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空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく

ニューヨーク生情報

2007-05-28 15:22:19 | 面白情報
ニューヨークのことを調べていてヒットしました。
あまりにも面白いので読みふけりました。

おいしそうな食べ物、面白い店や生な情報など満載!

チェルシーホテルやアパートメントホテルや
子どもたちを元気づけるボランティアのケイティ姫や
黒人で初めて店を構えた
著者いわく『サムライ』な店主の取材や・・。
写真がとにかくいきいきしててよかった。

mapも載っているし
カテゴリー分けも親切。

この写真の通りチャーミングなNY在住のおねえさんがやってます。
ニューヨークに行く予定がなくても楽しめます。
http://nyliberty.exblog.jp/

ネバーランド

2007-05-26 11:22:52 | 映画
ジョニー・デップの映画を何本か見ましたが
これけっこうよいです。
2004年の作品らしい。
アカデミー賞の主演俳優賞にジョニーがノミネートされ
初受賞か?と騒がれたようです。惜しくも逃したのかな?

ピーターパンを書いた作家バリが主人公。(←ジョニー)
父を亡くして傷ついて早くおとなになろうとした小さな男の子
ピーターとの交流から
ピーターパンのお話が生まれるという物語です。

その母には『タイタニック』のケイト・ウィンスレット。
あとで気がついて驚いたのがダステイン・ホフマンも出てました。

ちょっと笑えたのが、子供達と遊ぶのに海賊ごっこをするところ。
もうパイレーツをやってたから、ちょっとパロディぽい。
家で自分の息子のジャックや
娘のリリー・ローズ・メロディと遊ぶ時は
きっとこうなんだなと思わせます。

印象に残ったのは
4兄弟の長男が、母のことを気づかう時
ジョニー演ずるバリは真正面から彼のことを大人扱いします。
「驚いたな、今君はたった30秒で大人になった。
君からママを説得するんだ。」
その時のバリは子供を成長させるための
あざとい口だけの言葉でなく
こころから驚き、彼を尊敬してそう告げるのです。

大人がこんな風に子どもを真正面から見つめて
ほんとうに驚き、尊敬するなら
その彼のようにほんとうに成長するでしょうね。

ピーターたち4兄弟が、
バリという子どもの心を持つ大人に見守られて
しあわせに成長してゆくだろうという予感を感じさせて
映画は終わります。

ジョニー・デップという人が
まさにそういうナイーブさのある俳優だから
この映画の空気を形づくれたのかな?と
そういうアクターのいる幸福も感じます。

彼が主演した『エド・ウッド』(94)というのもよかったです。
実在のB級映画の監督さんの話ですが、
そこでジョニーならではの独特の存在感をかもし出しながらも
往年の名優に対するやはりナイーブな優しさにはじんときます。

もっちろん、ジャック・スパロウも超チャーミングですけどね!


ネバーランド
http://www.neverland-movie.jp/

難聴さんこんにちわ

2007-05-24 17:41:51 | プロフィール
4/29の夜に急に左耳が塞がったようになり、
音がぐわんぐわんと頭に響くようになりました。
そのうち治るだろうと全然気にしないでいました。
ゴールデンウイークだし。

実際、2、3日するとそれはなくなりすっかり忘れます。
ところが、忘れているとまた再び耳が塞がります。

まあ、そのうち治るだろうと相変わらずほっておきました。
3週間過ぎました。
何気なくその話をしたら、職場の人が
「それでうちの母は耳が聞こえなくなった。」というので
さすがにわたしもにわかにあわてはじめ、
何か耳に詰まって至急外科的に出さなくてはならないとか
何か対処が必要だといけないのでとりあえず耳鼻科に行きました。

すると、医師いわく「突発性難聴って聞いたことあります?」
同情するような表情で、「1週間以内なら治るんですけど・・。」

帰ってからネットで調べました。
ほんとだ・・。しかも1ヶ月過ぎると症状は固定するとある。

ところが不思議なことに翌日症状はなくなり、
さらにまたその翌々日症状が現れます。
デモだんだんとその症状も長くなっているような気も・・。
さらに全身のひどい疲れ。こり。

別の医者に行きました。
ところがその待ち合い室で待っていて気がつきます。
症状がとれている・・。

症状がないんですから、案の定、検査ではそうわるくない。
その先生からはじめて「低音障害型難聴」という言葉が出ました。
それならよくなったりわるくなったりするらしい。

突発性難聴よりはいいので単純にヨロコブ。
だが、次第に頭の片隅にハテナというのも微かに浮かんできました。
低音?はじめの検査では低音はモチロン、高音も落ちていた・・。

