ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

西方冗土

2009-05-29 09:28:27 | Weblog
 大阪のお笑いは何故だめなのか、という話を中島らもが書いていた。東京は八戸の人と熊本の人が一緒にいるような場所である。だからお笑いの場とはいえ非常な緊張感があるから東京のお笑いは磨かれる。しかし関西は大きな田舎。みんな親戚みたいなものだ。笑いくたくて仕方のない連中が演芸場には来ている。だからしょうもないギャグでも観客が腹を抱えて笑ってくれるので、関西のお笑いは進歩しない。

 東京は、たしかに八戸の人と熊本の人の集う場所だ。そして八戸の人と熊本の人が共通に恐れていることは、田舎者だといって馬鹿にされることである。下手なところで笑えばそれこそ自分が笑われるのではないか。そういう恐怖感を常に抱いているのが、東京の地方出身者である。この恐怖感を語らせれば東海林さだおの右に出る者はいない。彼も三多摩という東京内部の田舎(都下)の産である。

 徳島(ここは関西文化圏)から来た学生が、東西のお笑い文化の比較という興味深い卒論を書いたことがある。関西の人は自分が面白いと思ったところで笑うが、東京の人は周囲の反応をみて、一拍おいて笑う。そう。お笑いだけではない。東京は、自分の感性を信じることを禁止されている都市なのだ。メディアやインテリや、すなわち権威の言が圧倒的な力をもつ都会なのである。

 自分の感性を信じることができず、ひたすら権威のことばにすがる東京。内輪の馴れ合いから、つまらないギャグにも大笑いするかもしれないが、どんなに権威がほめようとも、自分がつまらないと思えば絶対に笑わない大阪。どちらの方に文化を育てる土壌があるか。答えは明らかである。若者文化をとってみても、劇画にフォークソング、そして近年の関西パンクと、創造的な文化の発信源はまず関西だった。東京がその経済力にものをいわせて、文化の発信力においても関西を圧倒していることが、この国の大きな不幸だとぼくは思う。

 

われらみな犯罪者

2009-05-26 14:29:46 | Weblog
 社会学の勉強を始めたころに、マイケル・サザーランドという犯罪学の泰斗が、成人男性の95%は何らかの刑事罰に相当する罪を犯していると述べているのを読んで非常に驚いたことがある。高度な産業社会では、「ホワイトカラーの犯罪」が社会的に大きな意味をもつようになるとサザーランドはいう。

 よく考えてみれば彼の言にはうなずけるものがある。若気の至りで、例のスマップの人のような失態を演じた男性は少なくないと思う。立小便は軽犯罪法違反だし、電車でゲロを吐いて座席を汚せば器物損壊罪に問われるだろう。誰かを公衆の面前で「馬鹿」とののしったことのない男はいないと思うが、そのことばを発した瞬間、名誉毀損は成立する。余った会社のタクシー券を私用に使うことはもちろん、ボールペン一本自宅に持ち帰っても横領罪は成立するのである。

 読者の方々のなかで、自分は上記のような罪の一つでも犯したことはないと、胸を張っていえる人がどのぐらいおられようか。サザーランドの研究は何十年も前に発表されたものだ。女性は外で働くことが少なかった時代なので「成人男性」となっている。社会進出の結果、今日では多くの女性もやはり様々な「犯罪」の誘惑にさらされているのではないか。

 社会の複雑化に伴って、違反すれば刑事罰の対象となるような規則は増える傾向にある。法の適用を厳密に行っていけば、社会生活はマヒしてしまうだろう。何を犯罪とし何をそうではないものとみなすのか。警察の裁量の幅が大きくなっている。その「裁量」が今日恣意的なものになっている印象を禁じ得ない。麻生首相の家の前を通りかかっただけの若者のデモ隊は逮捕されるのに、日教組の大会を妨害する右翼の街宣車には何のおとがめもない。同じ政治資金規正法違反でも、野党の大物政治家の秘書だけが捕まり、現職閣僚の身内からは逮捕者は出ないのだ。「法の下の平等」が損なわれている。

