西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

花を奉る

2012-03-28 15:14:58 | 日記
昨夜は、見たいと思って見逃してしまっていたNHKの「ETV特集・花を奉る-石牟礼道子の世界」を見た。

http://www.dailymotion.com/video/xp2k8t_yyyy-yyyyyyyy-yy_creation#rel-page-1

http://www.dailymotion.com/video/xp2kph_yyyy-yyyyyyyy-yy_people#rel-page-1

とてもいい番組だった。
はじめ寝転がって見ていた私は、とうとう起き上がり正座して見終ることになった。

石牟礼道子さんは今年84歳。パーキンソン病に罹られ話をされるときには体が左右に大きく揺れて大変そうなのに、字を書かれるときは体も揺れず、手先も震えず一字一字しっかりと書かれる。
そこに、石牟礼さんの「意志」を見る思いがした。

テレビからは、聞き覚えのあるどこか懐かしい方言で交わされる会話が聞こえる。
会話は胸の中を漂流し、思わず自分でも呟いてみたりもした。



番組を見ながら、石牟礼さんの「苦海浄土」をもとに作られた、今は亡き砂田明さんの一人芝居「天の魚」を思い出す。
この芝居の中の主人公・杢太郎少年のモデルになっている胎児性水俣病患者、半永一光さんにも15年ほど前、故・中村牧師がいらした波佐見教会でお会いしたことがあった…。




1991年、もう20年以上も前になるが、私たちはユージン・スミス-アイリーン・スミスさんの水俣関連の写真と水俣病歴史考証館の資料、そしてチェルノブイリの子どもたちが描いた絵を展示した「水俣そしてチェルノブイリ展」を開催した。

国や企業の論理を優先させ、公害を隠し、住民の被害を増大させる構図は水俣もチェルノブイリも同じだーと、当時、私たちは主張しあったが、国や企業に不利なことを隠し続け、住民救助を後回しにする構図は、今回の福島原発事故でも同じだ。何十年経っても変わりはしない。


一度だけ石牟礼道子さんの講演を聞いたことがある。
そのころ編集委員を努められていた「週刊金曜日」主催の講演会だったが、その訥々とした語り口は、どんな弁舌さわやかな講演者の話より胸を打った。
童女のようだと、そのとき私は思ったのだった。



花を奉る 石牟礼道子

春風萌(きざ)すといえども われら人類の劫塵(ごうじん)

いまや累(かさ)なりて  三界いわん方なく昏(くら)し

まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに なにに誘わるるにや 

虚空はるかに 一連の花 まさに咲(ひら)かんとするを聴く 

ひとひらの花弁 彼方(かなた)に身じろぐを まぼろしの如くに視(み)れば 

常世(とこよ)なる仄明かりを 花その懐に抱けり

常世の仄明かりとは あかつきの蓮沼にゆるる蕾(つぼみ)のごとくして

世々の悲願をあらわせり 

かの一輪を拝受して 寄る辺なき今日(こんにち)の魂に奉らんとす

花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて咲きいずるなり

花やまた何 亡き人を偲(しの)ぶよすがを探さんとするに 

声に出(いだ)せぬ胸底の想(おも)いあり 

そをとりて花となし み灯(あか)りにせんとや願う

灯(とも)らんとして消ゆる言の葉といえども 

いずれ冥途(めいど)の風の中にて おのおのひとりゆくときの

花あかりなるを 

この世のえにしといい 無縁ともいう

その境界にありて ただ夢のごとくなるも 花

かえりみれば まなうらにあるものたちの御形(おんかたち) 

かりそめの姿なれども おろそかならず

ゆえにわれら この空しきを礼拝す

然(しか)して空しとは云(い)わず 

現世はいよいよ地獄とやいわん

虚無とやいわん

ただ滅亡の世せまるを待つのみか 

ここにおいて われらなお 

地上にひらく 一輪の花の力を念じて合掌す   

         2011年4月20日 大震災の翌月に




ほっこりと胸に落ちる番組だった。