空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく

数字はカラフルで生きている

2007-09-29 12:35:36 | 
「ぼくには数字が風景に見える」D.タメット著 講談社

だいぶ前ですが、面白いTVをNHKでやっていた。
『ブレインマン』(イギリスのドキュメンタリー)
映画「レインマン」の主人公と同じサヴァン症候群の
ダニエル・タメットという27歳の青年。この本の著者。
でもレインマンのような自閉症の症状はない。
ダニエルは数字を色や形で感じることができる『共感覚』の持ち主。
彼にとって、数字の「1」は輝きで
正面で光をぱっと照らされたような感じがするし
「2」はただようような動き、「5」は雷のような激しさを感じる。
彼はニューヨークに行ったとき
「NYシティは数字の9みたいだ。大きくて圧倒される。」
とつぶやいた。

また、彼はどんな複雑な計算でも
一瞬にして計算せずに答えを出す能力がある。
それに数字がたとえ何桁であろうがそれが素数であるかどうかを
一瞬で見分ける力を持っている。
「素数はつるつるしていて、丸みがある。素数でない数字はざらざらしている。素数はとても気持ちがいいのです。」

素数とは、1とそれ以外の数字で割り切れない自然数。
たとえば、2、3、5、11など。100までは97を最後に25個あり
それ以降も無限にあるらしい。

わたしたちにとっては何の変哲もないページ上の白黒の文字や
発音された言葉の響きが
頭の中では鮮やかな色彩となってほとばしるという人がいる。
この人にとって「two」は青、「2」はオレンジ、「3」はピンクで、「traffic」は青でもあり茶色でもある。

この特殊な知覚は『共感覚』と呼ばれるもの。
共感覚とは、ある刺激を受けたとき
本来の感覚に他の感覚が伴って生ずる現象で
印刷された言葉や数字が色となって感じられたり
香りが形を伴ったり
話し言葉が虹色に見えたりする。
共感覚者<共感覚を有する人>にとって
新聞はただの白と黒ではなく
全面に赤やオレンジ、青、ベージュ、ピンク、緑などの
色が散りばめられたものに見える、と研究者たちは説明する。
共感覚者が本を読むと
ページがさまざまな色のついたパレットのように見え
時には文章の内容より
ページの美しさのほうに気をとられてしまったりもするという。

だいたい2万5000人に1人が共感覚を持つ
と考える研究者もいるという。
また共感覚者の割合はもっと多く
ほぼ200人に1人いる可能性を示唆する研究もある。

共感覚についてほとんど知られていないのは
共感覚者の多くが
自分の特別な知覚を認めようとしないからだという。
あるいは、自分が他の人と違うことを知って驚き
他の人もみな自分と同じ色とりどりの世界を見ているもの
とばかり思っていたと話す共感覚者もいる。

自分が思っているよりももっとカラフルで
ファンタスティックな世界を
実際に生きている人がいるのですね。
これだけ肌(?)で感じる人がいると、数字というものも
もしかしたらほんとは無機質なただの記号というだけでは
くくれないのかもしれません。
色だけでなく、味として感じる人もいます。
電話のベルを聞くたびに
ハラペーニョ・ペッパーとアボガドソースを包んだ
ブリトーの味がする、とか。(こっちはちょっとたいへんかも…?)
想像するだけでもスゴイこと。
けっこうインパクトありました。

クォンタム・リープ

2007-09-27 18:16:48 | science (科学)
クォンタム・リープ
物理学でいう『量子的飛躍』のこと。
物質のもとである量子(quantum)が
ある一定のエネルギーを蓄えると、次元を飛び越えて飛躍し
別の物質に変わっていくといったことを指しているそうです。

先週は久しぶりにからだがどうにもつらくて寝込みましたが
あちこちで言われてますケド
どうもそのクオンタム・リープ現象というのが
9月18日あたりにあったそうで。
15日くらいからもうそうだったらしい。
知らなかったケド、13日から22日までつらかった。