JCP

2009-05-23 09:45:22 | Weblog
木曜日は都内の女子大の大学院に非常勤で教えに出ている。授業が終わって最寄の地下鉄の駅に着くと、共産党の人が駅前で演説をしていた。トヨタもNTTもソニーも膨大な内部留保を抱えている。だから正社員の給料を上げ、非正規の人たちの雇用を守れ。そしてたくさんの大学のある土地柄を意識しつつ、新規学卒者が正規雇用の仕事に就けるようにする責務が企業にはあるとも言っていた。

 トヨタやソニーの正社員は大変な高給取りだろう。その人たちの給料をさらに上げろと共産党はいうのか。また、内部留保を崩して賃金にあてても企業はやっていけると共産党はいう。つまり共産党はいまの資本主義はまだまだ磐石であるにも関わらず、大企業は給料の出し惜しみをしていると考えているようだ。そして新規学卒者の一斉採用という日本的雇用慣行を守れとも、この政党は主張している。

 安易な首切りは、その対象が正規雇用の従業員であろうと、あるいは派遣のような非正規雇用の人たちであろうと許されてはならない。これは当然のことだ。しかし企業は、もはや雇用を維持できないところにまで追い詰められているのではないか。トヨタのような企業でさえ、いつ経営が立ち行かなくなるかもしれないという危機感を抱いていればこそ、膨大な内部留保を抱え込んでいるのではないか。資本主義の行く末については、共産党より企業経営者の方がはるかに悲観的であるようにみえる。

 完全雇用を維持しつつ、社員に十分は給料を払えと共産党は主張している。共産党の考えのなかでは、高度経済成長はいまだに続いているのである。この政党は近年の貧困の拡大のなかで、大きく党勢を拡大していった。不安定な雇用に甘んじている若者たちが大量に入党していったのである。しかし高度経済成長の夢を見続けている人たちの頭のなかから、若者の未来を託するに足る政策が出てくるのだろうか。疑問を感じる。

華燭の典(祝!結婚20周年!!・声に出して読みたい傑作選80)

2009-05-20 10:27:33 | Weblog
 1989年5月20日。ぼくたち夫婦は結婚した。本当は披露宴などやりたくもなかった。しかし父がいう。「うちの商売がなんで成り立っとるか、よう考えてみい」。生家の商売はもなかやである。冠婚葬祭の引き出物の注文がこなければ商売はあがったりだ。ぼくは大学を出て何年もふらふらして両親に散々心配をかけた。ぼくは父のいうとおりにした。妻の父は、長年県庁の農林部で働いていた人である。退職後は、民間の菌類の研究所に勤めていた。この研究所は豪奢な宿泊施設をもっている。披露宴は、ここでやることになった。

 わが生家は和菓子だけでなく、洋菓子も作っている。「ケーキ入刀の儀」には、ぼくの生家が作ったウエディング・ケーキが使われた。そして会場は菌類(しいたけ)関係の施設である。ここで式を挙げる人が必ず行わなければならないセレモニーがある。それは「植菌の儀」。原木の穴に、新郎新婦が手をたずさえて、しいたけの菌を打ちこむ儀式である。

 「ケーキ入刀の儀」が、破瓜の隠喩であることはよく知られている。南方熊楠を持ち出すまでもないだろう。「植菌の儀」たるや、原木の穴に金槌で菌を打ち込むのである。隠喩の域を超えている。そのものずばりだ。施設の係員がこの儀式の由来を説明していた。「お二人の共同作業で一日も早く子宝を!」などと下品なことをいっている。恥ずかしかった。

 「お色直し」もやった。披露宴の会場を出ている間に新郎新婦の記念写真を撮る。写真館の人が注文を出した。花嫁の表情がなんとも硬い。婿殿。何か面白いことをいって笑わせなさい。ぼくは妻の耳元で囁いた。「趙紫陽が解任された」。妻も写真館の人も狂ったように笑った。しばらく撮影ができなかった。無意識に出てきたことばである。何がおかしかったのだろうか。ぼくたちが新婚旅行から帰った直後に天安門事件は起こった。学生たちの民主化要求に深い理解を示していた趙紫陽総書記の失脚は、悲劇の予兆だったのである。

自由と孤独

2009-05-18 08:55:04 | Weblog
 大学の方が小学校より歴史が古い。小学校は市民革命の時代の産物だが、大学は中世ヨーロッパに生まれた。大学は知的職人たる学者と、その弟子である学生たちによって築かれたギルドだったのである。ウニベルシダスとは「組合」という意味である。

