ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

腐女子とルイ・ヴィトン

2009-01-29 08:05:24 | Weblog
 「腐女子」というテーマで卒論を書く学生が毎年いる。ある学生が面白いことを言っていた。男のおたくは孤独な印象だけど、女おたくはつるむ感じがあると。腐女子の世界では男性同性愛が好んで描かれる。そうしたおかしな性的嗜好をもつ若い女性がたくさんいるとも思えない。ところが「腐女子」は、膨大にいる。女子高だとクラスの半分ぐらいが女おたく=腐女子であることも珍しくないという。

 ジンメルは「女性と流行」というエッセイのなかで、人と変わったことをして目立ちたいという差異化の欲求と、人と同じようにしたいという同一化の欲求の合力として流行は生まれると述べていた。男の子は人のもたないものをもつことに強く執着する。80年代の元祖おたく世代は、珍しいセル画の収集に精力を傾けていた。逆にいまの女の子たちは、みんながもっているルイ・ヴィトンを欲しがる。みんなと同じものをもって安心したい気持ちが強いからだ。

 「腐女子」もルイ・ヴィトンの仲間のように思われる。誰かがその手の同人誌を学校にもってくる。性に関心の強いお年頃である。みんなで回して読む。競うようにして読む。それを読まないと仲間はずれにされるかもしれないからだ。男性同性愛の描かれたおかしなマンガを読み、「あたし腐女子!」と名乗ることは、いまの女の子世界では、逸脱行動というよりはむしろ同調行動なのだ。それでうじゃうじゃ腐女子やら女おたくがうまれるのではないか。

 みんなと同じで満足をしている。そして有名なアニメやマンガの「二次創作」(パロディ)が、おたくたちが作る同人雑誌では、大きな比重を占めている。既存の商品化された文化のなかに、いまのおたくたちの想像力は囲い込まれてしまっている。ここからは新しいものを作り出す力は生まれてこないだろう。マーケットの収縮だけではなく、想像力の枯渇という意味からも、世界に冠たる日本のマンガ文化の将来は明るいものとはいえない。

12の英雄的行進曲

2009-01-26 11:41:45 | Weblog
  一昨日は、太郎のアンサンブルの東関東大会。茨城県の結城市に行ってきました。結城紬の里なので、文化的な匂いを期待したのですが、なんだか殺風景な町でした。神奈川、千葉、茨城、栃木が吹奏楽の「東関東」エリアです。不思議な地域割りです。千葉と神奈川は、海でつながっているという理屈でしょうか。神奈川は小学校に吹奏楽部があるのは10校ほど。弱小県で茨城、千葉の後塵を拝しています。

 太郎たちは金管打楽器八重奏。打楽器のふじ君が演奏前腹痛を訴えてしゃがみこみ、周囲を心配させました。心因性の腹痛です。ふじ君は秋の大編成の東関東大会でバチを落とした子です。銅賞に終わったのは自分のせいだと、その時号泣していました。その記憶が甦ったのでしょう。太郎も去年のこの大会では足が震えたといっていた。子どもに過酷なことを強いていると思いました。

 ふじ君も本番では立ち直っていました。堂々たるバチさばきでした。太郎たちは、バロックの巨人テレマンの難しい楽曲を見事に演奏しました。しかし相手が悪かった。太郎たちの前に演奏した茨城の小学校は大編成の全国大会で優勝したつわもの。うまいなんてものじゃない。「CDを聞いているようだ」と周りの人たちも言っていました。普通の高校生など足もとにも及ばない。それほどのレベルです。いったいどんな練習をしているのか。あれだけやって中学から後伸び代があるのかと、余計な心配をしてしまいます。

 太郎たちの演奏に大きな破綻はありませんでした。でも結果は銅賞(銅メダルではない。3段階で最低レベルの評価)。まあ、あのレベルと比べられては銅賞もしかたがありません。神奈川代表の5団体はすべて「銅」でした。しかし、太郎たちに涙はありません。ふじ君も晴れやかに笑っています。全力を尽くした満足感があるのでしょう。小学校最後のコンクールが、まずはよい形で終わってほっとしています。

腐った主婦

2009-01-23 08:36:17 | Weblog
 骨髄移植を受けて退院して間もない頃、「仮面ライダー」の新しいシリーズが始まった。第一作が「仮面ライダークウガ」。おばかな悪の組織が幼稚園バスを襲って喜んでいた昭和の仮面ライダーとは違い、クウガの敵役グロンギは、おそるべき残酷な殺人を重ねていく。そして昭和と平成の仮面ライダーの大きな違いは、子ども以上に大人が熱中していたことである。