目には見えない現象ですが、まあ、いろいろあるんでしょうね。
季節の変わり目ですもんね。

世界の手本、キューバ医療

2007-09-23 13:23:07 | 
『世界がキューバ医療を手本にするわけ』
吉田太郎著 築地書館

キューバの挑戦は、イギリスBBCテレビをはじめ
欧米メディアではかなり広く報道されていますが
日本では、初めての本格的リポートです。

医師の数は国民163人に医師1人の割合。日本の3倍以上。その47%が地域医療を担う日本でいうホームドクター(ファミリードクター)。イギリスのファミリードクターが1人あたり1800人の患者を抱えるのに対し、キューバは300人。

外国の災害現場に駆け付ける医師の活躍もめざましい。
「2005年8月に米国南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」。米国の被災者を救援するため「ヘンリー・リーブ災害救援部隊」が創設された。へンリー・リーブとは、キューバ独立戦争でキューバのために戦った米国の医師の名前である。カストロ議長の呼び掛けに医師1万人がはせ参じ、キューバ政府はうち1500人を被災地に送る準備があることを伝えたが、米国側が受け入れを拒否、待機していた部隊は出発できなかった。しかし、この部隊が、世界で災害が起きるたびに現地に派遣されるようになった。例えば、05年10月のグアテマラの台風被害に700人、同じ時期のパキスタン北部の地震被害に2283人、06年5月のインドネシアの地震被害に135人をそれぞれ派遣した。」
(特定非営利活動法人 非営利・協同総合研究所の研究所報「いのちとくらし」NO.18に掲載されたものを転載)

一体先進国とはどのような国のことをいうのだろう?
まるでその根本が問われるようだ。
キューバにはいわゆる経済指数的豊かさはないかもしれないが
人的資源の豊かさというものがあるようだ。

 -----------------

乳幼児死亡率は米国以下。
平均寿命は先進国並み。
がん治療から心臓移植まで医療費はタダ。
大都市の下町から過疎山村まで、全国土を網羅する予防医療。
世界のどこにもないワクチンを作りだす高度先端技術・・・・・
キューバはWHO(世界保健機関)も太鼓判をおす医療大国だ。

 鍼灸や気功、リナックスOSによるパソコンネットの整備でソ連崩壊後の経済危機も克服し、その医療水準を堅持したキューバは、観光とバイテク製品の輸出で、いま年12%という空前の経済成長に湧いている。だが、好景気がもたらしたのは、若者の勤労意欲の低下、ニューリッチ階層の出現による格差社会、そして高齢化社会への対応という新たな難題だった。

 革命は倫理喪失から内部瓦解する。石油の枯渇による将来的なグローバル経済の破綻を憂える老い先短いカストロが打った最後の一手は、失業中の若者たち全員を雇用しての「もったいない運動」の展開と高齢者介護の充実、貧しい開発途上国への医療援助だった。

「革命とは、心優しく人びとを支援すること」青年医師ゲバラが志半ばにして倒れてちょうど半世紀。「持続可能な福祉医療社会」の実現を目指してカリブの小国が続けてきた模索は、日本の将来を懸念する現場の医師や患者に、もうひとつの未来へのヒントを垣間見せてくれる。市井の人びと、医師、研究者、保健医療担当官僚への現場インタビューを通じて、変化し続けるキューバの姿を克明に描いた最新リポート。