 中世の大学は神学・法学・医学の3学部からなるのが常だった。教会権力や世俗権力が介入してくることもあった。そこで大学に集う教授と学生たちは、「学問の自由」を主張し、それを認めさせたのである。「学問の自由」は中世に起源をもつ権利概念なのである。

 言論の自由の発達した英米では学問の自由は問題とならなかった。この中世的権利はドイツで生き延びる。帝政ドイツを支えた高い工業技術力は大学を舞台に生み出されたものである。権威主義的なドイツ国家において言論の自由は必ずしも保証されていなかった。しかし教授や学生には自由にものを考え発表する機会が保証されなければ学問の進歩はありえない。Akademiche Freiheitがドイツで重んじられた所以である。

 日本国憲法では、第23条で「学問の自由」が保証されている。何故戦後の日本でこの古めかしい権利概念が生き残ったのか。そこには天皇機関説事件や滝川事件の後、この国が戦争へと傾斜していったことへの反省がこめられている。「学問の自由」条項は盲腸的な条文のようにもみえるが、戦後長く大学側はこれを盾に、政府が大学に介入することを拒み続けてきたのである。

 90年代に入ると事態は一変する。国家財政が逼迫するなかで、文部科学省は大学に厳しく「説明責任」を求めていった。あなた方の行っていることは税金を遣うに値するのかと役人は問う。大学側は申し開きをすることができない。文科省の軍門に下っていった。いまや教員の授業を学生が評価し、それが昇進や給与の査定にまで使われている。これは学問の自由の侵害なのではないかと思う。しかしそんなことを言うものは誰もいない。いまや誰も大学が学問の府だなどとは思っていないことの証である。

休みの国

2009-05-15 14:16:25 | Weblog
 ゴールデンウイークということばは、もともと高度経済成長期に映画産業が作ったものでした。休日が並ぶこの書き入れ時に各社は、「黄金週間」と銘打って石原裕次郎や小林旭などの看板スターが主演を務める豪華な作品を並べたのです。「黄金週間」とはいうものの当時は1日おきに休日が入る「飛び石連休」が基本。日曜日をはさんでの3連休がせいぜいでした。ところが今年はカレンダーどおりでも5連休。9月にも5連休があります。

 連休が大型化していったのは90年代の末からのことです。祝日法が改正され日曜日と祝日が重なると月曜日が休みになる「ハッピーマンデー」が採用されています。1月15日だった成人の日が、1月の第2月曜日に移されます。海の日、敬老の日、体育の日も同様の扱いを受けました。度重なる祝日法改正の背後には、長引く不況のなか、大型連休を作ることによって消費を喚起しようという政策的な意図が働いていました。

 休日と平日では生活リズムが違ってきます。欠勤率の上昇や作業効率の低下などの「ブルーマンデー」の諸症状は休日と平日との時差ボケがもたらすものです。休日が続くほど時差ボケもひどくなる。週休二日より、半休が二日ある方が子どものためにはよいという専門家もいます。月曜日がやたら休みになるために祝日に授業をやることが大学では珍しくありません。「ハッピーマンデー」など即刻やめてもらいたい。


 ある心理カウンセラーがこんなことを言っていました。6月と7月に相談室を訪れる学生の数が目立って多い。6月には祝日がなく、疲れがたまりやすいことが一因していると思う、と。6月にはたしかに国民の祝日がありません。夏至を祝う「太陽の日」などはいかがでしょうか。休息のあり方は、人間の幸福と深い関わりがあります。消費の喚起という経済的な動機にのみ基づいて連休を増やしてきたこの国は深く病んでいるという他ありません。

巨人の星(今年の「しゅうかつ」は大変そう・声に出して読みたい傑作選79)

2009-05-12 21:57:13 | Weblog
 大学4年になると卒業後の進路を決めなければならない。自室には就職案内のパンフレッドが、山と積まれていた。サントリーやワコールのパンフレッドは熱心に読んだ。就職してもよいかと思った。しかし、考え直す。朝から酒を飲んだり、女性の下着を愛でているだけで給料が貰える訳ではない。利潤を上げて組織に貢献しなければならないのだ。そんなことには何の夢も感じられなかった。夏休みが近づいてくると、さすがのぼくも焦りを覚えた。

