空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく

『山谷でホスピス始めました』

2008-01-28 14:01:36 | 
2年くらいになるのでしょうか?
こちらに月に1回通うようになって。

それでも山本施設長さんの書かれたこのご本を読んだのは
ごく最近でした。
色々と聞いていたお話よりもさらに想いが満載で、ご苦労も満載で
あらためて感じ入りました。

たしかにいろいろな方がいらっしゃいます。
脱腸した腸を「勉強になるだろ?」と見せてくださった方。
末期でひどい痛みを抱えながらも大声で昔話をしてくださった方。
たいへん上品で誇り高い紳士で
きぼうのいえや病院の世話をしてくださる方のことを
「ありがたい。ありがたい。」と言われた方。
往ってしまわれましたが、今も心に残ります。

山谷の街を歩けば
「ばかやろー!ボランティアなんてやめちまえ!」
というおじさんもいました。
でも、その心の底からわたしに向かって
ばかやろーと言っているのではないことに
ほんの小さな言葉の隙間からふと気づきました。
やりばのない「ばかやろー!」でした。
そして、おじさんなりのコミュニケーションでした。
それも心に残ることです。

山本さんご夫妻は特に余裕があるというような
特別な方ではありません。
心身疲れることだってある普通の方です。
ですがやむにやまれぬような突き動かされるものに導かれ
こんなまさに“きぼうの”いえを創ってしまわれました。
こんな、今の利益社会で言えばなんの利益にもならないことに
人生をかける人たちがいるということがまさに希望です。

こんな草の根のともしびに応えるくにが
ほんとうは“うつくしい”くになのではないでしょうか?

自分が死ぬ時、こんな最後を迎えられたら、という
まさに希望を追い続けていてくれていることが
今死に往く人だけでなく
すべての人々への応援歌を謳ってくれているようです。

だってすべての人にもれなく死は贈られるのですから。
どこにも逃げ場はありませんヨ。
まったく他人事ではないのですよね。

中には会社の社長だった人もいます。
人生は流転。
今、物的に豊かでも、家族があろうとも、一寸先はわかりません。
どんな人の中にも自分がいる。
死にゆく時はみな裸。

ぜひ読まれてみてください。

山本雅基さんの言葉
「ほんの小さなつまずきで人生を棒に振ってしまうような罠が、この社会にはいくつも張り巡らされている。(中略)自分の人生と折り合いをつけることができずに、ひとりぼっちで人生を終えるなんて悲しすぎる。」

 ―*―*―*―*―*―*―*―

本の帯より

「さて、モルヒネ飲んで、パチンコでも行くか」
(ある入居者のつぶやき)
「いいか、人間ってものは醜いものなんだ。やられたらやりかえさなきゃ殺されるんだ」(ある入居者のことば)
「無縁仏にしてください」(ある入居者の遺言)
「あれほど死にたがっていたひとが、いまは生きたがっているんだよ。よかったね!」(看護師の美恵さんのことば)
「お葬式っていうのはね、天国に誕生するお祝いの日なんだよ」
(下条司祭のことば)

余命わずかな身寄りのない人々、元日雇い労働者らのホスピスが、東京のドヤ街・山谷(さんや)にある。三十八歳の若さで、妻と二人三脚でこの場所をつくり、運営している著者が、立ち上げからこれまでの、疾風怒濤の日々を綴る。

【著者あとがきより】
「きぼうのいえができて三年半、これまで三十四人を看取った。ここでは毎日たくさんの信じられないようなできごとが次々におこり、日々がものすごい勢いで過ぎていく。(中略)なんといっても、普通の生活をしていたら一生に一度あるかないかのようなことが、一月に一度くらいの頻度でおきるのだ。題名の通り、これは素人同然なぼくのホスピス立ち上げ話であり、ぼくのような庶民が企てた、庶民のためのホスピス物語だ。ここには有名なホスピスにはない発達途上の未熟さがあり、そうであるがゆえのあらゆる発見や感動がある」

<山本雅基(やまもと・まさき)プロフィール>
1963年生まれ。東京・台東区の「山谷(さんや)」地区にあるホスピス、「きぼうのいえ」施設長。
1985年、日航機墜落事故のニュースに接したことをきっかけに聖職者を志し、1995年上智大学神学部を卒業。大学卒業後、「NPO法人ファミリーハウス」の事務局長を務める。
2001年、「ホームレスのためにホスピスを建てたい」と考え、看護師の妻とともに活動を開始。妻の貯金を元手に銀行から借金をし、全国のキリスト教会や、多数のボランティアの後援を得て、2002年4月、緊急一時保護施設「なかよしハウス」(全11室11床)を開設。
2002年10月、在宅ホスピスケア対応型集合住宅「きぼうのいえ」(全21質21床)を開設