またか----。
いわゆる教科書通りにいかないわたしのからだ。
9年前に狭心症様の発作が起きた時も、
心電図に異常が出るので心臓神経症ではないけれども
いわゆる狭心症というには医者も首をひねる。
その時もしばらく通って結局患者をクビになりました。
もっとも後遺症はいまだに残りますが。

はじめに症状が出た時になんとなくわかってはいたことだった。
自分の感覚ではなんとなくうすうすわかってはいるけれども
数値的証明は出来ないので書きませんが
原因というのはいわゆる疲れやストレスだとか
そういうのは単なるきっかけで、そういったことだけでなく
もう1層深いところで起きている。
何々病という表面への出方は色々ありますが、
根本的な原因はもっと深い。
だからその層でない対処療法では効かない病、
またある病名でひとくくりに出来ない病の多いこと・・。

そしてきのうタオ療法を受けて
やはりそうであったとからだで納得しました。
病名を探して右往左往したのが少々可笑しくなるくらい
真ん中がかるくなった。それを求めてた。
つまりそれだけ深いところにはたらきかけることによって
かえって原因もわかることもあったりして?

年が明けて2月くらいから4/29の症状が出る前までの
ひどい疲れやこりがさっぱりしました。
以前はそれを放っておいて血液やDNAや心臓に出た。

だんだん、“時代的”に
病気の原因が深いところから来るようになってきているので
教科書に収まり切らない症状も
こんな風に増えているかもしれません・・。
心身ともに・・。

(※その後、診断はめまいがなく難聴症状の出る
「蝸牛型メニエル病」という病名に落ち着きましたが、
現在までまったく症状の再発はありません。)

らーめんとん太 ※6/10改装オープン!!

2007-05-19 08:15:00 | shop*spot
写真をご覧ください!
みそねぎらーめんヾ(≧▽≦)ノ"
見てるだけでハラがへる~♪

わたし的にはこれが好きですが、
新発売!の豆乳のりらーめんも興味しんしん。

お店は阿佐ヶ谷駅から歩いて3分の商店街にあります。
気のいいおじさんとおばさんと
チャーミングなおねえさんがやってます。

お近くの方は行ってみて!
モチロン餃子もあるし、定食もアルよ。

※《注意!期日訂正しました!》お店は改装のため
5/28~13日間(6/9まで)お休みで~す!
モチロン5/27まで通常通り営業してますヨ。

※阿佐ヶ谷駅南口を降りて、ロータリーを
<釣り堀>目指して右に行き
(↑釣り堀って聞けばすぐ分かると思います。)
床屋さんの角を左に。ちょっと行くと右にあります。

木曜定休 11:30~夜1:00 (日祝)11:30~24:00
阿佐ヶ谷南3-38-37 Tel 3398-4814

ベルリン天使の詩

2007-05-15 18:42:00 | 映画
「映画」です。
電車の中で絶望渦巻いている人にほおずりするように寄り添う天使。
すると不思議なことにふと、
その人物の思考が明るい方へと動き出す。

アルなあと思った。
突然意味もなく理由もなく、チャンネルが180度変わることがある。
自分ごときで変えられるわけもないような絶望が。
それは自分以外の何かの支えがなければあり得ないような。
天使じゃなくても菩薩でもいい。
そうでなくても生きている人でもいい。
こちらを想ってくれている想いが
小さく開いた窓の隙間から
絶望をすり抜けて届いているのかもしれない。

ピーター・フォーク(コロンボ)がヨカッタ!
彼が出ていること、知らなかったので
初めのシーンで思わず身を乗り出す。
「アレ?そっくりだなあ・・。」
しかも、ピーター・フォーク役で。(面白い!)
しかもしかも・・見てない方のためにあとは黙ル。(^×^)”

人類が生まれる前から見守ってきた天使。
その見守る表情は静かながらも愛情のあふれるものだった。
天使のスタンスというのはこういうものなのかもな
というある説得力があった。
天使は自殺をしそうな人間にも寄り添うのだが
それでも飛び下りてしまう時、天使は叫ぶ。
「NOー!」と。
身を切られるようなその叫びを聞く時
むやみにいのちを自分だけのものと思うことは
傲慢なのかもしれないと思わされる。

