ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

「千の風」と死刑台

2008-09-28 09:38:42 | Weblog
 昔は身近にあった死が、病院や施設のなかに閉じ込められるようになった。そこから「死のタブー化」といわれる意識が社会を広く覆うようになりました。日本では、1980年代がそのピークだったのではないでしょうか。死体写真を売り物にした写真週刊誌を大手出版社が競って刊行していました。たくさんの管につながれ延命処置を受ける患者の姿(関西ではこれを「スパゲッティ」と呼んでいたそうです)が一般的だったのもこの時代のことです。

「死のタブー化」への反転現象と呼ぶべきものが、現在生じてきています。「スパゲッティ」はいまや死語。闇雲な延命はしなくなりました。ホスピスや自宅で自分の望む形で最後を迎える人も増えています。愛する者との死別を経験した遺族の傷つきやすさへの配慮も、社会に根づきはじめています。「千の風になって」という曲のヒットも、1980年代には考えることもできなかったでしょう。

 他方日本は、先進国のなかで国家レベルで死刑を行っている唯一の国です。政府は「日本文化の伝統(「死んでおわびを」)」とともに、「遺族感情(犯人を死刑に!)」を死刑存続の理由にあげています。闇雲な死への恐怖に訴えかけることで犯罪を抑止し、社会をまとめあげようとしていること。そして、多様で繊細であるはずの遺族感情のなかに、犯人への憎悪しかみようとしないこと。これらは「死のタブー化への反転現象」とは正反対のものでしょう。

 ホスピスムーヴメントにおいては、宗教者の役割が欠かせません。「死のタブー化への反転現象」の基底には、キリスト教に根ざす「人格の尊厳」の観念が横たわっているのではないか。今日の日本国家は、「臣民」を奴隷化しようとした明治国家のDNAを色濃く受け継いでいます。日本国家にとって「人間の尊厳」など敵視の対象でしかありません。日本が成熟した市民社会としての側面をもちながら、なお過去の亡霊が権力構造の中枢に居座っていることが、死と死別についての上記の分裂した意識をもたらしているのではないでしょうか。









アンナ・カレーニナ(この夏『白鯨』に挑んでまた挫折した・声に出して読みたい傑作選61)

2008-09-26 06:58:19 | Weblog
 うまくいっている国家はどこも似たようなものだが、破綻した国家はそれぞれに趣を異にしている。ブレジネフ政権末期のソ連では、すべてが乱脈を極めていた。社会の風紀は乱れ、勤務時間中の飲酒が横行していた。10月革命が生み出した巨大な社会主義国家は、すでにこの時崩壊の予兆を示していたのである。J大のロシア語学科を卒業したK君が、ソ連貿易専門商社の駐在員としてモスクワにやってきたのがまさにこの時代のことであった。

 K君も相当の大酒家だ。そのK君でさえロシア人の酒の飲み方には驚いていた。朝、取り引き先に商談に赴く。するとまずビールが出てくる。「パワーランチ」にはワインがつきもの。すぐに一本は空いてしまう。商談が成立するとウオッカに移行する。どこまでもどこまでも乾杯は続く。これがほとんど毎日である。ある日、仕事を終えたK君は自宅に戻るためにタクシーを拾った。K君はこの日も飲んでいた。したたかに酔っ払っていたのである。

 K君は、「しまった」と思った。タクシーのなかが酒臭い。床にはウオッカの瓶が散乱していた。しかしK君は思い直す。どのタクシーでも同じことだと。K君は運転手に行き先を告げた。するとその運転手が意外な話をはじめた。「お兄さんは、ヤポンスキー(日本人)かい?大江(健三郎)の新しい小説を読んだよ。面白かったねぇ」。「安部(公房)はどうして書かないんだ。俺は好きなんだ。『壁』なんて最高だぜ」。この運転手は、日本文学の愛好者であった。K君も読書量では、誰にもひけをとらない。二人の酔っ払いは文学談議に花を咲かせた。

 ロシアには徹底した文学教育の伝統がある。厳しい冬は家に閉じこもって本でも読むしかない。自由にものがいえない政治体制も、「内面の亡命先」としての文学の需要を高めていた。そうした風土がこの運転手を生み出したのだ。タクシーは怪しく蛇行しながら目的地に着いた。K君は少し名残惜しさを感じたが、それ以上に命があったことを天に感謝した。