キューバ医療サクセスストーリー
http://www14.plala.or.jp/Cuba/Cubamedicalframe.htm

マザーテレサのこどもたち

2007-09-18 18:06:40 | 元気になる人物伝
 高度成長期は多くの労働者がいて活気があった山谷。今、街を歩くと酔っぱらいより高齢者の姿が目立つ。約3500人の住民の平均年齢は65歳前後。生活保護を受けたひとり暮らしが多い。
 そこに高齢者のホスピスを開いた人がいる。「きぼうのいえ」の山本雅基さん(43)だ。02年、借金や寄付で4階建ての施設を建てた。
「マザーが活動したインドと違い、日本では行き倒れても救急車を呼べば済む。しかし、退院しても行き場がない人が多い。そんな人に終のすみかをと考えたんです」
 両国育ち。道で倒れている人を見ると、連れて帰って介抱したくなる少年だった。人生を決定づけたのは85年の日航機墜落事故。泣き崩れる遺族の姿が報じられるのを見て思った。「悲しみのどん底にある人々と一緒に歩いていきたい」
 26歳でカトリックの洗礼を受け、上智大の神学部に学んだ。卒業後、難病の子らを支える団体で10年間働いた。しかし、人間関係に悩んでうつ状態になり、家にこもりきりになった。働かないままでいたら、どうなるか。考えるうちにホームレスの人々の姿が間近に見え始め、ホスピス開設を思い立った。
 21室ある施設はいつも満杯だ。東京タワーの建設にてっぺんで働いたとび職人、ベンツを乗り回していた経営者、歌舞伎の照明係、向島の売れっ子芸者、輝いていた人生の記憶を胸に、ひとりぼっちで生きて来た人が最後の場を探しにきた。
 きぼうのいえは今、当初考えた「ホームレスの人のホスピス」から、日本の高齢化社会と老人の孤独を映す「庶民のホスピス」になりつつある。
 開設から5年間でみとった人は51人。8月初めには引き取り手のない遺骨に対し、屋上の礼拝堂で「施餓鬼供養」と呼ばれる仏教の法要を営んだ。死者が迷わず苦しみから解き放たれるよう、宗教を超えた弔いと祈りの場を設けたのだった。
 マザーを尊敬しながら、その活動拠点だったコルカタに行ったことはない。しかし、「コルカタはあなたの身近にある」というマザーの言葉が好きだ。山本さんにとっては「山谷が私のコルカタ」なのである。 (07.9.14 朝日新聞夕刊『マザーテレサのこどもたち』より)

 ────────

 先日伺った時、介護の勉強をしている若者が多数見学に訪れた。
 その時山本さんは「後で燃え尽きない秘けつをお教えしますね。」と明るくユーモアを持って若者たちに話された。
 後日うかがったその秘けつとは
「同じ介護でもものを扱うように作業し、やっていることの意味を見出せないのと、そのことで相手の方が少しでも気持ちがよくなるだろうと、その人との『絆』を感じながらそれをするのとでは雲泥の差。」というようなことだった。

『ホスピス“ケア”の精神』を地域全体へも浸透させようとヘルパーステーションも立ち上げた。
 山本さんは山谷地域は日本の将来そのもの。だから、山谷だけが問題ではなく、これはもっと全日本的な問題だ、とも思われている。

※写真は右から2人目が山本雅基さん。そのお隣が奥様で看護師の美恵さん。

きぼうのいえ
http://www.kibounoie.info/

日本初のダイヤモンド

2007-09-17 16:11:25 | 面白記事*面白番組
先日の新聞です。

愛媛県四国中央市で採取された岩石にダイヤモンドが含まれていることを水上知行・日本学術振興会特別研究員ら名古屋大と東京大のグループが確認した。天然ダイヤは普通、大陸の特殊な岩石から見つかり、日本での発見は初めてという。ただ、目に見えないほどの微量でとても宝石には向かない。

水上さんらは採取した岩石にレーザー光を当てて組成を分析中、たまたまダイヤモンドにみられる特徴に気づいた。ダイヤは鉱物に閉じ込められた二酸化炭素の泡の壁部分にあり、大きさは千分の1ミリほどだった。

ダイヤは南アフリカやオーストラリアなどが主な産出国で、10億年前より古い時代にできた大陸に多い。高温高圧な地下100キロ以深のマントルでできたダイヤは、マグマの素早い上昇によって結晶構造を保ったまま地表近くに運ばれると考えられている。地球を覆うプレートが沈み込む場所にあたり、比較的新しい岩石が多い日本にはないと思われてきた。