人間になってしまった天使とならない天使と
その両方が人間味があってよかった。
色のある世界(人間界)に子供のように狂喜する天使は
天使の頃からすると、ずっこけたただのおじさんに見えるけれど
それはとても愛らしい存在かもしれない。
人間にはならない天使も
美しく孤高だが
久遠の時を影として生きてゆくことの切なさもあるのだと
かいま見せてくれる。

 ~~~~~~~

思い出した。
6年前に、メキシコへ向かう前に具合が悪くなったことがあった。
だが、その時不思議なことがあった。
その時ベッドに横たわるわたしの具合の悪い左半身に
いきなり何かがじんじんと沁みてきた。
それはとても気持ちよく。
すぐにわかった。癒されている。
目を開けていないのにそこが明るくなったような感じもした。
あれはいったいなんだったのか、いまだに分からない。
だが、起き上がってみて、具合が悪かった方の左半身が
右半身よりも軽くなっているのに気づいた。

それがなんだったのかにはこだわらない。
ただ、目に見えないなにかが世界にはあるのだということは
自分の体の記憶にいまだに残っている。

モチロン、陰と陽、光と影。
目に見えないものにもそのどちらもある。
陰の方も体験したことも・・ある。

・・・・・

それからひとつ、面白い話がいまだにインパクトに残る。
前世は(ある意味)ないという説。
だとしたら、前世という記憶は
もしかしたら肉体を持って体験したとは限らないのかもしれない。
目に見えない存在として誰かと人生をともに生きて
あたかも自分が経験したかのような“記憶”
ということだってあるかもしれない。
それはもし一心同体として感情もありありとしているなら
あたかも自分が生身で経験したかのような。
(ホントかどうかは定かでない。だけど、それはそうして前世の役割を果たす。)
そうなると
肉体を持って生きる人生は自分ひとりの人生でなく。
“共同の人生”ということにでもなるのだろうか?
バックに進化をもくろむ何十、何百の誰かがいる。
それらの代表。お当番。
進化するための舞台装置。
肉体を持つということは自分の番でなるべく駒を進める使命を持つ?

仏教のたとえでも
肉体を持つことは、大海原に浮かぶ小さな板切れの穴から
亀が首を出すような希有なことだ、というたとえがある。
だからこそ、肉体を傷つけることは
この奇跡への、畏れを知らぬ冒涜となるのかも。

前世のからくりは確かめるすべはないし、その必要もないのだろう。
どちらにしろ、“今ここに(切に)生きる”という大目的が
大事なだけだから。

もうひとつ、こんなことも聞いたこともある。
ずっと忙しくて旅行にも行けなかった人が、
亡くなってから行きたかったところへすいすいと行った。
肉体がないので行き放題だが、後悔したそうだ。
肉体を持っていた時のように鮮やかな色を感じられなかったから。
濃い感動ということが、肉体に生まれるひとつの醍醐味。
生きているうちにこの星の美しいものをちゃんと見ておくのだった、と。
それは、この映画が
不思議と象徴していた。

スウェーデン工芸学校 カペラゴーデン

2007-05-12 09:25:42 | 面白情報
なんとも気持ちのいい学校があったものです。
北欧デザインの質の高さはつとに有名ですが
若手職人を育てるこんな学校がありました。

<カペラゴーデン>
木工・織物・陶芸・園芸のコースがあり
生徒の作った家具や陶芸、野菜を生活にとり入れ、
家族のように暮らしながら創作にいそしむ。
ガチョウを放し、雑草をついばんで肥料を自然にまいてくれる
りんご園のりんごはおすすめだそうです。

先生は生徒が煮詰まった時にアドバイスをするくらいで
生徒の作るものに横やりは入れません。

10時や3時のお茶の時間はどんなに忙しくても一服します。
そのかわり夜もしたければ作業OKです。

ほんとうにものが創りたい人にとっては天国ですね。
日本人も現在9人学んでいるようです。

詳しくはそちらで学んだこの方のHPで。
http://www.ikuru.net/capellagarden.html

※写真はカペラゴーデンのHPより

鴬のアゼルバイジャン

2007-05-10 13:35:04 | 動物
GWも明けて、普段のリズムになってきました。
今年のGWはなんだか忙しくて、ゼンゼンGWらしくなかったなぁ。

終わり頃にあわてて(?)一息入れに行きました。
でもほんの1時間くらい。
近所のニュータウンの散歩。

だけど、思いっ切り一息入れようと思ったら、
いつでもどこでもチョットでも入れられるもんですね。