 そんなある日、ぼくは前の年に受けた授業のことを思い出していた。オーバードクターから助手クラスの若い学者が毎回登壇し、「社会契約説」について話をする授業だった。彼らは、顔色は悪く、身なりも貧弱だった。おそらく食うに困るほど貧乏していたのだろう。しかも彼らの話は難解を極め怠け学生のぼくにはほとんど理解できなかった。ただ、自分の研究するテーマについて憑かれたように話す彼らを、ぼくは「カッコいい」と思ったのである。

 「学者になろう!」。唐突にぼくはそう決心した。自分の知的関心を追求することは、組織の歯車になるよりよほど意味のあることに思えたからである。しかし、迷いも残っていた。修行時代は貧乏だろう。それはガマンするとしても、一生定職につけなかったら一体どうなるのだろう。ぼくはドストエフスキーのひそみにならって、聖書占いで進路を決めることにした。聖書の任意のページを開き、そこでのキリストのことばを行動の指針にするのである。

 ぼくが飛び込んだ古書店に聖書はなかった。マンガ本の専門店だったからである。目の前には『巨人の星』がある。これで占おう。マンガのバイブルではないか!真中あたりのページを開いた。そこでは星一徹から中日に来るよう誘いを受けた伴宙太が、星明子に相談をしていた。明子が宙太に言う。「宙太さん。ジャン・コクトーがこう言っているわ。青年は安全な株を買ってはいけない、と」。迷いは完全に吹っ切れた。ぼくは大学院進学を決意した。

美女と野球

2009-05-09 07:37:41 | Weblog
 連休を目部に控えた先月末の日曜日。骨子の吹奏楽部の定期演奏会があった。例年のことながらこの演奏会の最前列には場違いな丸坊主の集団が陣どっている。硬式野球部員である。ブラスバンドの応援のない甲子園大会の予選など、それこそなんとかのないコーヒーのようなもの。お礼の意味をこめて、野球部員全員で聴きにきてくれるのである。しかし音楽に関心の高い野球の選手が多いとは思えない。日頃の猛練習の疲れもあるのだろう。後ろからみても彼らが盛大に船をこいでいるのが分かる。

 この演奏会は吹奏楽部の年間最大行事。受験を来年に控えた3年生はこれで引退する。演奏だけではなく、男子生徒が主役のコントがあり、センスがよくてとても楽しい。骨子も中学時代にこの定期演奏会を聴きにきたことが、S高受験の動機付けになった。パンフレットも自分たちだけの力で立派なものを仕上げている。注がれたエネルギーは生半可なものではない。

 演奏会が終わりに近づくと涙を流す女子部員の姿が目につく。感動的な光景である。だがフルートのある女の子はこんなことを言っていたという。「これで先輩とお別れだと思うとこみ上げてくるものがあったけれど、野球部の寝ているのが目に入って涙が引っ込んだ」。まあ、気持ちは分かる。野球部に罪はないのだが。
 
 吹奏楽は女子が主体の部活。男子部員は少数で賢そうだが、線の細い、いまでいう「草食系男子」が主流を占めている。先輩には東大の野球部で活躍している投手もいる文武両道のチームだが、やはり野球部員は別世界の人たちという印象だ。C.P.スノーは文系理系二つの文化の分裂に警鐘を鳴らしていたが、文科系と体育会系という断裂もまた存在するのではないか。演奏会の後、野球部の人たちは会場と隣接する大きな公園で楽しそうに遊んでいた。猛練習の日々のなかでの息抜きの一日なのだろう。頑張ってください。夏の大会。

♪踊り疲れた ディスコの帰り♪

2009-05-06 09:15:52 | Weblog
難波巧士さんの『族の系譜学』を2年ゼミのテキストに使っている。「太陽族」に始まり、「オタク族」さらにはコギャルへと至る若者文化の流れを「族」ということばをキーワードにたどった研究である。「太陽族」・「みゆき族」の頃、若者文化の発信地は銀座であった。60年代には新宿が熱く燃え、その終息とともに焦点は渋谷原宿青山に移動していく。