★TBS系「ニュース23」の特集「マンデープラス」で取り上げられ、大反響を呼んだ「きぼうのいえ」の施設長が自ら綴った、話題の一冊です。

【本書に関するお問い合わせ】
実業之日本社 趣味・実用編集室 藤森文乃(ふじもり・あやの)
電話03-3535-3361 FAX03-3567-4386
fujimori@j-n.co.jp
http://www.j-n.co.jp/

『東京のドヤ街 山谷でホスピス始めました
「きぼうのいえ」の無謀な試み』
きぼうのいえ施設長 山本雅基著 実業之日本社刊

善意の寄付によって支えられています。
詳しくは
きぼうのいえ
http://www.kibounoie.info/

甦るくつ

2008-01-25 16:11:14 | shop*spot
驚いた。
履き古した靴が、見事に再生!
こーんなShopがあるんですねえ。

よい靴、愛着のある靴なら大事に再生して使いたい。
新しいの買うよりずっと安いですし。mottainai!

ただ、きれいになるというよりも
ふっくらと色まで再生するのにほんと驚いた。

だったら“安物買いの銭失い”より
すこしいいのを買って長く使おうかなあという気にさせられる。

レザースニーカーだって再生するヨ。

詳しくは《靴専科》
http://www.kutsusenka.com/index.html

カフェしえと

2008-01-19 09:39:21 | shop*spot
先日千葉県の佐原にある
昔の商家をカフェにしている『しえと』さんに行ってきました。

一緒に行った母が
とたんに機嫌がよくなり佐原のイメージが一新されたカフェです。
一緒に行った人が喜ぶことのなんとうれしいこと!

シンプルでスッキリ気持ちいいけれどけして無機質ではない。
入った第一印象は日本家屋の独特の暗さをほんの一瞬感じましたが
それは腰を落ち着けるとかえって居心地のよさに。
食べ物の種類は多いというわけではないけれど気配りが感じられ
飲み物ももてなされている気分がちゃんと味わえます。

たった1軒のカフェが
来た人の町のイメージを変えることもある。
たった1人の人が
その土地の印象を変えることもある。

このたった1軒の店の空気を味わいたいがために
ここまで遠出しようという気にさせるとは。

店の魅力というのは
ほんとにその店や場所
来る人や人生への愛情に満ちているかなんだな、と。
あらためて思うのでした。

カフェしえと
http://www.shuhari.co.jp/shieto/index.html

melody of silence

2008-01-15 14:01:42 | 感動*好きなもの
by noriko kawamura

とってもピン(こころのピント)のキュッと合った
写真のご紹介です。
のりちゃんとけんさんは
山からいつもほ~っと感嘆のもれるような光景を
持って帰ってくれます。
小さな実に宇宙が光り、森の静けさの中に陰や光が宿る
そんな感動を丁寧に摘んでプレゼントしてくれます。

呼吸がゆっくりとなり、画面をはみ出た空気の中で森呼吸する。
そんな感じを今までも味わってきました。

また楽しみな展覧会が開かれます。

《melody of silence~森のささやき~》
川村賢一・川村典子 二人展
1月22日(火)~27日(日)11時~20時(最終日は19時)
カフェギャラリー茶園 CHA-ENN
東京都中野区5-68-7 ライオンズマンション中野第3-2F
tel 03-3388-6151

*JR中野駅北口を出てサンプラザのある中野通り右側をまっすぐ
 ドンキホーテのちょっと先のジーンズショップ2Fです

CHA-ENN
http://www.zebul.net/cha-enn/index.htm

はるかな誓願

2008-01-11 18:19:33 | nam amita-yusu
命軽き時代
はるかな誓願をもとう

玄侑 宗久(作家/臨済宗僧侶)

