わたしの好きな柳宗悦さんが
そのものズバリ『南無阿弥陀仏』という本を書いています。
その反響がいかに大きかったかは、ご本人がこう書かれています。
「私は今まで幾冊かの本を書いたが、出版後数年を経ても
引きつづき見知らぬ人々から手紙を貰うのは
この『南無阿弥陀仏』の1冊である。」
以下本文より抜粋
<序>
日本の村々を歩くと、南無阿弥陀仏の六字を刻んだ石碑の見当たらぬ地方はないくらいである。念仏宗の寺々はもとより、路傍にも樹陰にも、幾基かの碑をよく見かける。(略)日本国中でのその総数は幾百千万基なのか見当さえつかぬ。おそらくどんな碑も六字の数には遠く及ばぬ。(略)
だが移り変わりの激しいこの世である。とりわけ知に傾く教えは、多くの者を懐疑に導いてしまった。それ故六字の不思議さに心を注ぐ者は日に日に衰えてゆく。だが、これを棄ててしまってよいものか、少なくとも幾千万億の魂が、この六字で安らかにされたという事実を棄てることは出来ぬ。懐疑が人間にもっと優れた安心を呼び起こすならそれでよいが、誰も知る通り人間の暮らしは日に日に不安に沈んでゆく。何か大きな落ち度があるからである。だからもう一度六字の意味を想い返してよい。たとえ昔のような形で称名が興らずとも、何かの形でそれが蘇ってよい。
何のために念仏するのかという人もあろうが、(略)だが、何々のためというが如き性質に、どれだけの価値があろう。(略)一遍上人は「念仏が念仏する」といわれたが、金言である。人間はどんな仕事を営むもよいが、仕事が仕事するまでに至らねばならない。それがやがて念仏の至境だということが分かろう。
そういう意味で、真実な仕事は凡て念仏に外ならぬともいえよう。(後略)
<趣旨>
この一篇は「南無阿弥陀仏」という言葉が何を意味するかを、平たく語ろうとするにある。今の若い人たちには、この六字は縁遠い呪文のように響くかも知れぬ。また時代に合わぬ古くさい信心の形だとも思われよう。しかし決してそんなものではなく、この言葉の発見こそは、人類の思想史における最も驚くべき出来事の一つだといってよい。それに人間が考え得た宗教思想の一つの極致がここに見られるのである。(後略)
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柳宗悦さんといえば、
民芸という無名の職人の仕事の美を
見い出したことで有名な方ですが、
その美と南無阿弥陀仏とはまさにつながっていて、
そういう目で民芸をご覧になっていたのがよくわかります。
念仏をする無学な民衆の中に、
「妙好人(みょうこうにん)」と呼ばれる方たちがいます。
浄い白蓮華にたとえてそう呼ばれた
深い他力の信心を生きた市井の念仏者です。
げた職人さんだったり、ただのおばあさんだったり。
柳さんは、『妙好人論集』という本まで出しておられます。
そして、民芸の美をその妙好人にたとえて
『妙好品』といいました。
妙好人の話で面白い話は山ほどあります。
たとえば・・。
宇右エ門という妙好人が、金を盗んだと誤解された時
「はいはい私盗みました」とさらさらといって、
その金を与えたという。別に腹も何も立てぬ。
後にこれが全くの誤解だと知れて、実の盗んだ人がわびて、
その金を宇右エ門に返しに来た時、
「私はあなたに前世で借金をしていませんでしたか」
といって受け取った。どうなろうとさらさらしたものである。
自在人だから腹の立つ根が切ってあるのである。
良寛和尚が盗人に入られた時
「盗人のとりのこしたる窓の月」と詠って
おかげで今宵はよく月見をさせてもらって
有り難いと感じたという話がある。誠に任運無碍で
「どうころんでも、ころぶ所が花の中」なのである。
こうなると、いつでも花見が出来る。
花のない所もまた万朶の花となるであろう。
(柳宗悦『美の法門』より)
そういう境地に生きた
ほんものの信心のあった人のことを妙好人といったそうです。
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今も称名の声(南無阿弥陀仏)は、幾つかの地方には
朝な夕なに絶えぬ。
そうしてこれが今も人々の心をぬくめ、
今も妙好人の数々を生んでいる不思議な力なのである。
(柳宗悦『南無阿弥陀仏』より)