日盛りの道の上で

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バーチャルの先にあるもの

2013-05-13 09:50:43 | インポート
 現在の歴史の本でルネッサンスや宗教革命や産業革命を人類史の中の転換点と記述してあるように、百年後の歴史書ではインターネットの発明と隆盛を20世紀の大きな転換点と記述するのだろう。
 
 そして私たちはその大きな変化を体験しながら生きている、例えば本が筆写で自分のものになった時代から、活版印刷が発明された後の情報の広がりにも似て、あるいは録音技術が発明された後のオーケストラの演奏にも似て、コンテンツは広く流布されすぎればその価値は下がる。

 紙からテキストデータになった論文や小説、レコードやCDからMP3データになった音楽、Mpeg4などで配布される動画データ等、インターネットに接続さえすれば世界はあらゆるコンテンツに満ちている、そしてそのほとんどは無料か、あるいは安価で手に入れることができ、安易に消費されほとんどはディジタルの海にまた沈んでいく。

 逆に個人の情報発信も呼吸をするようにたやすくなった、もっともそのせいでネットの海のコンテンツは途方もない混沌と阿鼻叫喚と追従と独断と、根拠のない決めつけ、批判が右往左往する、リアルな私たちの住む世界、いわゆる娑婆と同じか、顔無しと匿名のおかげでさらにひどい状況だ。

 で、何が言いたいのか、ことここに至ってのネットとの付き合い方である、なまじ人とつながるだけに、その先には未知の、明るい、素晴らしい前向きな世界への道が示されていると期待するが、そんなものは絶対にない。

 リアルな世界が苦しいからといって、バーチャルなネット世界にどっぷりつかってどうするのだ、それは夢なのだよ、街に出よう、世界を見よう、自分の目で見て、空気を感じて実感しよう、見るべきものはディスプレイではない、今、目の前にあるリアルなこの世界なのだ。


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