 このところ、なにか犯罪が発覚したような場合、容疑者が「きょとん」としていることが多い気がする。つまり重大な罪を犯したという自覚が本人に芽生えていないのである。
 ときには「人殺しという行為をしてみたかった」ということさえあって驚くのだが、考えてみればこれも宜(むべ)なるかな、である。
 だいたい罪の意識というものは、誓いがあってこそ芽生える。殺生をしないと誓ったことがなければ、殺人でさえ当人には罪と感じられないのである。
 どうして命が大切で、なにゆえ殺生がいけないことなのか、それを理詰めで教育しようという風潮が今の世の中にはあるが、おそらくそれは無駄なことだ。理詰めで進めるかぎり、どんな意見にも必ず反対意見がありえるからである。
 思えば完全に受け身で産み落とされた我々の命。そのままでは大切にすべき理由は見当たらない。しかしそんな命を大切なものとして慈しみ、育んでくれた人々がいた。そのことで、感覚的に大切そうな命と感じる人々は多いだろう。
 それでも同じような体験を全ての人が共有できる世の中ではないから、今は尚更誓いこそが大切なのである。 
 不殺生戒が仏教発生以来、ずっと変わらず続いてきたのは、それが結局は遵守不可能であるからだ。律儀なドイツ人の仏教会は、不殺生戒だけを除いて仏教を受け入れると宣言したことがあるらしいが、不殺生戒を字義どおりに受けとめれば無理もないことだ。仏教は植物も動物も対等の命と認め、家畜などという手前勝手な考え方もしないから、今日一日を生き延びるためにさえ無数の殺生をしなくてはならない。そのことを自覚して懺悔し、不殺生を誓いつづけるのである。
 それほど、実現不可能な戒をどうして立てるのか、不思議に思う方もいるに違いない。しかしそれはあまりに合理性に慣れすぎた考え方と云えるだろう。実現不可能であるからこそ、戒は永遠のものになる。不偸(ちゅう)盗戒《盗むな》も不淫戒《交わるな》も不妄語戒《ウソつくな》も、つきつめれば完璧な成就が不可能であるゆえに永遠の誓いなのではないか。
 不可能を目指しつづける人間は、たぶん美しくなる。だから「美しい国」であるためには、たとえば憲法第9条も、現実に合わせて変えるなどと発想してはいけない。
 むろん個々人がそれぞれ遥かな誓願をもつことが何より大切なことだ。どんなに細々(こまごま)と法令を作り、あるいは道徳教育に力を入れようとも、本人がそれを守ろうと誓わなくては罪も自制も生まれないからだ。
 どうも最近は、外側から人を法令や決まりで一律に規制しようという風潮を感じる。どんどん網の目のように法令が増えているのも事実だ。しかしそんなことで「きょとん」犯罪が減るはずはない。
 問題は誰に向かって誓願を立てるのかということだが、尊敬する師匠がいれば最高だろう。それがいなければ、・・畏怖する雷親父。神・・、仏・・。ああ、問題の中心が見えてきた。
 近頃の人々の不幸は、実現可能な目標ではなく、遥かなる誓願をもとうという発想のないこと、そして誓う相手が見当たらないことかもしれない。(朝日新聞08.1.10)

*羊遊斉*

2008-01-07 13:19:29 | 感動*好きなもの
原羊遊斉(はらようゆうさい)。
平成11年10月、五島美術館でやっていた展覧会に
たまたま足を運び、一目惚れした江戸琳派の蒔絵師。

“新しい”でしょ?

幕末の蒔絵師(1769~1845)。
現在あまり一般に知られていない。現存する作品の全体像はもちろん
人物像についても詳しくはわかっていない。
しかしここ数年にわかに羊遊斉の研究が深まっているという。

酒井抱一などは羊遊斉の蒔絵の下絵を描いたらしい。

当時の蒔絵師は大名の御抱え、あるいは御用蒔絵師として
伝統の上にたった仕事をする職人だった。
だが羊遊斉は琳派のデザインを蒔絵にし
新しい分野を開拓することで人気を得、
それに応えた独自の工房を創り上げたと推定できるそうだ。
つまり羊遊斉ブランド。

自由で新しいスタイルで、独自の活動をし、独自の立場を持ち
生活スタイルも新しく
様々な階層の人々との交流をふんだんにもって
新しい発想から“作家”としてそれまでにない仕事を築いた。

ま、こんな解説がなくとも、その作品を一目見れば
それが自由闊達で斬新で
潤いと喜びに満ちていることがすぐわかる。

ほんとうに驚いたんです。
こんなにも色褪せない輝きに満ちた工芸品があろうかと。
見る者のこころをリフレッシュさせる感動と遊びに満ちた精神。
しかも技が一級品だからこそ遊びが光る。
洒落てる。惚れ惚れします。