君の名は

2008-09-22 19:52:46 | Weblog
 東京オリンピックの時、旧ソ連の選手に「名は体をあらわす」というべき人が何人かいました。まず世界一の力持ちジャボチンスキー。閉会式の時、軽々とソ連国旗をもっていた姿が目に焼きついています。

 ジャボチンスキーはやさしそうだったのでまだよいのですが、イリナとタマラのプレス姉妹には、上からのしかかられると圧迫死するのではないかという恐怖心を喚起するものがありました。まさに名は体をあらわす。姉妹のうちのどちらかが、凄まじい形相で気合もろとも槍だか円盤だかを投げたのをテレビで観た夜、ぼくの夢にこの場面をみて思わず飛び起きてしまいました。

 いまのオリンピックの女子選手は、みな驚くほど美しくなりました。子どもを怖がらせるような容貌魁偉の選手にはとんとお目にかかったことがありません。いまはテレビの時代。強い選手ほど映像に露出する頻度が高まります。その結果外見も磨かれていったのでしょう。

 高校生の時に、ミュンヘンオリンピックのテレビ中継をみていたら、柔道にチョチョシビリというソ連の選手が出てきました。小さな男の子がパンツのなかでおしっこを少しずつもらしているような名前だな、弱そうな奴だと思ってみていたら、試合開始早々、当時無敵の世界チャンピオンだった日本人選手をあっという間にみたこともない大技で投げ飛ばしてしまったのでした。ソ連といいますが彼はグルジア人。あれはきっとグルジア相撲の技だったのでしょう。こちらは名は体をあらわさなかった。

 男子平泳ぎは日本のお家芸。やはりミュンヘンオリンピックでは田口信教選手が金メダルをとりました。そのライバルだったのが、ジョン・ヘンケン。この名を聞いて直感的にぼくは嫌な感じをもちました。だって日本語に直すと「偏見太郎」。いや、実際の人柄は知りませんが。少し後の時代ですが、アメリカの男子バレーボールチームには、カーチ・キライという名選手がいたなあ。「カーチ、嫌い!」。


モルグ街の殺人

2008-09-19 13:56:59 | Weblog
 ぼくが住んでいるS市南部では、最近物騒な事件が頻発しています。この前も娘の通っていた中学校のすぐそばの閑静な住宅街の路上で、70歳代の女性が何者かに殺されるという事件が起こりました。小中学校だけではなく、女子大や、二つの県立高校が並ぶ文教地区での凶行だけに近隣住民のショックも大きなものがあります。犯人はまだ捕まっていません。所持金が奪われていないので、強盗目的の犯行ではなさそうです。「治安悪化は幻想」と唱えながらも、やはり身近でこうした事件が起きれば不気味に感じます。

 ぼくは、S市の「安全安心情報」というメールサービスに入っています。どうでもいいような下半身露出男の出現には即座にメールが出回るのに、この事件を伝えるメールが届くのには数日を要しました。システムの切り替え時期にあたっていたといいます。しかし、露出と殺人とどちらの方が安全安心にとってより脅威か。言をまたないと思うのですが。

 この女性は、国道沿いのパチンコ店から帰る途中に殺されたようです。しかし、「文教地区の閑静な住宅街に住む高齢の女性」と「パチンコ帰り」というのもミスマッチですね。そういえばこの近辺にはパチンコ屋がたくさんあって、いずれも繁盛しています。定年退職者ばかりではなく、若者や働き盛りの年配の人が朝から行列を作っています。男女を問いません。パチンコ屋の隆盛が、地域社会の荒廃を物語っているようにも思えます。

 最近ぼくは水泳をはじめました。別に北島選手に刺激されたわけではありません。メタボ対策です。高齢者の方もたくさん泳いでいます。プールサイドで、どうみても70は超えている「元お嬢さん」の一群がおしゃべりに花を咲かせていました。この事件を話題にしています。「70過ぎてパチンコなんてねえ。若いわねえ。あたしにゃそんなのできないよ」。いやいや。70過ぎて(推定)プールで泳いでいる皆さんも、随分とお若いですよ。


アグリー・ジャパニーズ

2008-09-16 06:42:22 | Weblog
 毎年高級ブランドを卒論でとりあげる学生がいます。女子大生は高級ブランド品が大好きですから。今年もEさんという学生が、「日本人とルイ・ヴィトン」というテーマで論文を書いています。1970年代に「anan」がヴィトンの特集を組んだところ、パリの同社本店の前にたくさんの日本の若い女の子が押しかけた。これが、フランスのメディアに大きく取り上げられたという話を彼女はしていました。