時間でもキョリでもありませんね。
生き返った。
GWの公園の野原では何組かの親子がボール遊びをしてて
なんのこたないんですがなんともいい風景でした。

新緑はピカピカだし、
ツルバラのような花は咲いてるし。(写真)

午後の陽が傾いた感じがまた、
地球だとか日本だとか自分だとか忘れてしまって
どこかの惑星にいる感じで瞬間深くトリップしました。

こういう光景がけっこうあとあとまで残ること
知ってるもんね~。
ま、GW、これでジューブンでしょう。へっへっへ。

あれから幾日か経ちましたが、
今日は近所の“アゼルバイジャン”のご紹介。
仕事先は緑の多いところなんですが、
そこではここひと月くらい(毎年ですが)鴬が鳴いてまして、
その中のおひトリ様、勝手に名前をつけました。

“アゼルバイジャン”

だって鳴き方が、“ホーホケキョ”じゃないんです。
どうも、何度聞いても
“ヒョ~・・アゼルバイジャン!”って聞こえる。

アゼルバイジャン、がんばれ~

敵兵を救助せよ

2007-05-07 19:27:58 | こころに残るはなし
先日TVで見ました。
戦争の最中にこんなこともあったのですね。
このことが広く知られたのは平成になってからのことのようです。

 ――――――――

 平成10年4月、英国では翌月に予定されている天皇の英国訪問へ
の反対運動が起きていた。その中心となっていたのは、かつて日本
軍の捕虜となった退役軍人たちで、捕虜として受けた処遇への恨み
が原因であった。

 その最中、元海軍中尉サムエル・フォール卿がタイムズ紙に一文
を投稿した。「元日本軍の捕虜として、私は旧敵となぜ和解するこ
とに関心を抱いているのか、説明申し上げたい」と前置きして、
自身の体験を語った。

 ――――――――

■「オラが艦長」
 
 工藤俊作が駆逐艦「雷」の艦長として着任したのは、昭和15年
11月1日だった。大きな体に、丸眼鏡をかけた柔和で愛嬌のある
細い目をしていた。「工藤大仏」というあだ名を持つ温厚な艦長に、
乗組員たちはたちまち魅了されていった。

 着任の訓示も、「本日より、本官は私的制裁を禁止する。とくに
鉄拳制裁は厳禁する」というものだった。士官たちには「兵の失敗
はやる気があってのことであれば、決して叱るな」と口癖のように
命じた。見張りが遠方の流木を敵潜水艦の潜望鏡と間違えて報告し
ても、見張りを呼んで「その注意力は立派だ」と誉めた。

 酒豪で何かにつけて宴会を催し、士官と兵の区別なく酒を酌み交
わす。兵員の食事によく出るサンマやイワシが好きで、士官室での
エビや肉の皿を兵員食堂まで持って行って「誰か交換せんか」と言
ったりもした。

 2ヶ月もすると、「雷」の乗組員たちは「オラが艦長は」と自慢
するようになり、「この艦長のためなら、いつ死んでも悔いはない」
とまで公言するようになった。


■「これは夢ではないか」

 英国海軍の駆逐艦「エンカウンター」は日本艦隊の追撃を受け、
撃沈された。「エンカウンター」の乗組員たちは、自艦から流出
した重油の海につかり、多くの者が一時的に目が見えなくなった。
その状態で、約21時間も漂流する。

 そこに偶然、通りかかったのが、駆逐艦「雷」だった。見張りが
「漂流者400名以上」と報告した。潜水艦に攻撃を受ける可能性
もある危険な海域であった。150名の乗組員を預かる重責にも関わら
ず、工藤艦長は敵潜水艦が近くにいない事を確認した後、「救助!」
と命じた。それは大変な勇気の要る決断だった。
  
 「雷」の手の空いていた乗組員全員がロープや縄ばしご、竹竿を
差し出した。重傷者から救う事になったが、彼らは最期の力を振り
絞って、「雷」の舷側に泳ぎ着いて、竹竿に触れるや、安堵したの
か、ほとんどは力尽きて次々と水面下に沈んでいってしまう。甲板
上の乗組員たちは、涙声をからしながら「頑張れ!」「頑張れ!」
と呼びかける。この光景を見かねて、何人かの乗組員は、自ら海に
飛び込み、立ち泳ぎをしながら、重傷者の体にロープを巻き付けた。

 しまいには最低人員のみ残して総動員の救出劇である。こうなる
と、敵も味方もなかった。まして同じ海軍軍人である。甲板上で日
本人乗組員の腕に抱かれて息を引き取る者もいた。無事、救出され
た英兵の体についた重油は日本人乗組員が布とアルコールで拭き取
った。そして新しいシャツと半ズボン、靴が支給され、熱いミルク
やビール、ビスケットが配られた。

 ――その時20歳だったフォールズ卿はこう回想している。