 クウガに変身する若者を演じたオダギリジョーは、その後スターの階段を駆け上った。クウガを支える刑事を演じた美男男優もとりわけ主婦層に大きな人気を博していた。ぼくの妻もその一人である。この男優のファンクラブにも入っていた時期がある。グロンギのことばをコンピュータに入れて分析したりもしていた。クロンギ語は日本語と同じウラルアルタイ語族系の言語らしい。

 「クウガ」で検索をかけるとおびただしい数のサイトがヒットした。そこには、クウガ(に変身する若者)と美男刑事の男性同性愛的関係を妄想する小説が載せられていた。クウガ(に変身…)が男役で刑事が女役、あるいはその逆。このドラマには青年医師も出てきて彼も妄想の対象になっていたから、「男役・女役」の順列組み合わせのパターンは非常に多くなる。作者の大方は女性のようだ。「腐女子」とか「やおい」とか呼ばれる世界である。とてもよくできたものもある。何故パロディではなく、オリジナルな世界を創らないのかと不思議に思った。

 この番組を機に団地のお母さんたちの間で、BL(ボーイズラブ=美少年の同性愛ですね)のブームが起こった。太郎の仲良しのお母さんと妻がその手の本の貸し借りをしていた。その現場に太郎の友だちの当時中学生のお兄ちゃんが帰ってきた。弟君とは、9つも歳が離れている。お兄ちゃんは怒って、「お母さんたちは腐った主婦だ!」と叫んだ。いや、お兄ちゃんのいうとおり。自分の母親がそんなものを読んでいるのを知れば、誰だっていやだろう。このお兄ちゃん、今年は東京大学の4年生。時のたつのは早い。

だんだん

2009-01-20 06:49:56 | Weblog
 NHK朝の連続テレビ小説「だんだん」をみています。最近観るのが、だんだん苦痛になってきました。親父ギャグではありませんが…。大阪で生まれた双子の姉妹が、赤ん坊のころに引き離され、一人は祇園で舞妓になり、一人は松江のしじみ漁師の娘として育てられる。偶然出会った二人は、双子デュオとして、大阪のイケメンプロデューサーの導きのもと、プロの歌手の道を目指すというストーリーです。

 この双子には、およそ主体性というものがありません。プロデューサー氏の言いなりになっている。そして、このプロデューサー氏も結局東京の本社の訓令をあおがなければ何もきめられない。双子デュオは、オリジナルな曲をまったく歌いません。「赤いスイートピー」に「恋のバカンス」。昔のヒット曲のカバーばかり。女が男のいいなりになり、松江や京都等の地方が東京に盲従する。そして若者の創造性の発揮は許されず、大人世代のノスタルジアに媚びるばかり。なんともおぞましい図式です。

 今回の主役の双子タレント「マナカナ」のデビュー作である「ふたりっ子」は面白かった。成長した双子の一人はプロの将棋指しになり、もう一人は恋に生きる女になる。一人は類稀な将棋の才能で男性棋士を次々と撃破し、一人は色香で男たちを翻弄していきます。「ふたりっ子」で描かれていたのは、強い女、闘う若者でした。「だんだん」は10年以上も前に作られたドラマからも物凄く後退してしまいました。

今週から風向きが少し変わってきそうです。主人公の二人が商業主義に踊らされている現状に疑問を抱く展開になるのではないか。女性の、若者の、そして地方の反逆が描かれるのでしょうか。個人的には吉田栄作演じる元ボクサーでしじみ漁師の松江のお父さんにひと暴れしてもらいたい。「このダラズが!」と叫ぶなり、あの忌々しいイケメンをボコボコにする。そんなストーリー展開を期待します。

余計者

2009-01-17 08:48:39 | Weblog
 一限の開始とともに机に突っ伏し、目が覚めるのは授業が終わって部活が始まる頃。誇張でも何でもなくそれがぼくの高校時代の日常でした。高2の時、主人公が自分と同じように朝から晩まで寝ている小説があると聞き、早速高校の図書館から借りて読むことにしました。ゴンチャロフの 『オブローモフ』です。知性も高く、人格も高潔。しかし、この主人公はいつまでたってもベッドから出てくる気配がありません。高邁な問題をうだうだと考えているうちにまた眠りに落ちてしまいます。こちらまで睡魔に引き込まれ、結局途中で読むのを放棄してしまいました。

