「なるようにしかならない。ゆっくりやりましょうよ。」
天台宗大阿闍梨 酒井雄哉(さかいゆうさい/81歳)
1926年大阪府生まれ。戦後、職を転々とし、65年比叡山で得度。80年と87年に千日回峰行を満行。千日回峰行を2度した行者は400年間で3人だけ。
――生き仏と言われる偉い行者様ですが・・
こないだ来た人、「本当に行をしたんですか?」なんて言うんだもん。「したことになってんですよねえ」なんてな。(略)
いつも言ってるんだよ。おれ死んだら葬式いらねえからって。ちょっと出かけて来ますわって、そういうのがええわな。
――比叡山山中を1日30km拝み歩いて700日。9日間の堂入り。60kmを100日。84kmの京都大回りを100日。山中30km100日で満行。挫折したら自害する決まりがあるほど厳しい行になぜ?
行に入る前、姉に「山を歩くよ」と報告したら、「いいわねえ」だって。ハイキングでも行くと思ってたんじゃないかな。坊さんの血筋でもないし、キャリア組でもないのに仏さんの世界に入れてくれた。じゃあ何をやったらいいんだろう。ぼくみたいに出遅れた人は、捨て身で何かやんなきゃなんないんじゃないの?って思ったわけよ。
――修行中は無我の境地?
そんなことあらへんよ。阪神タイガースファンだからな。きょう勝ったかな、なんて思って歩いたことあるよ。こりゃ、仏さんに悪いことしたって、一生懸命ざんげして、拝んで。そんなことの繰り返しで。
――9日間の不眠不臥、断水断食の「堂入り」は過酷だとか。
4日目くらいから死斑が出てきて魚のくさったようなにおいがしてきて。死臭だな。やらないとわかんないもんだな。元の体に戻すには27日は養生せよと伝えられている。そうすれば後遺症もないし、細胞が改造されちゃうわけ。何事も元に戻すには3倍の時間がかかるんだな。
生死のふちを感じてみると、なんと尊いものをいただいているかと思うよ。だから簡単に命を殺すようなことを決してしてはいけないんだよな。
――堂入りまでが自分の行、それからが世のための行と。
いつの間にかそういう風な考えが生まれてくるだけのことで。仏様から知恵をいただくんですな。昔の人は葉っぱが落ちただけで悟りを開いたっていうじゃない。そりゃ、枯れりゃ落ちるじゃないのっていうことだけどさ。青く茂って時期が来たら葉が落ちる。来年になったら青く茂ってくる。それを見て、「ああ、生命っていうのは1回でおしまいじゃない、つながっているんだな」って気づいていく。こういうのが仏様からいただく「仏智(ぶっち)」なんだな。
――生きた智恵ですね。
勉強して知識ばかり増やすのでなくて、自分がこのくらいまでなら分かるな、と思ったら実践していけばいいのよ。実践すれば智恵が出てくる。智恵が出たら、こうしてみようとか、もう少し勉強しようとか思うでしょう。それを繰り返し繰り返し、だんだんだんだんとね。
――2度の千日回峰行を経てどんな変化がありましたか?