 私は、まさに「奇跡」が起こったと思い、これは夢ではないかと、
自分の手を何度もつねったのです。
 間もなく、救出された士官たちは、前甲板に集合を命じられまし
た。すると、キャプテン・シュンサク・クドウが、艦橋から降りて
きてわれわれに端正な挙手の敬礼をしました。我々も遅ればせなが
ら答礼しました。

 キャプテンは、流暢な英語で我々にこうスピーチされたのです。

「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲスト
である。」

 「雷」はその後も終日、海上に浮遊する生存者を捜し続け、たと
え遙か遠方に一人の生存者がいても、必ず艦を近づけ、停止し、
救助した。水没したり、甲板上で死亡した者を除いて、午前中だけ
で404人、午後は18人を救助した。乗組員約150名の3倍近
い人数である。

 翌日、救助された英兵たちは、オランダの病院船に引き渡された。
移乗する際、士官たちは「雷」のマストに掲揚されている旭日の軍
艦旗に挙手の敬礼をし、またウィングに立つ工藤に敬礼した。工藤
艦長は、丁寧に一人一人に答礼をした。


■「サイレント・ネービー」の伝統

 フォール卿は、戦後、外交官として活躍しサーの称号まで得、定
年退職後、平成8年に自伝『マイ・ラッキー・ライフ』を上梓し、
その巻頭に「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と記した。

 平成15年10月、フォール卿は日本の土を踏んだ。84歳を迎
える自身の「人生の締めくくり」として、すでに他界していた工藤
艦長の墓参を行い、遺族に感謝の意を表したいと願ったのである。
しかし、あいにく墓も遺族も所在が分からず、フォール卿の願いは
叶えられなかった。

 工藤俊作氏は自身が離艦した後に乗組員とともに撃沈された「雷」
のこともあったのか、その後、自衛隊の仕事には就かず、戦友とも
連絡をとらなかったので行方が分からなかったのである。

 工藤俊作の甥・七郎兵衛氏は
「叔父はこんな立派なことをされたのか、生前一切軍務のことは口
外しなかった」と落涙した。サイレント・ネービーの伝統を忠実に
守って、工藤中佐は己を語らず、黙々と職務を忠実に果たして、静
かにこの世を去っていったのである。

空飛ぶ象<グレゴリー・コルベール写真展>

2007-05-03 08:08:19 | 感動*好きなもの
『この世のはじめには、大空いっぱいに空飛ぶゾウがいた。重い体を翼で支え切れず、木のあいだから墜落しては、ほかの動物たちをあわてふかめさせることもあった。・・(略)・・夜空に見える星は、眠っているゾウたちの瞬きをしない目。ぼくたちのことをできるだけ見守ってやろうと、片目を開けて眠っているゾウたちの。』
(ashes and snow ジャバラ本より抜粋)

<ashes and snow グレゴリー・コルベール展>
(ノマディック美術館)に行ってきました。

足を踏み入れるこのコンテナと紙管でできた聖堂で、
きっとたとえようのないある幸福を見い出すでしょう。

和紙に焼きつけられた写真はもちろん驚くべき光輝く峰ですが、
さらに驚くのは映像です。

従来の写真展と思ってゆくと、それは喜びをもって裏切られます。
ここは3時間ほどの余裕をもって
ゆっくりと呼吸するためにゆくことをおすすめします。

自分がどういう生き物であるのか、彷佛とし
真っ白となって呼吸することを忘れ
久遠の羊水の中に
コルベールと一体となって泳ぐような
そんな幸福がありました。

チーターの瞳の美しい意志。
あどけない猿が目覚める瞬間に音立ててこぼれる星のような輝き。
鳥と、象と、鯨と、貘と、
融け合う“ひと”はすでに“ひと”でなく。

“ひと”となる前の、“ひと”となり終わったあとの
チーターと変らぬものとして安らかに並んでいる。

なにが境界なのか、
不思議に思えるくらいの融け合っているもの。

奪い取らずとも
見い出され発見されるもの。

舟がゆく象の海は
未来に見たと思える根源的なあたらしいなつかしさがあった。
わたしはそこにかつて属し、今属し、やがて属すのだ、

思えた。


2007年の今、これを見ないと後悔します。
グレゴリー・コルベール展
http://www.veritacafe.com/event/070307/

行けない方はせめてこちらを。
グレゴリーのスピーチ(英語)と
なんと!映像作品が10分ほど見れます!
http://www.youtube.com/watch?v=b8nSiQgtjkk