006-01-07 12:54:37 | Weblog
 1999年9月29日午後3時30分、いよいよ最後の放射線照射に向かいます。病室には妻と、ドナーになってくれる兄が来てくれました。ナマで(無菌室の面会はガラス越しになるため)二人に会えるのは、これが最後になるかも知れません。

 放射線照射が行われる「核医学教室」(!)には、車椅子で向かいます。廊下には医者や看護師や患者さんが並び、「加齢御飯さん、ガンバレー」と声をかけてくれました。ぼくの頭のなかには、「わが大君に召されたる 命栄えある朝ぼらけ」という、かの「歌のバス」(右翼の街宣車のことをせがれはこう呼んでいた)ご愛用の「学徒出陣の歌」が何故だか鳴っていました。

 40分後、放射線照射を終えた私は、車椅子のまま3階の無菌室へと向かいます。無菌病棟のエントランスのところで、妻が待っていました。ここから二人は、病室に向かうコースと面会者用のコースに分かれます。

 入室の前に待っていたのが、「入浴の儀」です。殺菌のため「薬湯」に10分間つかります。「薬湯」と言えば聞こえがいいのですが、内容はみなさんご存知の、イソジンのウガイ液です。 担当の看護師・鹿児島出身の東さんは、まだ22歳のきれいな人でした。彼女の前で裸になって風呂に入るのには抵抗がありましたが、彼女は表情一つ変えません。ぼくもまあ、前をかくしたりするのも変だし、ざぶりと「薬湯」につかります。ゴーグルをつけて、頭が沈むまでイソジンの湯に潜るのです。

 入浴中、彼女から無菌室の生活についての諸注意がありました。「水曜日の朝、細菌検査をします。指と口と肛門に、菌がいないかどうかを調べますのでご協力ください」。「分かりました。指と口と肛門ですね」。こんなやりとりもその時ありました。

 妻は、見舞い客の側のコースでこのやりとりを聞いていたのです。しかも、密閉度の高い浴室からは、断片的にしかことばが聞きとれません。「・・・肛門」。「分かりました、・・・肛門ですね」。と、何故だか「肛門」ということばだけが明瞭に聞えたと言います。

 夫が、裸で、若い女と一緒にいて、しかも二人で「肛門、肛門」と連呼しあっているのです。さすがの妻も心穏やかではなかったようです。もっとも、これで彼女に心穏やかでいられては、ぼくとしても困るのですが・・・。

あけおめ ことよろ

2006-01-04 17:39:04 | Weblog
           あけましておめでとうございます

 去年は桜が中学生になり、吹奏楽部に入りました。ホルンを吹いています。桜に刺激されて太郎も小学校の吹奏楽団に入り、こちらはトランペット。にわかに音楽一家です。えへん。

 ある日太郎は、「オレは『はいたつりょう』がある。だから大きな音が出る」と自慢していました。「はいたつりょう」とは「肺活量」のことです。私も「はいたつりょう」では人後に落ちません。6,100もあります。

 トランペットを吹くのにも、ホルンを吹くのにも「はいたつりょう」は大きな武器です。私は楽器などなにもできませんが、音楽一家の大黒柱はやはり父親なのです。えへん、えへん。

2006年1月1日

 PS 太郎の書いていた年賀状をのぞいてみたら、「あけましておめでとうございます。今年も残り少なくなりました」と書いていました。今年も愉快な話題には事欠きそうもありません。