 ゴンチャロフは自分の造型した青年貴族とは対照的に活動的で、長崎に開港要求に来たプチャーチンの使節の一員(通訳)として、バルラダ号に乗り組んでいます。『ゴンチャーロフ日本渡航記』(講談社学術文庫)を読みました。日本側は、のらりくらりと交渉を先送りしロシアの使節団をいらだたせます。しかし、交渉が始まるとゴンチャロフは、幕府全権・筒井政憲、川路聖謨らの能力と人間性とを高く評価していました。

 日本は早く鎖国のまどろみから目覚めて普通の国にならなければいけないとゴンチャロフはいいます。しかし当時のロシアも、完全なヨーロッパの一員にはなりきれていなかった。そうでなければ、勤勉の倫理とはかけ離れた「オブローモフ」のような人間類型が生まれることもなかったでしょう。「オブローモフ」の作者が日本人に「上から目線」でものを言っているのはいささか滑稽です。

 ゴンチャロフはよく太った人だったようです。そして使節団のなかでは、知恵袋の役割を果たしていました。日本側の記録をみても、彼について「太腹」・「謀主」等の表現が出てきます。身のこなしも俊敏ではなかったようです。「太腹」=メタボになるのは、「食っちゃ寝」の日常生活を送っていたためではないのでしょうか。オブローモフは、やはりゴンチャロフの自画像でもあったのでしょう。

ユージン・スミス(父の死からもう5年・声に出して読みたい傑作選71)

2009-01-14 08:39:07 | Weblog
 15年ほど前のことである。鳥取で新聞記者をやっている友人から電話がかかってきた。徳永進医師の主宰する文化施設、「こぶし館」でユージン・スミスの写真展をやる。ついてはスミスの解説を地元紙の文化面に書いてくれというのが依頼の内容だった。

 ホスピスムーブメントの旗手としての声価の高い徳永医師は、子どものころから「大きくなったらシュバイツァーのような偉大な医者になれ」とお母さんから言われ続けて育っていった。高校時代に徳永少年はユージン・スミスの写真と出会う。スミスが映し出したシュバイツァーからは、「偉大な人物」たらんとする彼の臭みを感じて好きになれなかった。むしろ「カントリー・ドクター」という一連の写真に描かれた、アメリカの田舎医者、エルネスト・セリアーニに徳永少年は強くひかれたのである。徳永さんは後に、セリアーニと同じ田舎医者としてのキャリアを選びとっている。

 自分の人生の方向付けを与えてくれたスミスに、徳永さんが深い思いを寄せるのは当然のことだ。何度かこうした作品展を徳永さんは鳥取で開いていた。この時ぼくが何を書いたかはいまは覚えていない。記事が新聞に載った数日後、父から電話がかかってきた。

 父はいう。「徳永さんのところの文章、読んだで。なかなかよう書けとった」。まずはぼくの文章をほめてくれた。「ただなあ、新聞は天下の公器なだけえ。軽々によそ様のことを『友人』ちゃあなんで呼んだらいけんだ」。?!一瞬ぼくは耳を疑った。「お前がなあ、なんぼ『友人』だと思とっても、あのスミスっちゅう人はお前のことを『友人』だとは思っとらんかもしれん。文化の違いちゅうこともあるだけえ。よう気をつけないけんで」。

 驚いたことに父は「ユージン・スミス」のことを「友人スミス」とぼくが書いたと勘違いしていたのだ。こうした不思議でとんちんかんな心配を、父は大真面目でする人だった。それから10年近くの後に、徳永医師のホスピス「野の花診療所」で、母のあとを追うように人生の幕を閉じることになるとは、この当時、ぼくにも父にも予想だにすることはできなかった

路上の人々

2009-01-11 09:58:11 | Weblog
 正月、鳥取に短期帰省してきました。タクシーの運転手さんがいいます。「ホームレスが鳥取でも増えましてよう。昼間は、図書館やにおんさって(おられて)、夜になると駅の方に移動しんさるですが。自販機をようのぞきょうんさります。つり銭が残っとるかもしれんと思われるでしょうやあ」。