新潟へ来て、ぼくは変わった。

2008-01-03 12:05:23 | 面白記事*面白番組
新潟へ来て、ぼくは変わった。 北川フラム

 2000年に始まった大地の芸術祭で、ぼくは妻有と関わりました。最初ぼくは、有名アーティストの素晴らしい作品を集めて世界を驚かせなきゃいけないと、思っていた。そして地元の人には、じいちゃんばあちゃんには、あなたたちの暮らしを苦しくしているのはグローバルスタンダードなんだと、日本の今の政治なんだと、だからそれを変えてゆく価値を発信しなければならないんだと。言ってみれば啓蒙しようと思っていた。でもそれは間違っていた。妻有のじいちゃんばあちゃんは、過酷な自然と朝令暮改の農政、その他もろもろを受け入れて、その中で生きてきたのです。そうやって、今まで生きてきたのだからじいちゃんばあちゃんは正しい。ぼくはそう思うようになった。変わらなきゃいけないのはぼくの方で、彼らが喜んで、楽しんでくれることをすればいいんだと思うようになった。ぼくは新潟へ来て、本当に変わったんです。新潟はすごいところだと、いま本当にそう思っている。

許容する人々。

 長野の方が自然がきれいだというのがおおかたの評価だけれど、長野の人は新潟県に入ってみると「長野はつまらない」って思うそうです。なぜかといえば、新潟の人は自分の家だけじゃなく、それをはみ出して道路にまで草花を植えて大事に育てている。その人の手、慈しみのこもった風景が新潟には当たり前のように存在している。それを見てしまうと、長野の景色はつまらなくなってしまう。
 ぼくはこの景色を「径庭(みちにわ)」と名付けたけれど、ここまでのものは全国でもほかにはないです。植物を慈しみながら、訪れる人と自分たち共同体の暮らしを楽しませることを自然とやっている。今の言葉で言えばホスピタリティー、人を受け入れる心がすごくある。自然も人も、何もかもあるままに受け入れる。良寛や坂口安吾なんていう変な人も許容する。そのまんま許容しているから気づかないけれど、新潟には「とんでもないぞ!」っていうくらい変な人や変なものが実はたくさんある。あることがすごいんじゃなく、その存在を許容する人、風土が希有なんだ。
 
断絶の海はいつか世界のヘソになる。

 かつて日本海は対岸と日本を結ぶ交流の場だったけれど、今は不幸にも断絶の海。何が起こるか分からない不安を抱えていて、この先どう変化してゆくのかと世界が注視している。新潟は東京から見れば裏側だし、豪雪も政治のひずみも受け持ってしまっている。だけど、日本海が断絶の海じゃなくなったら?新潟は日本のヘソになる可能性を持っているんですよ。そうなってゆくために、そしてそうなった未来のために、ぼくは新潟の人が持っているホスピタリティー、あるがままに受け入れる心の広さが鍵だと思う。
 ぼくが尊敬している師匠にフリードリヒ2世(1194~1250、神聖ローマ皇帝)がいる。彼はローマ教皇から強要されて第6次十字軍を組織してエルサレムへ行くんだけど、「イスラムと戦う意味なんてあるのか」って戦わないで仲良くしてしまった。戦わなかったのは彼の時だけなんですよ。それで今だにバチカンから破門されている。人はそれを彼の先見性、科学や文化を重んじる心だと言うけれど、それ以前に彼の育った環境がこういう判断をさせた。彼はシチリアの生まれで、貿易の盛んな何でもありの環境で育ってきたから「戦うことに意味はない」と、当たり前のこととして思えたんです。日本海をはさんでは、とても難しくデリケートな問題はたくさんあって、政治的には難しい。だけど新潟の人たちにはこの断絶を超えられる可能性があるんじゃないかと。超えられるものを持っているんじゃないかとぼくは思っている。

新潟の人の暮らしが21世紀にとっての普遍的な価値になる。

 グローバルスタンダードというのは、世の中をシンプルにして競争しようというもの。アメリカの、もっと言えばブッシュにとっての善。それについてゆく日本はまだ、世界にとって普遍的となる価値を一度も提供したことがありません。新潟では、厳しい自然を受け入れた暮らしの中で、労働や食べ物を分け合い、ほかにはないホスピタリティー、受け入れる心を育んできた。人のあり方として、正しいとぼくは思う。人口は増えているけど資源は減り、食糧も減り、環境が破壊されてゆく21世紀にあって、この新潟の暮らしと人のあり方は、今のままで十分に普遍的です。日本がいまだなし得なかったこと、つまり世界にとって大切な、普遍的な価値観を提供するということが、新潟にはできる。ぼくの故郷だから手前味噌かも知れないけれど、できると信じているし、それ以上にそうあってほしいと願っている。そしてそのために関わりたいんです。だってぼくは新潟へ来て変わったんだもの。<新潟日報07.11.26>

