うちから車でちょいの
千葉県八千代市村上の七百余所(しちひゃくよしょ)神社は
鎌倉時代(1278年~1288年)の創建で
イザナギ、イザナミの父
国常立命(クニトコタチノミコト)を祀っています。
当時、この地域は
八百万神ならぬ七百余の神々が存在する村神(下総国印旛郡村神郷)
であり、1月15日の祈年祭と10月9日の例祭には
天岩戸の物語12座のうち
今日では「細女(ウズメ)の舞」や「湯座女の舞」「恵比須舞」
など、9つの神楽が奉納されています。
神社名は、この七百余の神々を祀る神社とのいわれと
江戸城を築城したことで有名な太田道灌に攻められて
破れた米本城(このそば)の軍兵七百余名が
自刃した場所だからとのいわれが伝えられています。
1月15日の祈念祭の
『村上の神楽』といわれるお神楽を見に行きました。
(村上は“群神”でもあるよう)
千葉テレビも取材に来ており
この日の夜9時のニュースで放映されました。
後半からしか見れませんでしたが
村の鎮守で行われるお神楽に、あたりの人々が集う
という風情でなんとも懐かしい、いい雰囲気でした。
お神楽の後、神主さんが『湯立て神事』を行います。
塩、米、などを入れた湯を煮立てて祝詞のようなものを唱え
さらに鍋に何回も文字を描くような動作をし
(なにか縁起のいい文字でも湯に描いたのでしょうか?)
笹の葉をその神聖な湯につけて
笹を振るってそれをまわりのみなに思いっ切りかけます。
かかれば縁起がいい、というような感じ。
無病息災とか、そういうのでしょうか?
その後、その笹を配ってくれます。縁起物です。
そして紅白の餅などを神楽殿からまきます。
学校が終わってやってきたこどもたちが両手いっぱいに拾い
集まった大人も拾います。(モチロンわたしも)
たいへん寒い日でしたが
ほっこりあったまって帰ったのでした。
千葉県八千代市村上の七百余所(しちひゃくよしょ)神社は
鎌倉時代(1278年~1288年)の創建で
イザナギ、イザナミの父
国常立命(クニトコタチノミコト)を祀っています。
当時、この地域は
八百万神ならぬ七百余の神々が存在する村神(下総国印旛郡村神郷)
であり、1月15日の祈年祭と10月9日の例祭には
天岩戸の物語12座のうち
今日では「細女(ウズメ)の舞」や「湯座女の舞」「恵比須舞」
など、9つの神楽が奉納されています。
神社名は、この七百余の神々を祀る神社とのいわれと
江戸城を築城したことで有名な太田道灌に攻められて
破れた米本城(このそば)の軍兵七百余名が
自刃した場所だからとのいわれが伝えられています。
1月15日の祈念祭の
『村上の神楽』といわれるお神楽を見に行きました。
(村上は“群神”でもあるよう)
千葉テレビも取材に来ており
この日の夜9時のニュースで放映されました。
後半からしか見れませんでしたが
村の鎮守で行われるお神楽に、あたりの人々が集う
という風情でなんとも懐かしい、いい雰囲気でした。
お神楽の後、神主さんが『湯立て神事』を行います。
塩、米、などを入れた湯を煮立てて祝詞のようなものを唱え
さらに鍋に何回も文字を描くような動作をし
(なにか縁起のいい文字でも湯に描いたのでしょうか?)
笹の葉をその神聖な湯につけて
笹を振るってそれをまわりのみなに思いっ切りかけます。
かかれば縁起がいい、というような感じ。
無病息災とか、そういうのでしょうか?
その後、その笹を配ってくれます。縁起物です。
そして紅白の餅などを神楽殿からまきます。
学校が終わってやってきたこどもたちが両手いっぱいに拾い
集まった大人も拾います。(モチロンわたしも)
たいへん寒い日でしたが
ほっこりあったまって帰ったのでした。