 鳥取はみんなが知り合いのような小さな町。そういう町にホームレスがいるということにぼくはひどく驚きました。外から流れてきた人であれば話は別ですが。一昔二昔前なら、親戚があらわれて自分のところに引き取ったのではないでしょうか。「世間体」ということもありますし。人情紙の如しということなのか。はたまた経済の悪化で、たとえ身内であっても困窮した人の面倒をみる余裕をなくしてしまったということなのでしょうか。

 年末の朝日新聞で、秋葉原の事件について見田宗介さんが、「まなざしの過剰の地獄が永山則夫の犯罪(60年代末のピストル連続殺人犯)を生み、まなざしの欠乏の地獄がKの凶行を生んだ」と述べていました。青森から東京に集団就職で出てきた永山は自分を田舎者扱いするまなざしに苦しみ、永山の同郷人であるKは携帯サイトにいくら書き込んでも反応がないことに絶望したその差異を述べたことばです。「まなざしの不在」が鳥取のホームレスを生み出しているとも感じました。

 「まなざしの不在」は、人々が他人に対して無関心になってきていることの証でしょう。そして、鳥取の場合には物理的にも「まなざしの不在」が生じています。ホームレスは郊外にいません。街中にいます。鳥取では、生活の郊外化が進み、街中で歩いている人をみることは稀です。だからホームレスたちも顔見知りとあわないですんでいるのではないか。鳥取のホームレスは生活の郊外化の産物でもあるのでしょう。郊外のジャスコのショッピングモールが一人勝ちをして、繁華街の商店が軒並みをシャッターを下ろしてしまった地域社会の陰画のように感じました。

逆転

2009-01-08 11:01:35 | Weblog
 鹿児島にいた時のことである。親知らずを3時間かけて抜いたぼくは、何もする気力が起こらず、NHKテレビの夕方のドラマをみていた。アメリカの高校が舞台の青春ドラマである。アメリカンフットボールのコーチが、部員を殴ったという騒動が起きる。被害者の少年は、高校の内部にある裁判所(!)に訴えを起こした。PTAの役員が裁判官を務め、生徒と教師と親のなかから陪審員が選出される。

 暴行の目撃証人は、同じ部活の少年一人だけである。レギュラーの地位を餌に彼は、コーチから口止めをされる。しかし彼は最後に法廷で真実を語り、コーチに有罪の判決が下される。アメリカの陪審員制度は、こうした子どもの頃からの訓練の上に成り立っているのだと強い印象を受けた。

 その翌日のこと。鹿児島大学で開かれた伊佐千尋さんの講演会に参加した。大隈半島で起きた冤罪事件(高隈事件)を粘り強く取材した地元紙のM記者が主催して開かれた講演会だった。伊佐さんは『逆転』というドキュメンタリーで名をなした人である。米軍統治の時代の沖縄には陪審員制度があった。米兵に対する殺人罪に問われた若者が粘り強く無罪を訴えたところ、陪審員たちが殺人については無罪の逆転判決を下した事件に取材した作品である。伊佐さんは、司法への民衆の参加こそが冤罪をなくす最良の手だてだと話をされていた。

 討議の時間になってぼくの姿をみつけたM氏が何か質問はないかと問いかけてきた。ぼくは、前日にみたドラマの話をして、陪審員制度は好ましいと思うが、子どもの頃からの訓練抜きでそれをやってうまくいくものなのだろうかという話をした。伊佐さんがどんな回答をされたのかは覚えていない。伊佐さんは裁判員制度について、いまなんといっておられるのだろうか。いまのままの仕組みでは、ももさんが書いておられた「自白物証なし」殺人事件の裁判員にされた良心的な人は、間違いなくノイローゼになってしまうだろう。

裁判員制度に異議あり!(日本海新聞コラム「潮流」08年12月30日掲載分)

2009-01-05 07:05:30 | Weblog
 09年から裁判員制度が発足します。読者のなかにも、裁判員に指名された方がおられるのではないでしょうか。刑事裁判に市民が参加することじたいは、非常によいことだと私は考えます。曇りない市民の目が、プロ以上に事件の本質を見抜く可能性を否定することはできません。また、刑事事件には社会の矛盾が凝縮されています。刑事裁判に参加した人々が、そうした様々な矛盾を肌身にしみて感じることには、大きな教育的な意味があると思います。しかし、現実の裁判員制度に対して私は多くの疑念を禁じえないでいます。