(アートディレクター 北川フラム/越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭 総合プロデューサー・新潟市美術館館長/ふるさとイベント大賞グランプリ(総理大臣表彰)・フランス政府より芸術文化勲章シュバリエを受勲)

妻有トリエンナーレ
http://www.echigo-tsumari.jp/goods/index.html

皇居・吹上の森

2008-01-02 13:17:13 | 面白記事*面白番組
NHKハイビジョン特集
「皇居・吹上御苑の四季」

皇居の中で、これまで取材が許されなかった吹上御苑に
一昨年、初めてTVカメラが入った。
国立科学博物館による自然調査が終了したのを機に
吹上御苑の長期取材が特別に許可されたのである。

吹上御苑は同じ皇居の中でも
整然と管理された他のエリアとは趣を異にしている。
戦前は一部が馬場やゴルフ場になったこともあったが
その後「できるだけ自然のままに」という昭和天皇の方針の下
普通の人工的な庭園管理は行われなくなった。
その結果、吹上御苑には
都心にあって手つかずの原生林が生命を謳歌する
他に類を見ない豊かな森ができあがった。
それは研究者が驚くほど。
この老熟した森はさまざまな動物たちの住処にもなっている。
そして、世代交代の時期を迎えている。

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以前、一時期皇居そばで働いていたこともあって
東御苑などは昼休みに散歩に行ったりしていた。
でも、今回この番組を見て
こんなにも豊かな森が都心にあることをあらためて再発見し
驚き、カンドウした。

国際親善も大切な役割だけれど
どんな場にも祈る人というのは必要で
目に見えないものへの感謝の祈りを
日本人を代表してくにを背負って祈る天皇は
日本のいわゆる大宮司というお役目を負っているのかな、と
つねづね思ってきたのだけれど
昭和天皇はもうひとつの天皇家の役割を遺していったんだなと
いうことが感じられて感慨深い。
天皇というよりも学者肌というか、それもただの学者ではなく
希にみる真っ白な豊かな感性をお持ちだったからこそ
「雑草という草はないんだよ。」と
手を加えられていない緑を愛した。
もしかしたらその逃げ場のない特殊な環境がかえって
その感性を磨かれた一因にもなったのかもしれないけれど。

でもこれが、東京の、もしくは日本の
ひいては世界の財産となる日本古来の感性であることを
今はもう一度再発見する時代かもしれない。

昭和天皇はどんな役割よりも
もしかしたらそのために天皇としてお生まれになったのか
と思うくらいの、これは目からウロコだった。

皇居にこの豊かな緑が残され
大切に“手を入れ過ぎず”育まれ続けてきた
この営みは未来を感じさせる。
ここがあるから東京はかろうじて東京でいられたのでは。

大切なものというのは
ほんとうに地味な顔をして
特に何かの役に立つという派手な佇まいを見せずに
脈々とそこにあるものだ、と
新年早々想いをあらたにしたのでした。

ほくほく。

皇居 吹上御苑四季
http://www.nhk-ep.com/shop/commodity_param/shc/0/cmc/11341AA

ゴール & スタート

2008-01-01 13:17:40 | ごあいさつ
2008年が明けました。
新年あけましておめでとうございます!

 ‥‥‥‥‥

こどもの頃、20歳を過ぎて生きる自分を想像出来ず
未来を夢見ることはなかった。
こどもの頃はよかったとか、こどもの頃にもどりたいという人を
うらやましく思ったこともありました。

今はこどもの頃より、よく泣き、笑い、怒ります。
20歳の倍の年を超えて
今がわたしのこども時代なのかもしれません。

こどもの頃は生きたくないから生きられないと思っていた。
2、30代はよくもわるくも生が永遠のようにも思えていた。
今は生きたいのに
生きられる時は限られていることを感じだしている。

面白いものです。
面白きかな人生。

この、希にみる人の意識の変化の時代に生まれ
生きられることの奇跡を感謝します。

最後の一息までじたばたするために生まれたなんて。
嗚呼、それはなんてフクザツでシンプルなんだろう。
いつも何かが足りないという
永遠のようなカルマを抱えてやってきた。
嗚呼、それはなんて哀しくて愉快なんだろう。

曲がりくねった道の先へただ進みつづける
すると振り返るとまっすぐな足跡がついているとか。

どんな道を歩いたとて
惑星(ほし)を歩むならどこもゴール。
宇宙(そら)を歩むならいつもスタート。

ある意味ではそれは逆。
どんなこともいつも真逆をはらんで円。

もちろんゴールには終わりはなくて
ゴールし続ける瞬間(いま)があるだけ。
ゴールしてるとも思わないばかりの。

今年もよろしくお願いします。