日盛りの道の上で

日々の日記と家族のこと、仕事と趣味、雑感少々

なにげない日々の重さ

2010-04-08 17:52:08 | インポート
昨日は酔っ払って帰ったのですが、記憶が欠落している部分があります。帰りにバスに乗ったのは覚えているのですが、バスに乗り込むシーンとバスの中のこと、帰ってから自分で布団を敷いた記憶、などがありません。

そのような状況でもちゃんと1時間ほどかかる自分の家までたどり着くのだから大したもんだと感心しています、しかし今まであんまりこのような経験は無いので、酒に弱くなったのか、単に飲みすぎたのか・・・、まあ、ほかの人に迷惑はかけてないようだし、これからは気をつけるようにしようというところが結論です。

今週は先週の非日常状態が終わって落ち着いた日々が続いています、自転車で職場に行って、夕方帰り、冷えた缶ビールを飲み、だらだらとテレビを見て寝る、とんでもなく非生産的な日常ですが、私にはこれが一番だなと思い直すこの頃です。


春の憂鬱

2010-04-06 17:43:39 | インポート
毎年、この時期になるとなんか憂鬱になります、理由ははっきりしませんが経験してきた卒業や別れ、新たなはじまりが日本ではこの時期になることから、漠然と心の中に不安感が生まれるのだと思っています。

今年の春は先日のブログにも書いたとおり、義父との別れがありました、来年の今頃はは二人の息子も職を得てどっかに巣立っていくのでしょう。

田舎の古い広い家に嫁さんと、私の母、私と3人残り年をとっていくのかと思うと、別に不満ではないのですが腹の中に重い気配を感じるわけです。

長く咲いていた桜もしだいに花を散らし、春はいま真っ盛りになっています。

「行く春や鳥啼き魚の目は泪」 (松尾 芭蕉)


ひとときのこと

2010-04-04 19:59:31 | インポート
この1週間いろいろなことがありました、人生の時間の中ではほんの「ひとときのこと」ではありますが、後で何回も思い出すことになる1週間だと思います。

3月の終わりに、1泊で毎年行っている家族旅行に出かけました。今年は多分息子二人も一緒に行けるのは最後になると思いましたので、ちょっと奮発して九州のほぼ真ん中、九重高原の「レゾネイトクラブくじゅう」という所です。リゾートホテルといっても回りは野焼きの終わった草原ばかりで、なごり雪を残した九重のやまなみと、放牧が開始された牛たちが出迎えてくれました。

夕食はフランス料理・・・かどうか食ったことが無いので判りませんが、料理が次々と出て来てデザートとコーヒーまでのフルコース、料理の写真は食うのに夢中で撮るのを忘れましたが、うまかったです、写真はセッティングされたテーブル、「身分不相応」と書かれた赤いランプが頭の中で点滅していました。

部屋、温泉、料理、接客まで心の行き届いたサービスが提供されていて、自分がそれに値する人間なのかちょっと考えてしまいましたが、こういう所が貧乏性と言うのでしょうか。

お金があればもう1泊くらいしたかったのですが、楽しいことはいつかは終わるものです、阿蘇と九重の風景を記憶に刻みながら現実に帰り、お土産を職場に持って行って2日目の3月31日火曜日、嫁さんから電話があり、義父が危篤とのこと、「えっと・・・」、駆けつけるべきか迷う暇も無く2回目の電話は、亡くなった・・・。

職場に休みをもらい、朝通勤して来た自転車でとりあえず車を取りに家へ帰る、自転車を漕ぐいつもの堤防の道の脇には菜の花が咲いていて、こんなに急いでいる日に限って向かい風が強くて、ペダルを踏み込めなくて、なんでこんな日に人が死ぬのだろうと思うと、ちょっと悲しくなって息が切れてきた。

実の親父の死の時にも経験したことですが、通夜、葬儀と1週間くらいは悲しみを思う間もなく過ぎていきます。

そうして、今日ひととおりの行事が済み、晴れ渡った空の下、トラクターに
乗り私は田んぼを耕しています、去年の初冬に種をまいた蓮華の花が今は満開に田んぼを覆っています、思えば種をまいた頃は歩けなくなったとはいえ、義父は病院のベッドで確かに生きて、確かに私たちのことを思っていてくれていました。

「・・・我や先、人や先、今日とも知らず、明日ともしらず・・・」(蓮如:白骨の章)