  裁判員制度の対象となるのは、強盗、殺人、現住建造物放火、危険運転致死等々の重大な刑事事件です。有罪になれば死刑になる可能性のある罪状も、そのなかには含まれているのです。人を死に追いやるような決定をも裁判員たちは下さなければならないのです。素人には荷の重すぎる仕事です。制度の発足当初は対象となる事件を、むしろ微罪しか適用されない、他愛もない事件に限るべきではないのでしょうか。はじめてスキーをする人を、いきなり上級者向けのゲレンデで滑らせる。そうした無謀さがこの制度にはあります。

 諸外国の陪審員は、有罪無罪の表決だけを行い、量刑は裁判官が決定します。ところが日本の裁判員は、量刑までをも決めなければならないのです。量刑は、過去の判例、被告の改悛の度合いと更生可能性、被害者の感情等々複雑な要素を総合的に勘案してきめなければなりません。それは経験と知識の蓄積をもつプロの果すべき仕事です。とりわけ殺人罪の場合には、数年の懲役から死刑にいたるまで量刑の幅が極めて大きくプロの裁判官ですら頭を悩ませると聞きます。そんな仕事を素人に委ねてしまってよいはずがありません。

 裁判員を長く法廷に縛り付けておくことはできません。公判機関を短縮するために、裁判員の前にはあらかじめ精選された争点と証拠とが提示されます(「公判前整理手続き」)。裁判員制度導入のための裁判迅速化のモデルケースとされていた広島の女児誘拐殺人事件の高裁判決は、無期懲役の一審判決を「審理を尽くしておらず違法」と破棄し、広島地裁に差し戻してしまいました。判決を急ぐあまり重大な事件であるにも関わらず十分審理を尽くすことができないという、この制度が持つ重大な欠陥を鋭く指摘した判決といえます。

 裁判員制度は国民に望まれて生まれたのでしょうか。内閣府の裁判員制度に関する世論調査では、7割以上の人が裁判員になりたくないと答えています。日本は先進諸国のなかで国として唯一死刑を存続させており、そのことが国連自由権委員会で激しい非難を浴びました。この時日本政府は、死刑に対する世論の支持を制度存続の理由として国際的な非難に反駁を加えたのです。世論の支持を金科玉条として死刑制度に固執する日本政府が、世論にまったく支持されていない裁判員制度の実施を強行する。嗤うべき矛盾です。

ちりとてちん(新年恒例?・声に出して読みたい傑作選70)

2009-01-02 17:47:54 | Weblog
 あけましておめでとうございます。「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」。50を過ぎると身にしみる一首でございますなあ。百年足らずでこの世をおさらばするのが人間の定め。これはあまりにも短すぎると感じないでもございません。しかし、どうなんでございしょうか。人の一生が、地質年代を超えて続くとなると、これは何とももうっとうしくはございませんか。

 新聞に、「鳥取市の「野の花診療所」で、世界最高齢者の男性が亡くなった。この男性の死亡で先カンブリア期生まれの人はいなくなった」という記事が載っていたりするわけでございます。このおじいさん、何歳まで生きたんでございましょうか。何十億歳?そんなお齢の方と話をするのは、さすがの徳永進先生でも大変だったのではないかと拝察いたします。

 「降る雪や ジュラ紀は 遠くなりにけり」。外では雪が降っている。熱帯性の植物が繁茂して、巨大な恐竜が地上を闊歩していたジュラ紀は、遠い昔になってしまったことだよなあ…。この句の作者は、子どもの頃、恐竜と相撲をとって身体を鍛えたのでございましょうねえ。「新生代生まれの奴らには気骨というものがない」と悲憤慷慨しておられたのでございましょう。

 当然この世界には、本物の氷河期生まれの方がいらっしゃいます。どんなに若くても1万歳。それでもここでは、若者(!)のくくりです。不遇な人生を強いられたこの世代の一人の男性が書いた「巨大隕石でぶっ飛ばしたい」という論文が話題になりました。かつて恐竜を駆逐し、地球上の生態系をリセットしたとされる巨大隕石の地球への落下が再び起こることを熱望する論文です。

 この「巨大隕石待望論」は年長世代の左翼から、強い批判を受けます。「お前は若いからあの時の苦しみを知らない!」。「氷河期世代だけが隕石落下の恩恵を受けるなどと思うなよ!!」。ところでこの左翼の方々は何紀のお生まれなのでしょうか。何?左翼には未来がない。もう沈没してしまっている。だから、デボン(ドボン)紀。おあとがよろしいようで。