今朝の新聞には、「石木ダム建設促進川棚町民の会」のメンバーが長崎県庁に出向き、中村知事に「要望書」を提出したことが掲載されていた。
この会の初代会長は現・川棚町長である。
2008年12月に川棚公会堂をいっぱいにして「石木ダム建設の促進を」との集会が開かれたが、その時、会長として挨拶に立ったのは町長選準備のために川棚町役場を退職したばかりの現町長だった。
「建設促進」をいうことは何がしかのメリットがあるのだろうと思っていたが、4年前の付け替え道路工事の落札業者数社のうち一社は現町長の親戚だという話だった。
この会とは別に、元・地権者で作る「石木ダム対策協議会」と「石木ダム地域住民の会」もある。
この会の会員が「ダム建設促進」を県に訴えていたのには理由がある。
1982年、当時県知事だった高田勇氏が「ダムが完成した暁には、協力感謝金として総額3億円を支払う」という文書を、移転した住民たち配ったのだ。
だから、協力金が欲しい元・地権者たちは、県へ早くダムを作って欲しいと陳情までやっていた。
この金は、長崎県が5億円、佐世保市が5億円、川棚町が6000万を出し「財団法人 石木ダム地域振興対策基金」を作り、元・地権者の生活再建支援のために使われてきたのだという。
しかし、国の公益法人制度が変わり、この「地域振興対策基金」が解散することになったため、去年(平成25年)の4月~11月の間に、移転した元・地権者には1軒あたり300万から500万の金額が支払われた。
八ッ場ダムや川辺川ダムと比較すると石木ダムは小さなダムだが、そのダムでさえこれだけ大きな金が動くのだ。
公益のために必要との名目でどれほど無駄で大きな税金が投入されてきたのか!
考えれば考えるほど、どこか空恐ろしささえ感じてしまう公共事業の実態である。
この会の初代会長は現・川棚町長である。
2008年12月に川棚公会堂をいっぱいにして「石木ダム建設の促進を」との集会が開かれたが、その時、会長として挨拶に立ったのは町長選準備のために川棚町役場を退職したばかりの現町長だった。
「建設促進」をいうことは何がしかのメリットがあるのだろうと思っていたが、4年前の付け替え道路工事の落札業者数社のうち一社は現町長の親戚だという話だった。
この会とは別に、元・地権者で作る「石木ダム対策協議会」と「石木ダム地域住民の会」もある。
この会の会員が「ダム建設促進」を県に訴えていたのには理由がある。
1982年、当時県知事だった高田勇氏が「ダムが完成した暁には、協力感謝金として総額3億円を支払う」という文書を、移転した住民たち配ったのだ。
だから、協力金が欲しい元・地権者たちは、県へ早くダムを作って欲しいと陳情までやっていた。
この金は、長崎県が5億円、佐世保市が5億円、川棚町が6000万を出し「財団法人 石木ダム地域振興対策基金」を作り、元・地権者の生活再建支援のために使われてきたのだという。
しかし、国の公益法人制度が変わり、この「地域振興対策基金」が解散することになったため、去年(平成25年)の4月~11月の間に、移転した元・地権者には1軒あたり300万から500万の金額が支払われた。
八ッ場ダムや川辺川ダムと比較すると石木ダムは小さなダムだが、そのダムでさえこれだけ大きな金が動くのだ。
公益のために必要との名目でどれほど無駄で大きな税金が投入されてきたのか!
考えれば考えるほど、どこか空恐ろしささえ感じてしまう公共事業の実態である。