 ブランド・ブームのはじまりは、田中康夫の『なんとなくクリスタル』(1980)であるとされていますが、70年代にその兆しはみえていたわけです。それにしてもヨーロッパでは、ルイ・ヴィトンのような高級ブランドは、年齢のいった富裕な階層(級?)の女性が身につけるものです。東洋人の普通の女の子が、そんなお店に行列を作っていた。当時のパリ市民の驚きは察するに余りあります。

 70年代には、日本の中年男性の東南アジアでの買春行動が問題になっていました。これと若い女の子のルイ・ヴィトン詣は、パラレルな現象のように思えます。円高で、航空運賃がものすごく安くなったことが、日本人のある種の「海外進出」を容易にしたといえます。低迷を続ける世界経済のなかで「一人勝ち」の状態だった日本は、東南アジアはもちろん、ヨーロッパ諸国よりも豊かな国になっていたのです。

 そして、この二つの現象は、金の力はすべてを可能にするという高度経済成長期に芽生えた拝金思想が生み出したもののように思われます。お金があれば、性的魅力を欠いたおじさんでも、きれいな若い女性とセックスをすることができる。お金があれば、地位も財産も人生経験ももたない若い女性が、ヨーロッパの名流婦人と同じ高級ブランドをもつことができる…。ブランド好きのいまの若い女の子たちは、70年代の「アグリージャパニーズ(醜い日本人)」の末裔である。ぼくがそう話すと、Eさんは不思議そうな顔をしていました。



白虎隊(運動会の季節になりました・声に出してよみたい傑作選60)

2008-09-13 08:01:54 | Weblog
この前の日曜日は、骨子の中学の体育祭だった。応援合戦は大変なみもので、生徒たちで考えたダンスで大いに盛り上がっていた。まさに「祭り」という感じ。子どもたちの創意工夫がかんじられた。それに比べてぼくらの中学高校時代の「運動会」は、走ることと、集団演技(マスゲーム?)。ただこれだけ。遊びの要素はかけらもない。旧東欧圏のスパルタキアードもかくやという代物であった。楽しくもなんともなかった。

 N高3年の時、ぼくらの集団演技はなんと白虎隊の剣舞。銀紙を買って来て竹光をみんなが作った。古賀政夫作曲の「白虎隊」という歌に合わせて踊る。「十有九士屠腹(とふく=切腹のこと)して果てる」という詩吟にあわせて切腹の所作をして、地面に倒れるのがこの剣舞のクライマックスだ。運動会の当日には、何百人もの若者が「屠腹」してグランドに突っ伏したのだ。さぞ壮観だったことだろう。

 なんで鳥取の高校生が白虎隊なのだ。この剣舞をやることにきめた体育のO先生はその理由をこう説明していた。「N高を出たら鳥取を出て行く人が多かろうが。それでもたまに昔の仲間とどこぞでばったり会うこともあるわいな。そんな時にはなあ、「白虎隊」を歌いながらこの剣舞をしてみんさい。高校時代がよみがえってくるでぇ。ええでぇ」。明るい人柄のO先生は多くの生徒から慕われていた。しかし何の説明にもなっていない。なにが「ええでぇ」なのかさっぱり分からない。

 N高を卒業して30年以上が経つが、どうかするといまだに「白虎隊」のメロディが頭のなかで一日中鳴っていることがある。そしてぼくは東京の街中で、白昼N高時代の旧友とばったり出会うのではないかと密かに恐れている。その旧友と意気投合して、O先生の勧奨に従うことになるのではないかと恐れているのだ。50男が二人、新宿だか渋谷だかで突然剣舞をはじめる光景を想像していただきたい。そしておやじ二人が「十有九士屠腹して果てる」と口走りながら、地面に倒れこむ場面を想像していただきたい。


海峡に落ちたポテンヒット

2008-09-10 16:43:18 | Weblog
 マル金・マルビで一世を風靡した、いまは亡き渡辺和博さんに、「年収と主張の総和は一定である」という名言があります。高給を食んでいる大新聞の記者にはいうべきことはあまりないが、かつかつの暮らしをしているライターにはそれがあるというお話。