グループは、「学術的には貴重な発見。日本のような沈み込み帯でも、高圧の地下深くから物質が上がってくる現象があることを示している」としている。

 ~~~~~~~~~

すごく面白い現象だと思いました。
ダイヤが日本で出たのは初めてだというのも意外性があって。
(考えたこともなかった)
日本列島はいま活発化してますけども
そのことを思い起こさせるシグナルのひとつでもあるのでしょうか。
房総沖と伊豆半島付近の2ヶ所のトリプルジャンクションの存在は
4つのプレートがぶつかり、せめぎ合う場として
世界に類をみないそうです。
エネルギーの加圧される土地柄のようですよね。火山列島。
フォッサマグナとか、中央構造線とか面白い場所がありますもんね。
たしかに四国中央市もそういう場所かもしれませんね。

チャリティ施術

2007-09-15 09:00:21 | Tao
チャリティ施術って耳慣れないかもしれませんね。
タオ療法(指圧から進化した手技)が世界各地でやっている
コンパクト版の施術です。

どういったチャリティかっていうと
NPOユニが国内外で行っている援助活動・ボランティア活動の資金に
施術料の一部が使われます。

たとえば…
●スリランカの水不足の村に3基井戸を建設
●スマトラ沖地震被災地に義援金・復旧作業にボランティア参加
●バングラディシュ仏教徒・ラカイン族への教育支援
●イスラエル自閉症施設<アキム>でのボランティア施術
●イスラエル女子刑務所での小児指圧のボランティア講習
●イスラエル空襲下のシェルターでのボランティア施術
●エルサレム戦時難民への<気と心の学校>ボランティア講習
●アメリカホームレスの方々へのボランティア施術
●アメリカ「ハリケーンカタリーナ」被災地への援助

国内では
●中越地震被災者支援・継続的なボランティア施術
●ホームレスの方々への支援
●東京山谷ホスピス<きぼうのいえ>チャリティ・ボランティア施術

etc.etc.です。

日本では東京と京都で行われています。
東京は中野で毎週木曜日午後
40分くらいの施術で¥1800

常連になってくださる方も
いらっしゃいます。
くつろぎとチャリティがドッキングしました。
あなたの身体の喜びが、世界のどこかで役に立つのです。

詳しくは
NPOユニ<チャリティ施術>
http://www.npouni.net/

タオ療法
http://www.taoshiatsu.com/index.html

※写真は今年7月にオーストリアで行われた
 ワールドジムナストラダ(世界体育祭)での
 タオ療法チャリティ施術。
 国内のアースデイなどのイベントでもおこなわれます。<

トトロの住む家

2007-09-11 19:13:58 | 面白記事*面白番組
先日<目に見えない柱>の項に書いた
道路にも児童公園にも
“目に見えない分厚い層のような濃い場所”がある住宅街に
実はとても素敵なお家があったのでした。
目を引くので思わず写真を撮っていました。(上の写真)

オドロイタ。
それがなんときのうの朝日新聞に載っていた。

 ── * ── * ── * ── * ──

『「トトロの家」隣に残して』
~宮崎駿監督も愛着 昭和初期の平屋建て~

東京都杉並区阿佐ヶ谷の住宅密集地に
緑に覆われた築約80年の木造平家建ての家がある。
アニメ映画監督の宮崎駿さんが「たからもの」といい
地元住民から「トトロの住む家」として愛されてきた。
ところが7月に持ち主が転居し、存続が危うくなっている。
「貴重な景観を残したい」と
住民らが約4000人分の署名を集め杉並区に提出した。

地元の神社(阿佐ヶ谷神明宮のことですね)から土地を借り
元デザイン学校教員の近藤英(えい)さん(83歳)が
住み続けてきた。
かつては同じような家が並んでいたが
宅地開発が進むとともに姿を消したという。

十数年前、当時近くに仕事場があった宮崎さんが訪ねてきた。
微妙なゆがみが残る昔ながらの窓ガラスに懐かしげに触れ
