空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく

天国の虹の橋

2007-08-28 14:37:26 | こころに残るはなし
いずれも原作者不明ですが、心に響きます。

天国のほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。飼い主と愛しあっていた動物は死ぬとそこに行き、幸せに満ちた生活を送ります。そして、ある日、「特別な誰か」と再会します。お互いの心から一日も消えることのなかったその瞳を確認し、一緒に虹の橋を渡ります。生きているときに誰にも愛されなかった動物もそこでは奇跡が生まれます。同じようにぽつんとたたずむ中から特別な人と出会い、そして一緒に虹の橋を渡るそうです。

「犬の十戒」は飼い主に向けたメッセージです。
1)私の一生は15年ほどしかありません。わずかな時間も離れるのは
  辛いから、私を飼う前によく考えてください。
2)あなたが望むことを私が理解するには時間が必要です。
3)私を信頼してくれるだけで幸せです。
4)私に辛い罰を与えないでください。あなたは自分の世界があるで
  しょうけれど、私にはあなたしかいないのです。
5)私に話しかけてください。
  言葉はわからなくても私は理解できるのです。
6)あなたの扱いを私は決して忘れません。
7)私を叩く前に思い出してください。あなたの手を噛み砕く歯を持
  っていても、それを使わないことを。
8)私を叱る前に原因があなたにないか考えてみてください。
9)私が年をとってもお世話してください。
  あなたも同じように年をとるのです。
10)最後の旅立ちのときは側で見送ってください。あなたが側にい
  るだけで、どんなことも安らかに受け入れられます。そして、
  どうか、忘れないでください。私があなたを愛していることを。

*写真は繁殖犬として用済みになったところをスタッフがもらい受けたパインちゃん。6年間幸せに暮らし、11日に生涯を閉じた。

(新潟動物ネットワーク 岡田 朋子
       /新潟日報より抜粋 07.8.23)

月にきく

2007-08-24 20:50:25 | プロフィール
わたしだったら
月にききます

そのとりはそういって目を閉じました。

どうしたら世界はしあわせになりますか?
ときいてみたのです

南天のような目を閉じたまま
とりはいいました
    
いちど
しずかになってきいてごらんなさい

月の光がきけたなら
どこにふしあわせがうまれるでしょう

なんだかわからないけれど
しんとしました

とりは月のように気高く
りんとりこうでした
   
by ben-chicchan

デッドマン

2007-08-15 11:08:10 | 映画
ここんとこジョニー・デップばかりですみません。
(だって面白いんだもん。この人。)

<あらすじ>
ウイリアム・ブレイクは、会計士として雇ってもらうため長い汽車の旅の果てにマシーンの町にたどり着く。そこはすさんだ町で人々の顔からは笑顔が無かった。嫌な予感を感じつつ仕事先へ行ったがすでに会計士は決まっており、ブレイクは追い返されてしまう。途方にくれていると花売り娘セルに出会い、彼女の部屋へ行くことに。そこへセルの元恋人のチャーリーが現れ、怒ったチャーリーはブレイクに向かって発砲し、ブレイクをかばったセルが死んでしまう。とっさにブレイクも発砲し、チャーリーは死ぬ。しかし、チャーリーが撃った弾丸はセルを貫通し、ブレイクの心臓の横に食い込む。激しく痛む胸を押さえつつ、ブレイクはその場を逃げ出して馬を盗み、森へと逃げ込む。実は殺したチャーリーは、ブレイクが働くはずだった会社社長の息子で、怒った社長は殺し屋を雇い、ブレイクを殺すように命じる。一方、森に逃げ込んだブレイクは、ノーボディ<誰でもない>と名乗る不思議なインディアンと出会い、彼と旅に出ることになる。

****************

ジム・ジャームッシュ監督書き下ろし脚本
というのでそれも興味があり観ました。
1995年作品

ジョニーの魅力的なところは
ナイーブで感情移入しやすいというか
それでいて
ある一線を超えると野性的になるそのギャップの魅力というか。

けっこうハードな内容もありますが
ノーボディが出て来ることで
不思議なスピリチュアル感も出ているような感じ。
『誰でもない男』と『死にゆく男』とのロードムービー。
それはジム・ジャームッシュ監督らしい空気感なのかもしれません。
モノクロの美しい画面とも相まって不思議な気分になります。
しばらく観ていると
ギター1本のBGMもなかなかよく思えて来る。
ニール・ヤングが映画を観ながら即興で弾き語ったと言われる
哀愁のギターの音色。
人によっては
好き嫌いの割とハッキリ出るタイプの映画かもしれませんが
一番印象に残ったのは、
ブレイクを舟に乗せて見送るノーボディの笑顔でした。
この人には生と死の境界はなく
生まれたところへと還ってゆくブレイクを見送る彼に
哀しみはありませんでした。
それがこの映画の救いになっていた。

おりしもお盆。
あちらとこちらの境界が薄くなる時に
なんだかちょうどいい映画でした。

西瓜シャーベット

2007-08-11 15:56:49 | 食べもの
暑中お見舞い申し上げます。
なんでも今年一番の暑さだとかなんとか。

で、こんなものを食べてみました。
西瓜シャーベット。

ただ、すいかを凍らせただけ。
でも、アレですヨ。
オイシイ。

ほんとにシャーベット。
よけいなもの一切入ってない西瓜100%です。
生もモチロン旨いですが、
ちょっと毛色の変わったのも時に面白いのでは?
ツベタ~イ!

