西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

特製ちゃんぽん

2012-07-17 20:48:27 | 日記
両親の法事のために土曜日から帰省していた兄が、きょう千葉に帰った。

2年ぶりに会った兄は、前より痩せていて気になった。
「体調はいいから心配ないよ。」と言うが、この年齢になると、やっぱり心配である。

そんな私を気遣ってか、「大腸がんの手術後受けている検査も、2年に1回受ければいいようになったから大丈夫だ。」と話す。

昨夜は、高校時代の親友と会ってご機嫌で帰宅した。

その兄が、今回の帰省での心残りが1つだけあるという。
「今回は、ちゃんぽんを食べていない。」

帰省のたびに、中華料理店でいつも食べていたのに、今回は大雨続きで、結局外出も出来ないまま、食べ損ねてしまったのだと言う。

首都圏には焼きそばの麺はあるが、ちゃんぽんの麺はなく、簡単には手に入らない。
それで、「ちゃんぽんは帰省したときだけ、食べることができる料理なんだよ。」

仕方ないな~。
じゃあ、お昼にちょっとだけ腕を揮うかな。

そこで作ったのが、私の特製ちゃんぽん。



味のほうは保障できないけれど、それでも兄は「美味い、美味い。」を連発してきれいに平らげた。

「美味しかった?よかった~。」

お互い年をとって、次はいつ会えるか分からない。
「体が動くうちは、また帰ってくるよ。」というけれど、簡単に動けるのもいつまでかなァ~。

「体を大事に、元気にしててね。」

次に来たときは、腕をふるって、もっともっと美味しいちゃんぽんを作るから。


最後の法事

2012-07-15 20:19:30 | 日記
やっと終った。

父の13回忌と母の7回忌を、今日、済ませた。



昨日、千葉にいる兄が帰省し、近しい親族のみで法事を行ったのだ。

兄も70歳、私も64歳になった。

兄は数年前に大腸がんの手術を受け、元気になったものの、佐世保まで帰ってくるのも体力的に大変になってきた。

最後の15年ほどを両親と一緒に暮らし看取った私が、法事関係の一切を引き受けてきた。
このままの状態で、私がずっと続けてもいいと思ったのだが、兄は「長男だしそうもいかないから、、、。」と今回を最後に、位牌を千葉に移すことにしたのだ。

位牌は、父母、祖父母、そして24歳で戦死した叔父と3つある。

今日は、その全ての位牌をお寺に持って行き、お経を挙げてもらった。

私には、信仰心などまったく無いし、お経を上げることが供養だなどとは思っていないけれど、今まで親たちがやってきたことを捨てるという気にもならなかった。

いつも仏壇の中で、埃をかぶっていた3つの位牌は、きれいに磨かれてお寺へ運ばれ、読経をあげてもらい、そして終った。


来月から、千葉のお寺でお経を上げてもらうのだと兄が言う。

ふ~ん。

やっと、肩の荷が下りたような、ほっとした気持ちと、いままで気にも留めていなかった3つの位牌が無くなることが、何だかさびしいような…。





里山の夏花

2012-07-10 20:54:05 | 石木ダム
「石木ダム」の付け替え道路工事が中断して、もう2年になる。

2010年3月24日に突然始まった道路工事は、里山の木を切り倒し、ユンボやブルドーザーの重機を入れ、道らしく地ならしされていった。

3月27日から、反対同盟と私たち支援者とで、フェンスで囲まれた工事現場の入り口に座り込んで、阻止行動をやった。

連日、弁当持参で夫と座り込みに通った。
4ヶ月後の7月23日から、この道路工事は中断され、現在に至っている。


国交省の有識者会議の意見を踏まえた国の対応方針は、事業継続だった。
しかし、この方針には「地元の理解を得る努力を希望する」との付帯意見がついた。

佐世保市長は、この付帯意見は「十分に話し合いをしなさいということ。」と議会で答弁したけれど、いつどういう風に動き出すかはわからない。

座り込みの最後の日、工事現場のガードマンさんは(4ヶ月も座り込みを続けたので、現場のガードマンさんとも親しくなったのだ。)ブルドーザーで固められた土の横から草花を掘り起こし持ち帰ってきた。