  一理あるならんと思いました。「戦争待望論」を唱えていた若い論客の主張は、その当否は別として、無名の時には凄まじい迫力を含んでいました。ところが、書いた本がある程度売れ、「評論家」としての地位を築いたいま、彼の書くものから往時の気迫はまったく伝わってはきません。窮境から脱け出したいま、彼にはもういうべきことがなくなってしまったということなのでしょうか。

 今回のオリンピックをみていると、日本の金満競技はほとんど全滅。野球、男子サッカー、男子柔道、男女マラソン等々です。例外は北島選手ぐらいのものか。柔道やマラソンはプロではありませんが、なにせ花形種目。潤沢な強化資金が投下され、スポンサー企業にもこと欠きません。

 他方、「ニート」と自嘲するほどの経済的窮境におかれた男子フルーレ個人の太田選手は、見事銀メダルに輝いています。「年収と勝利への意欲の総和は一定である」という法則がここでも成り立ちそうです。 うーん、しかし太田君。ニートとは何もしない若者のこと。フェンシングに打ち込む君は、ニートなどではありえません。

 日本は野球の準決勝で、イー・スンヨプのホームランでとどめをさされましたが、イー選手は、それまで不調のドン底にあえいでいました。韓国人でも金満選手はだめなのです。ここに日本が野球で韓国に勝つためのヒントがありそうです。まず日本代表の年俸をひとけたきり下げます。そして韓国代表チームのメンバーを日本のプロ野球に入れて、億万長者にするのです。そうすれば日本チームの目の色が変わることでしょう。高禄に胡坐をかき慢心しきった宿敵を打ち負かすことに疑いの余地はありません。

Wの悲劇

2008-09-07 06:48:01 | Weblog
 薬師丸ひろ子が、NHK総合の「ソングス」という番組に出ていました。島根県の山村の小学校の生徒といっしょに、合唱をするという企画でしたが、彼女の年来のファンとしては大変楽しいひとときが過ごせました。しかし彼女の印象は、13歳でデビューしたときから、40をいくつも過ぎた今日にいたるまでまったく変わりません。少女がそのまま大人になった印象です。この点で、薬師丸ひろ子は、谷亮子や福原愛と似ていると感じました。

 彼女は小学生たちにこんな話をしていました。自分は子どもの頃に大人の世界に投げ込まれた。そしてものすごく周りから厳しい指導を受けた。自分は子どもでも、大人としての仕事をさせられ、その成果は大人と同じ基準で評価される。当時は辛かったが、そのことはいまになってとても役にたっていると感じている。

 13歳で高倉健との共演でデビューした時からすでに、彼女は大人であることを強いられていたのです。その点が彼女と谷と福原との共通項でしょう。思春期をショートカットして大人になることを強いられた。その影響が、子どもがそのまま大人になったかのような3人の外見にあらわれているのだと思います。

 玉置浩二と結婚した時、彼女の大ファンだったぼくは鬱病になるほど落ち込みました。だが実際に鬱病になったのは、彼女の方だった。思春期をショートカットした結果、彼女は大人の女性としての心理的成熟に達していなかった。結婚生活を送るための心理的準備ができていなかったのではないでしょうか。

 谷亮子はどうか。「谷でも金」、「ママでも金」というスローガンにみられるように、結婚相手や子どもは、彼女にとっては獲得すべき対象でしかなかったのだと思います。恋愛も結婚生活も、柔道に取り組むのと同じ流儀でやればよかった。女性としての心理的成熟など必要なさそうです。ぼくは「谷外野手」の方が鬱病になるのではないかと、本気で心配しています。


オリンピック柔道についての省察(日本海新聞コラム「潮流」・8月29日掲載分)

2008-09-04 06:50:52 | Weblog
 読者のみなさま。この夏いかがお過ごしでしたでしょうか。私の夏は、北京オリンピックのテレビ中継を観ているうちに終わってしまいました。それにしても驚いたのは男子柔道の不振です。金メダル2つをとりましたが、その他の階級ではまったくメダルに手が届きません。4つの階級で初戦敗退を喫しています。史上最低のメダル数だということです。
 
 だがまてよ、とも思います。「日本柔道惨敗」。「史上最低の成績」。こうした報道をオリンピックのたびごとに目にしているようにも思います。ソウルでは金メダルがわずかに一個。アトランタでは、当時の世界チャンピオンが敗退を重ねていきました。しかし最終日に金メダルをとると、「本家の面目を保った」。今回も石井慧選手が100キロ超級で優勝したことによって、これまでと同じパターンに落ち着きました。