屋根を越える高さのキンモクセイを眺めた。
「自分が小さい頃は、こうした木がたくさんあったのですけどね」
と話したという。
後日宮崎さんは著書『トトロの住む家』(91年)の中で
この家についてこう記した。
「住まいとは、家屋と、庭の植物と、住まう人が、同じ時を持ちながら時間をかけて作り上げる空間。その植物たちと、生きもの同士のつきあいをしている。」

家の隣にある中学校の卒業生から
「30年たっても、同じたたずまいなのに驚きました」
と手紙をもらった。
ある大学生からは
「卒業制作の映画撮影に家を使わせてもらえないか」と頼まれた。
散歩中の見知らぬ男性から「庭の掃除を手伝いたい」と
声をかけられたこともあった。
「何かしら人をほっとさせる雰囲気がある。家を縁に知り合いも
できた」と振り返る近藤さん。
だが、高齢になったこともあり、7月に借地を返し
家の所有権も神社に譲渡して近所に引っ越した。

家の今後は決まっていない。
「貴重な環境を後世に伝えていこう」と地元町内会が8月
保存に向けた署名を始めたところ、1ヶ月で約4000件が集まった。
受け取った区も、「杉並の一つの時代の家を伝えると同時に、自然との付き合い方を教えてくれる家」と、保存に関心を寄せている。

近藤さんはデザインを通して生活の豊かさとは何かを教えてきた。
「街に緑や土がある。生活の原点をみんなに考えてもらえる家として残せれば」と話している。

 ── * ── * ── * ── * ──

ほんとうに、いったいこの家はなんだろう?このうつくしさは?
と思ったのでした。声をかけたくなる人が多いことがうなずけます。
たしかに今は人が住んでいる気配がないのに
よく手入れされていました。
つまり、ここからはなにか
“愛”のようなものが感じられる家だったのです。

こうした地元の方の熱い想いがあったとは。
わたしが感じた、まるで神社のような濃い空間とは
土地の気もあり、人の気もあるのかもしれません。
相まってそんな気の育まれやすい土地なのかもしれません。

まさに、“トトロ”でもいまだにいるかもしれませんね。
ちなみに、早稲田通りから曲がってすぐ現れる
まるでゲートのような濃い空間のすぐ先の左側に
この家はありました。

日本の青空

2007-09-09 15:35:08 | 映画
最近の日本映画です。
『日本の青空』

日本国憲法をアメリカの押しつけと毛嫌いする人もいるようですが
その理由はつけられなくなっちゃうかな。
GHQがお手本にしたという
日本の在野の憲法学者たちの作った日本国憲法の実話です。

鈴木安蔵さん。
大学時代にマルクス主義に傾倒していたため
治安維持法違反第1号で検挙され、獄中生活を送り
以降経済学から転向して憲法学・政治学の研究に打ち込み
アメリカの大学の図書館にもその著書がおかれ
GHQのラウエル陸軍中佐もその本を知っていたという
在野の憲法学者。
ですが、検挙された経歴から
47歳ではじめて静岡大学教授に就職するまでは
奥様と苦労されたようです。

現憲法の骨子はその草案によるところが大きく
GHQ行政部法規課長ラウエル陸軍中佐は
私的グループとして提出された
鈴木安蔵氏らの作った「憲法研究会」案を高く評価しました。

そのあたりのことがこの映画で描かれています。
白州正子さんの夫、白州次郎さんも
内閣終戦連絡事務局次長として出ていて
へえ、そうだったのか、と驚きました。

なぜこのことが今まであまり言われていなかったのかが
不思議です。

この映画は企業からの資金は受けず
13万人の市民の協力によってつくられ
各地で自主上映がされているようです。

日本の青空
http://www.cinema-indies.co.jp/aozora/index.html

目に見えない柱

2007-09-08 11:42:41 | 神社
ひとつのつぶやきとして…。
もうそろそろつぶやいてみてもいいのかも。