「せっかくの花々が、潰されてしまうので」と。

何種類もの里山の花々は可憐で、鮮やかで、見たとたん魅了されてしまった。

それで私も、分けていただいたのだ。

我が家の庭に、移し植えられたこれらの花が、今年は鮮やかに、可憐に咲いている。





本当は、石木の山に帰りたいのだろうけれど。


「内部被爆を生き抜く」上映会

2012-07-06 22:09:28 | 原発事故
このところの雨のせいなのか、右の手首が痛んでいる。

10年ほど前、右手首を骨折したが、性格の悪さが災いしてか、上手く繋がらず骨がちょっとだけずれている。まあ、動かすのに何の支障もないが、痛むのには閉口する。

だからキーボードを打つときも少々痛む。なので、お知らせを簡単に。





8月9日、長崎原爆の日だが、その日に鎌中ひとみ監督の「内部被爆を生き抜く」という映画の上映会が予定されている。
それも、東彼杵町でだ。長崎市や佐世保市といった県内の大きな市などではない、東彼杵郡東彼杵町というローカルな小さな町での上映だ。

この東彼杵町は、原発事故による被爆で体に不調をきたし、関東から避難してきた人たちが多く居住している町だ。町としても、被災者を積極的に受け入れている。

その町で、避難してきた人たちとわれらが「石木川まもり隊」のメンバーで川棚町在住のSさんとで計画が進められ、具体化したのだ。

若い人たちの行動力に脱帽し、固定観念にとらわれない考えを見習わなければな~と思う。

その昔、私たちも「行動しながら考える」を合言葉にしていた。

「連帯を求めて、孤立を恐れず 力およばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」

そう思って生きてきたつもりだったが、いつのまにか固定観念にとらわれた保守的な人間になっていたな~と思う。

さあ、若い人たちと一緒に頑張って取り組まなきゃ。


子連れではだめなのか?

2012-07-04 18:57:46 | 原発事故
原発再稼動反対の首相官邸前デモや大飯原発前での座り込みには、多くの若者が参加していた。
小さい子どもを連れて、家族で参加している人も多かった。

田中龍作ジャーナルには、小さな子どもを抱いた母親が機動隊と対峙する写真が載っていた。


(田中龍作ジャーナルより転載)

それらを標的にして、ネット上でデモを誹謗中傷するような攻撃が続いている。

曰く、「子どもを危険な場所に連れて行く親の神経は異常」等々。

こんな中、脱原発の運動を支持するジャーナリストのお一人だと思い込んでいた江川紹子氏も小さな子どもを抱える母親に対して「一般市民に共感されない。脱原発の気運を殺ぐ。」と発言された。

そうなのだろうか?
私は、この写真を見たとき「運動の側に、こんな人たちが出てきたのだ。」と大いに感激した。

どこの政党にも属さない一般の母親たちが、ツイッターでの呼びかけに応じて、デモや座り込みに参加していく。おそらく初めて参加する母親たちも多いに違いない。

子どもを連れて参加することは常識ハズレなのか?教育上、慎むべき行動なのだろうか?

もう、30年?ほど前になるが、まだ子どもたちが学校に上がる前、私たちも原子力空母の佐世保寄港に反対する全国集会に参加したことがあった。

夫が下の子を背負い、私が上の子の手をしっかり握り、一家で参加した。
子どもたちのためにも、原子力空母の寄港にはしっかりと反対しなければとの気持ちからだった。
原子力空母の寄港を、基地の街ゆえの宿命などとすることはできなかった。

いやなものはいやだ!と意思表示したいと思ったのだ。


1982年の石木ダムの強制測量のときも、子どもたちも反対の座り込みに参加した。
自分たちの住む家がなくなるかもしれないのだ。今の生活ができなくなるかもしれないのだ。親と一緒に座り込むことは、至極当然のことではないか。


「危険な場所に子どもを連れて行くべきではない」というが、原発再稼動のほうが、よっぽど危険なのではないか!


これらの行動が教育上問題だとする人のほうが、問題があるように思われる。