パラダイス・ナウ

2007-08-07 15:32:36 | 映画
JICA地球ひろば  映画上映会
『パラダイス・ナウ』 8月4日(土)~9月2日(日)入場無料
~イスラエル占領地 ナブルス
自爆攻撃へ向かう、二人の若者の48時間~
………………………………………………………………………………

この作品は、
パレスチナ人であるハニ・アブ・アサド監督が、
イスラエル人プロデューサーらと手を組んで、
ヨーロッパ各国との共同製作というかたちで作り上げられました。

舞台はイスラエル占領地、ヨルダン川西岸地区の町ナブルス。
イスラエルに対する抵抗運動が最も激しく、
外国人が容易に入ることのできないこの町で、
2人の若者が自爆攻撃へ向かう48時間を本作品は描いています。

なぜパレスチナの若者が自爆攻撃という
行動を起こすのかという複雑な状況や、
今まで語られることがなかった
自爆攻撃者の葛藤と選択を観る者に問いかけます。

「映画の中で怒りを叫べば観客は耳を塞いでしまうが、その怒りをそっと囁けば、それに耳をすまし、感じようとするだろう」
アサド監督はそう語ります。

映画は音楽を一切使用しないサスペンス映画の手法で作られており
観る者には泣くことさえ許されない“衝撃の感動”を与えます。

ベルリン国際映画祭など、多くの映画賞を受賞したこの作品を通して
ニュースを見るだけでは分からないイスラエルとパレスチナの現実を
感じてみませんか?

地球ひろば
http://www.jica.go.jp/hiroba/event/200708.html#a04-84-01

パラダイス・ナウ
http://www.uplink.co.jp/paradisenow/

盂蘭盆・施餓鬼会

2007-08-06 14:48:24 | nam amita-yusu
週末に仏教の行事、施餓鬼会(せがきえ)に参加してきました。

<施餓鬼会のいわれ>
お釈迦さまの十大弟子の一人で多聞第一といわれた阿難尊者が
ある晩修行していると、焔口(えんく)餓鬼が来て
「お前は三日以内に死んで餓鬼道に堕ちるだろう」と言いました。
驚いてそれから逃れる方法をたずねると
「明日中に餓鬼道に住む全ての餓鬼のために飲み物や食べ物を用意せよ。そして、仏、法、僧の三宝を供養するのだ。」と言われました。
阿難は早速お釈迦様に教えを乞い、一鉢の食を設け
教えられた「陀羅尼」(お経のひとつ)を唱えました。
すると忽ちその一鉢の食は無量の飲食となり
すべての餓鬼が食を得て飢えや渇きを癒すことができ
阿難も長寿を保ったということです。

『餓鬼(がき)』とは、仏教でいう餓鬼道に堕ちて
いつも飢えと渇きに苦しんでいる亡者のことです。
餓鬼が口にしようとするものは、炎となってしまうので
何一つ食することができず、飢えの苦しみは限りがありません。
こうした餓鬼は、自分の力でその苦しみから抜け出す術はなく
施餓鬼会が、唯一の救いになるとされています。

また、『餓鬼』とは
欲望が強く、足ることを知らず、満足できない心であり
感謝を知らない心をいいます。
つまりこれは亡者のことだけでもなく
生きている誰しもの心の中にある『餓鬼』の心を
転換するという意味もあります。    

餓鬼に施すというこの「施」のさらに根本にあるものは
むさぼり求める心を捨て
逆に人々に幸いをふるまうというしあわせの境地に
餓鬼道に堕ちた人々になっていただき、自分もなることです。

<施餓鬼会と同時に行なわれることが多い盂蘭盆(うらぼん)>
盂蘭盆とは、一般に盆、正月と呼ばれる「お盆」のことです。
盂蘭盆とは、梵語(古代インド語)のウランバナの音訳で
「逆さまに吊(つる)されるような苦しみ」を除くという意味。

お釈迦様の弟子の中で神通第一と言われた目連尊者のお話。
目連は、神通力を使って生前自分を大変可愛がってくれた
母の様子を見に行きました。
あんなに可愛がってくれたのだから
きっと極楽浄土に生まれているだろうと思っていたところ
餓鬼道で苦しんでいました。
母親は自分の息子だけという偏った心で
施しの心が足りなかったために餓鬼道に堕ちていたのです。
身体はやせおとろえ、食べ物は手に入らず
水は火に変わってしまうこの世界では
目連の神通力をもってしても救うことはできませんでした。
餓鬼道に堕ちて苦しんでいる母親を
なんとか救って頂きたいとお釈迦様に教えを乞うと
お釈迦様は
「90日間の雨期の修行の最後に、僧達が集まり懺悔する日がくるから、その供養として1人1人に食物を施しなさい。その功徳によって母は救われる。」と教えました。
こうして母親は救われ、極楽に生まれることができました。

盂蘭盆は先祖供養という縁のある霊を供養することで
施餓鬼会とはニュアンスは少し異なりますが
餓鬼道で苦しむ霊を救うという共通点があります。

 ……………………

 面白いお話を耳にしました。前にも聞いたことがある。
 有名な話ですね。
 
地獄と浄土の箸は1mほどもある長い箸だそうです。
そのため地獄では
自分の口に食べ物が入れられないので飢えています。
ところが同じ箸を使っている浄土の方では
みなふくよかにしあわせそうです。
なにが違うのかというと
浄土ではお互いがお互いの口に食べ物を入れてあげるから。
地獄のように自分だけのことばかり思っていて不幸になるのと、
人のことを思いやる世界との違いでした。