 「太陽族」であれ、「フーテン族」であれ、奇妙な若者の行動が目につくようになるとメディアが一斉にそれに飛びつく。そして「○○族」ということばがメディアを通して広く知られるようになると、誰でもたとえば「オタク族」になってしまい、「族」の意味合いは拡散し希薄化する。若者の奇矯な行動は常に大人たちの顰蹙を買う。メディアによる「族たたき」が始まり、多くの「族」は一年程度でその流行を終える。

 この本を読みながら私は、ある違和感を禁じえなかった。若者文化はすべて東京発のものなのだろか。関西は日本の大衆文化を多く生み出してきた。お笑い然り。手塚治虫に始まる戦後の日本マンガも、やはり関西が発祥である。あの60年代末の時代の若者文化もまた然りである。フォークソングも「べ平連」もみな関西起源だ。その後も関西は中島らもを生み、町田町蔵もそのなかにいたパンクロックの流れを産んだ。これらがなければ日本の若者文化は実に貧寒たるものになっていたのではないか。ところがこの本では、関西若者文化の潮流は一切無視されている。

 吉本、阪神、たこやき、やくざ。関西は東京のメディアから明らかに見下されている。しかし000年の歴史をもち、江戸期には文化の中心地であった関西は、東京よりはるかに大きな文化的創造力をもっている。メディアだけではなく、学者のなかにも東京セントリズムが根を張っている。関西の優れた学者である難波さんには、それを打破するような仕事を期待している。

15歳の春に笑え(日本海新聞コラム潮流・4月29日掲載分)

2009-05-03 06:55:12 | Weblog
4月6日は息子の中学校の入学式でした。身長140センチのおちびさんです。学生服はだぼだぼ。いつか大きくなる日が来るのでしょうか。心配になります。まわりには、大人のような体格の同級生が大勢いました。精神的な面でも肉体的な面でも、発達の個人差がもっとも大きく出る年代です。それにしても21世紀にもなってプロイセンの軍服のような黒い詰襟を着せられている子どもたちが不憫です。日本の学校は本当に変わりません。

 新制中学は戦後の教育改革の産物です。新制中学は、すべての子どもが男女共学の9年間の教育を受けるという平等の理念を体現していると同時に、子どもたちの発達段階への配慮から生まれたものでもあります。教育改革論議のなかでの「13歳から15歳までの3年間は人生で最も困難な時期であり、その上ともその下とも一緒にしてはならない」という主張が、新制中学誕生に強い影響力をもちました(下村哲夫『実感的戦後教育史』)。

 14歳で人間の脳はほぼ完成に近づくといいます。しかしハードは出来上がっても、人生の経験や様々な知識といったソフトは極めて乏しい。そして男女とも第二次性徴がはじまり異性を強く意識するようになります。しかし、そうした思いをもて余すだけ。身体の成長も縦に伸びたり横に広がったりと、非常にちぐはぐです。こうした様々なアンバランスさが、中学生をみっともなくみせてしまいます。「中坊」などと揶揄されてきた所以です。

 「人生で最も困難な時期」を生きる子どもたちを教える中学教師は、本当に大変な仕事だと思います。4年前、娘が入学した時のクラスでは子どもたちの諍いが耐えませんでした。その時を回顧して担任だった女の先生は「大変でしたよ。でも結構楽しかったです。今日は何が起きるかって、ね」。困難を乗り越えながら成長していく子どもたちの姿をみることを喜びとしていたのでしょう。こういう人こそが中学教師に相応しいのだと思います。

 「ここは公立中学ですから、ありとあらゆる子どもが集まってきます。色々なことが起きて当然です」。娘が在学していた時の校長先生がそう話していました。「ありとあらゆる子どもたちが集まって」くるとはいっても、姉が通っていた時代のこの学校は比較的平穏でした。「ここはいい方です。前の学校にはしょっちゅうパトカーが来ていました」。先の女の先生のことばです。同じ市内の中学校でも、地域によって随分様子が違うようです。

 過熱する私立中学受験と、公立中高一貫校の創設。東京圏の公立中学は見捨てられている印象すらあります。新制中学に託された、平等の理念と発達段階への配慮は否定されてよいものなのでしょうか。しかし希望もあります。金八先生のように派手ではなくとも、子どもたちと向き合うことを喜びとする優れた教師がいることです。今年公立中学の門をくぐった全国すべての子どもたちが、笑顔で15歳の春を迎えることを願ってやみません。