わたしはある夢を見てから日本武尊の足跡を追ってきました。
驚くほど全国的にその伝承はあります。
最近になって、ごく身近にそれがあったことを知りました。

東京JR中央線阿佐ヶ谷駅からすぐの「阿佐ヶ谷神明宮」。
ここは祭神は天照大御神ですが
そもそもの発端は日本武尊が東征の折に休まれた地に
尊の武功を慕った村人が社を設けたのが始まりだそうで。
(日本武尊は神社発祥の伝承になっていることが多い)

ところが実際に行ってみると
そもそもの発祥の地は
ここからバスでちょっと行った阿佐ヶ谷5丁目ということでした。
駅前にはそこから後に移転したそうで。
もっともこの駅から徒歩2分の神明宮も
現在とても“濃い”聖地となっています。

ここまで来たらゆかずばなるまいと
その5丁目の本来の地に行ってみました。
神職さんにお聞きしたその地、『お伊勢の森』というのが
立派な公園だと勝手に思っていて
バス亭に降り立って途方に暮れました。
それらしき公園がない。
やっと人に聞いて行ってみて
現在杉森中学校の敷地になっているところから
お伊勢の森児童公園を含む
結構広い一帯がそうであると看板を見つけました。

中学校の敷地には入れないので、児童公園を目指しました。
早稲田通りからはずれて住宅地に入って、最初に驚きました。
その、なんでもない道路に
とても“濃い”空間がいきなり出現したのです。
まるで神社。(元神社ですから)

こっちだこっちだとはやる気をおさえながら児童公園に辿り着くと
そこはもう笑ってしまうくらい小さな猫のひたいほどの空間でした。
申し訳程度の遊具があり、木がぱらぱらと立っている。

ですが、そこに足を踏み入れてまた驚きました。
ある場所がとても“濃い”空間になっている。
この、散歩の人が行き交うなんでもない住宅地の児童公園の
ある場所が。

衝撃に打たれてそこに立ち尽くしました。
これはいったいどういうことなのか?

この目に見えないどーんとした柱はいったいなんなのか?

この地がそういう地であるから日本武尊が立ち寄ったのか
それとも、日本武尊が実際にここに立って
天地に届く想いを捧げたことが
この時間を超えた柱として残っているのか?
はたまた日本武尊が実在しないとしても、いにしえの人々は
ここがそうであると意識的にか無意識にか感じて祀ったのか?
それとも何もないところに
ここをそう決めて祀った、人々の痕跡なのか?

ほんとうのところはこれがなんなのかはわかりません。

ですが、世の中には不思議なこともあるものだ、と
想いをあらたにしたのでした。

夢を見た2000年以来神社・仏閣・聖地を巡るようになって
神社とは、単なる名所・旧跡といった風景の一部ではなく
単なる気休めの場所でもなく
今もなおわたしたちの隣に在り続ける
そういった目に見えるものを超えた聖地であると
思い知らされて来ました。

それが今回普通の住宅地にあったことがオドロキでした。

パラダイス・ナウ…

2007-09-04 13:42:38 | 映画
パラダイス・ナウを観ました。

自爆テロの決行は明日だと言われる
20代前半のパレスチナの若者サイード。
家族にも悟られぬようにと言われていつものように食事をする。
明日、自分は死ぬんだと思いながら母や弟と囲む食卓。
自分だったらと思わせられる。

決行が失敗し、仲間とはぐれ
はずせば爆発するベルトをつけたまま街をさまようサイード。
重き『死』を着せたまま路頭に迷わせる指導者たちの
罪の深さを思う。

事前に自爆者の宣伝ビデオを撮る時も
ハーレドの母が作った食べ物を
その死のメッセージを語るハーレドを見つめながら
まるで映画館で物を食べながら映画を観ているように食べる
仲間の大人には違和感を覚えた。
これからハーレドが死に向かうことがまるで他人事のようだった。
それほどに逆に痛みは深いともいえる。
無感覚にならなければやっていけない。
ハーレドは用意されていたメッセージ文を読むのをやめて
母が作った食べ物を見つめる。
