京大植物園TODAY

京都市左京区の京都大学北部キャンパス内にひっそり佇む現代の杜、京都大学理学研究科附属植物園の日々の風景を紹介します。

「植物園ものがたり」―その1

2006年02月26日 18時24分37秒 | Weblog
再び橋本伝左衛門氏の著作(前掲:「歴史を語る」所収)からの引用に戻ります。

『…この植物園は元来、農学部敷地として買入れた一団地のうち可なり広大な面積を占めていて、私らが外国から帰る以前に理学部植物学教室の管理ときめられ、初代の農学部長大杉教授はこれを諒解した(あるいはせざるを得なかった)ものらしかった。

私は帰国早々大杉学部長からその話を聞いて、心中はなはだ不満であったが、すでに既成事実となり、敷地いっぱい見本植物が植こんであり、周囲に鉄条網をめぐらしてあったので、いまさらどうすることも出来なかった。

ところがこの植物園の造成があらためて、会計検査の問題になったらしい。検査官問うて曰く、この植物園は農学部のものかと。当時の学部長室は、本館の表玄関を左へあがったところの2つ目の小室であって、植物園は鼻の先に広がっているのであった。

この検査官の真正面からの切り込みに対し、なんと受け答えしてよいか、ちょっととまどった。事実理学部の植物園になっているが、しかしありのままに答えると、農学部創設費の他学部施設への不当流用ということになって、また総長に対する会計法違反の責任問題が起こるにきまっている。

私自身もこの敷地を他学部に使われたことについては、毎日これを目の前にして、心はなはだ平らかならざるものがあったので、腹のかたすみにはノーと答えたい虫もいたが、総長の立場を苦しくしたくはない。

…私は、この植物園は理学部でいまは管理しているが、農学部もすでに開講し、植物関係の重要学科目がこちらにもあるので、今後農学部でも利用することが少なくないと思う、という意味のことを答えた。

…運動場といい、植物園といい、ないよりはあるほうがよいにきまっているが、そのために農学部が出しに使われ、犠牲(農学部はその後相当長い間施設の拡張・新設を政府から認めてもらえなかった)を払わせられたことは事実で、われわれにはなにか割り切れない気持ちがのこった。植物園は、当初運動場と道路を中にしてその南側に接していた。』(pp.39-41)

農学部側、いや少なくとも橋本氏からすると、植物園はあくまで、農学部の「土地」であり、理学部は農学部創設の混乱に乗じて、その土地を「パチった」ということになるようです。

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