 発祥国でありながら外国人に負けてしまうことに、日本人は歯がゆさを感じ続けてきたのです。しかし、日本に絶対勝てないと分かっていれば、柔道に力を入れる国は出てこないでしょう。東京オリンピックで日本の神永昭夫がオランダのアントン・ヘーシンクに敗れた時、多くの日本人は嘆き悲しみましたが、もし結果が逆になっていれば、柔道がオリンピックの公式競技に定着することはなかったかもしれません。発祥国のプライドが踏みにじられることこそが、ある競技が世界的に普及していく条件なのです。

 オリンピックのJUDOは、本来の柔道とは似て非なるものだという批判が絶えません。たしかにJUDOはみていて面白いものではありません。しかし世界の多くの国に柔道とよく似た格闘技があります。それを土台として柔道を受容していくのですから、世界の舞台でのこの競技が異種格闘技戦の様相を呈するのは理の当然だといえます。柔道が日本料理だとすれば、JUDOは和風の器にもりつけられた多国籍料理だと割り切るべきでしょう。

 男子と対照的に女子は好成績を残しました。女子柔道は日本で始まった競技ではありません。ヨーロッパで生まれ日本に逆輸入されたものです。山口香さんのようなパイオニアたちは、ヨーロッパの選手を模範として学びました。本家意識が男子ほど強くない分、JUDOへの適応性が高いのではないでしょうか。また世界的に女性は従来、格闘技から遠ざけられてきました。そのため女子柔道の場合には各国固有の格闘技の影響が希薄で、どの国も比較的素直な柔道をしてきます。そのことも、日本に有利に働いているのかもしれません。

 柔道はグローバルな発展をとげましたが、国内で隆盛であるとはいえません。競技人口はフランスよりもはるかに少ない。まわりの子どもをみていても、武道で人気があるのは、空手・剣道・合気道。柔道を習う男の子は少数派。競技人口が先細りなのですから、今後とも男子柔道の苦戦は続くでしょう。次のロンドンも「史上最低の成績」が予想されます。


幼年時代(なんだかおかしな夏の終わり・声に出して読みたい傑作選59)

2008-09-01 06:11:21 | Weblog
 夏休みが昨日で終わった。今年は、あの悪夢のような統計グラフがなかったのは幸いだった。しかし夏休みの宿題が鬼門であることに変わりはない。太郎の小学校では今年から夏休みの宿題は「ポイント制」。学校行事への参加、お手伝い、各種のコンクールへの応募等々。それぞれに1点から3点までのポイントが割り振られている。10ポイントを達成するのがノルマである。

 太郎が、ちゃんとやっているわけがない。数えてみると1ポイント足りない。そのことに気づいたのは、昨日の夕食後である。夜11時ごろ、「若山牧水短歌コンクール」への応募作品をでっちあげてようやく10ポイントを達成した。「夏休み 宿題終わらず 大騒ぎ おとうにおかん ときどきおれ」。そうまた今年も親がたくさん手を貸した。この短歌を作ったのはおねえちゃんだ。

 ぼくが小学校に入ったのは昭和38年。高度経済成長期のまっただなかである。両親は商売が忙しくて馬車馬のように働いていた。どこに連れていってもらえるわけでもない。海水浴に2,3度行ったぐらい。朝はラジオ体操に行く。昼からは学校のプール。来る日も来る日もその繰り返し。退屈な日々。いまはラジオ体操をしている風景をほとんどみない。学校のプール開放も限られた日数しかやっていない。どこにも連れていってもらえない子どもは何をしているのだろう。

 絵日記は夏休みの宿題の定番。夏休みに入ったころは、まだはりきっていた。きまじめに、「ラジオたいそうにいきました。プールにいきました」。と書いていた。しかし毎日同じことを書いているとさすがにだらけてくる。8月の声をきくころになると、ラジオ体操は脱落し(実際には行っていたのだが)、「プールにいきました」だけの記述に変わった。お盆のころにはさらにだらけてきて、「プール」だけになる。夏休み最終盤ともなるともういけない。「プー」。これだけだ。母にみつかってものすごく怒られた。太郎にえらそうなことを言えたぎりではないのである。