そして、母に語りかけるようにつぶやくのだ。
「フィルタ(掃除機?浄水器?)はもっといいのが
(どこそこに)あったから。」死に向かう時にそんなことを言う。
なんでもない日常の言葉がむしろ「死」への切なさを覚えさせた。

若者たちの住む地の空気が
自爆することしかないんだという色に染まっている中で
その地の英雄の娘である外国帰りのスーハが
かろうじてハーレドとサイードに違う道の可能性を叫ぶ。
すっかりサイードたちの空気に入り込んでいた時に
差し込む光だった。

だが、揺れ動いたサイードには自爆に向かう『理由』があった。

サイードの写真から目をあげたスーハの瞳が
まるでこれから「解決の道」への新しい旅立ちをするとでも
決意しているかのように
しっかりとして見えたのが救いだった。
そしてそれが観る者の瞳にも宿ることが
ほんとうの救いになってゆくんだろう。

※写真は爆弾を腹につけられるハーレド


Shall We Not Revenge?
ウリ・アブネリ/Uri Avnery

2006年2月4日
─ナブルス通信2006.2.15号による─

(若き頃はシオニストの武装地下組織イルグンに所属し、その後は長きに渡って占領に反対してきた82歳のイスラエル人アブネリの映画評より抜粋)

この映画は、何千何万の言葉を費すよりもはるかに深く、パレスチナの真実の姿を伝えてくれている。スローガンもプロパガンダも学術的なレポートもいっさい使わずに。説教・宣伝をすることもなく、一方的な称賛や激昂に陥ることもなく。『パラダイス・ナウ』は、ひとつのストーリーを提示する。そのストーリーがすべてを語っている。

上映が終わったあと、私は、テルアビブのシネマテークから出ていく人たちの表情を観察した。誰もが無言で、考え込んでいる面持ちだった。この人たちは、たった今、生まれて初めて、自分たちを殺しているテロリストを、子ども・男性・女性が大勢いる真ん中でみずからを吹きとばす自爆テロリストの姿を見たのだ。ごく普通の人間として振る舞い行動する、ごく普通の若者たちを、彼らは見た。占領というものを、別の側から、占領されている側の視点から、見た。

暗い上映室に座っていた私は、ふと、自分がこのうえなく異様な体験をしたのだということに思い至った。私たちは、この映画で「犠牲者」と目されている側にいる。私たちの誰もがいつでも、あのバスに乗客になりうるのだ。そして、そんな私たちが、最初から最後まで、私たちを殺す側の人間の目を通してすべてを見てしまった。

私たちの誰もがこう思ったはずだ。ここでは軍は何の助けにもならない。たとえ、あのふたりを殺したとしても、別のふたりがまた同じことをするだろう。フェンスは、彼らの一部の侵入を阻むとしても、全員を締め出せるわけではない。国家治安機関(シンベト)は、「協力者」の助けのもとに、自爆攻撃の一部を阻止できるとしても、すべての攻撃を防げるわけではない。そして、「協力者」の子どもたちは復讐を誓うことになる。ああいった状況で育った人間がいれば、そのうちの何人かは間違いなく目的を達することになるだろう。

『パラダイス・ナウ』は、何の解決策も提示はしない。「公平中立な立場で」などという「ふり」をすることすらしていない。この映画は、私たちを真正面から「現実」に向き合わせる。私たちの知らなかった現実に、私たちが慣れ親しんできたのとは異なるアングルから。そして、私たちは、それぞれの内部に生まれる、激しくぶつかりあう感情の波で、徹底的に揺さぶられる。

同時に、この映画によって、私たちはたぶん、何らかの「解決の道」に思いをめぐらせることになるだろう。サイードとハーレドを、自爆攻撃ではない別の方向に向かわせるような「解決の道」。屈辱的な行為に、ひとりひとりの人間の尊厳と国の尊厳を破壊する行為に、貧困と絶望の日々に、終わりをもたらすことになる「解決の道」。

パラダイス・ナウ
http://www.uplink.co.jp/paradisenow/