「水の透視画法」というコラムが、毎週だと思いますが家で取っている熊本日日新聞(くまもとにちにちしんぶん)に掲載されていてよく読むのですが、日常のなにげない風景をとてつもなく掘り下げて筆者の屹立した視点を感じさせます、筆者の辺見さんは「もの食う人々」で注目された私の好きな作家の一人です。
だけど読んだ後に重い暗いものが心に残ります、同時に掲載される写真と共に辺見さんの心をそのまま腕に抱えてしまったような後に残る重さです。
これほどまでに自分を研ぎ澄まし、社会の強くは無い風に吹きさらされることに耐える、耐えてなお進む、その強さは私のあこがれでもあります。
さて、この3日間の間に私がやったことは息子の下宿先への訪問、ボランティアの市街地掃除、大豆の少しばかりの収穫、図書館への本の返却と新しい本の借り出し、村上春樹短編集の読了、
今日は明日からお世話になる自転車のブレーキ調整と、しばらく乗っていなかった単車の整備、あとは図書館から借りてきた本を読んでいました、借りた本は毎日新聞取材班の「ネット君臨」と工藤健策さんの「信長は本当に天才だったのか」です、どちらも興味ある題材なので貸し出し期間の1週間に読了できると思います。
仕事ならばこの日はこれをやったとはっきり覚えているのですが、この3日間のあやふやな隙間を埋めるような記憶は、あと10日もすれば何もしなかった日として私の脳の片隅に押し込まれていくでしょう。
だけどこのような日々の記憶が積もっていくことは、決して悪いことではないと思います。
いつか、それは自分が死に向かう直前かもしれませんが、穏やかにその場面が思い浮かべられるような気がするからです。
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