ぼくの母校の前身の鳥取中学が、第1回の全国中等学校野球選手権大会で最初の勝利校となったことは何回か書いた。次の試合で鳥取中学は和歌山中学(現和歌山県立桐蔭高校)に大敗している。和歌山中学はバントを多用した。鳥取中学のナインはこの時はじめてバントという戦法の存在を知ったのだという。大混乱に陥り、その結果大敗した。鳥取中学の選手のなかには、バントは「卑劣な戦法だ」と憤るものもいたという。
大先輩たちの無念は分かる。しかしよく考えてみると、野球というスポーツは「卑劣な戦法」に満ち満ちている。投手が球を曲げたり落としたり、星飛雄馬のように消したりするのはもちろん卑劣だ。盗塁などもっての他。イチロー選手のように、野手のいないところを狙ってボールを落とす打法も卑劣のそしりを免れない。イチロー選手は盗塁の名手でもある。彼は球界から永久追放されなければならないのではないか。
卑劣でない野球とはこういうものだ。松坂投手とゴジラ松井が対峙する。松坂は渾身の力をこめて、ど真ん中に160キロの直球を投じる。ゴジラはこれまた渾身の力をこめて、バットをフルスイングする。全力と全力のぶつかり合い。三振かホームランか。まことに潔い。しかし、やるにしろみるにしろ単純でみなすぐ飽きてしまうのではないか。やはり「卑劣さ」はスポーツのスパイスである。
一昨年の夏にN高は甲子園に久しぶりに出た。千葉の古豪チームに敗れはしたものの、先取点を奪う健闘をみせた。相手投手の立ち上がりを攻め、フォアボールで出たランナーを送りバントで2塁に進め、タイムリーヒットで一点を取った。草葉の陰の大先輩たちは、自分たちを苦しめた戦法を自家薬籠のものとした後輩たちの健闘を喜んだのだろうか。それとも「卑劣な戦法」に頼る彼らを苦々しく眺めていたのだろうか。知りたいものである。
大先輩たちの無念は分かる。しかしよく考えてみると、野球というスポーツは「卑劣な戦法」に満ち満ちている。投手が球を曲げたり落としたり、星飛雄馬のように消したりするのはもちろん卑劣だ。盗塁などもっての他。イチロー選手のように、野手のいないところを狙ってボールを落とす打法も卑劣のそしりを免れない。イチロー選手は盗塁の名手でもある。彼は球界から永久追放されなければならないのではないか。
卑劣でない野球とはこういうものだ。松坂投手とゴジラ松井が対峙する。松坂は渾身の力をこめて、ど真ん中に160キロの直球を投じる。ゴジラはこれまた渾身の力をこめて、バットをフルスイングする。全力と全力のぶつかり合い。三振かホームランか。まことに潔い。しかし、やるにしろみるにしろ単純でみなすぐ飽きてしまうのではないか。やはり「卑劣さ」はスポーツのスパイスである。
一昨年の夏にN高は甲子園に久しぶりに出た。千葉の古豪チームに敗れはしたものの、先取点を奪う健闘をみせた。相手投手の立ち上がりを攻め、フォアボールで出たランナーを送りバントで2塁に進め、タイムリーヒットで一点を取った。草葉の陰の大先輩たちは、自分たちを苦しめた戦法を自家薬籠のものとした後輩たちの健闘を喜んだのだろうか。それとも「卑劣な戦法」に頼る彼らを苦々しく眺めていたのだろうか。知りたいものである。