何もないんだよ。結局。みんなが思ってるような大変なもんじゃない。何も変わらず、今もずーっと毎日歩いてるしな。比叡山での回峰行というものでもって、大げさに評価されちゃってるんだよ。
戦後、荻窪の駅前でラーメン屋をやってたことあるんだ。今でも材料あったらチャッチャッチャって作っちゃうよ。同じだよ。朝起きて、仕込んで、材料買いに行って、お昼にお店開けて、夜中に店閉めて、寝て、6時ごろに仕込みして。くるくるくるくる…。もしここに屋台があったらラーメン屋のおやじだな。形は違うけどやってることは同じなんだよ。
――行は形じゃない、と。
みんなさ、背伸びしたくなるの、ねえ。自分の力以上のことを見せようと思って、ええかっこしようとするじゃない。だからちょっと足元すくわれただけでもスコーンといっちゃう。
無理しなくていいんだよ。無理っていうのは、自分にとって理に通らないようなこと。それならやんない方がいいんだな。ぼくなんか、それをはずしながら、肩すかししながらやってきたから長持ちしてんじゃないの。無理せず、ひがまず、焦らず、慌てず、水の流れのごとく生きる。溜まりに入ってもあわてることないよ。よどみも除々に解かれていくから。
――日々、悩み迷うことばかりです。
朝ここから草鞋履いて出て行くじゃない。帰ってくるとボロボロになっちゃうわけよ。翌日はまた新しい草鞋を履いて行く。(略)もし自分が草鞋だったら今日でおしまいじゃないの。そして、明日また新しく生まれ変わる。人間もそれと同じだなあって。(略)
生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。一日が一生、だってね。
今日失敗したからって、ヘナヘナすることない。落ち込むこともない。明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。だからこそ、今が一番大切だってことだね。今自分がやってることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないの。
(朝日新聞 08.2.4~8「人生の贈り物」より抜粋)
天台宗大阿闍梨 酒井雄哉(さかいゆうさい/81歳)
1926年大阪府生まれ。戦後、職を転々とし、65年比叡山で得度。80年と87年に千日回峰行を満行。千日回峰行を2度した行者は400年間で3人だけ。
――生き仏と言われる偉い行者様ですが・・
こないだ来た人、「本当に行をしたんですか?」なんて言うんだもん。「したことになってんですよねえ」なんてな。(略)
いつも言ってるんだよ。おれ死んだら葬式いらねえからって。ちょっと出かけて来ますわって、そういうのがええわな。
――比叡山山中を1日30km拝み歩いて700日。9日間の堂入り。60kmを100日。84kmの京都大回りを100日。山中30km100日で満行。挫折したら自害する決まりがあるほど厳しい行になぜ?
行に入る前、姉に「山を歩くよ」と報告したら、「いいわねえ」だって。ハイキングでも行くと思ってたんじゃないかな。坊さんの血筋でもないし、キャリア組でもないのに仏さんの世界に入れてくれた。じゃあ何をやったらいいんだろう。ぼくみたいに出遅れた人は、捨て身で何かやんなきゃなんないんじゃないの?って思ったわけよ。
――修行中は無我の境地?
そんなことあらへんよ。阪神タイガースファンだからな。きょう勝ったかな、なんて思って歩いたことあるよ。こりゃ、仏さんに悪いことしたって、一生懸命ざんげして、拝んで。そんなことの繰り返しで。
――9日間の不眠不臥、断水断食の「堂入り」は過酷だとか。
4日目くらいから死斑が出てきて魚のくさったようなにおいがしてきて。死臭だな。やらないとわかんないもんだな。元の体に戻すには27日は養生せよと伝えられている。そうすれば後遺症もないし、細胞が改造されちゃうわけ。何事も元に戻すには3倍の時間がかかるんだな。
生死のふちを感じてみると、なんと尊いものをいただいているかと思うよ。だから簡単に命を殺すようなことを決してしてはいけないんだよな。
――堂入りまでが自分の行、それからが世のための行と。
いつの間にかそういう風な考えが生まれてくるだけのことで。仏様から知恵をいただくんですな。昔の人は葉っぱが落ちただけで悟りを開いたっていうじゃない。そりゃ、枯れりゃ落ちるじゃないのっていうことだけどさ。青く茂って時期が来たら葉が落ちる。来年になったら青く茂ってくる。それを見て、「ああ、生命っていうのは1回でおしまいじゃない、つながっているんだな」って気づいていく。こういうのが仏様からいただく「仏智(ぶっち)」なんだな。
――生きた智恵ですね。
勉強して知識ばかり増やすのでなくて、自分がこのくらいまでなら分かるな、と思ったら実践していけばいいのよ。実践すれば智恵が出てくる。智恵が出たら、こうしてみようとか、もう少し勉強しようとか思うでしょう。それを繰り返し繰り返し、だんだんだんだんとね。
――2度の千日回峰行を経てどんな変化がありましたか?
何もないんだよ。結局。みんなが思ってるような大変なもんじゃない。何も変わらず、今もずーっと毎日歩いてるしな。比叡山での回峰行というものでもって、大げさに評価されちゃってるんだよ。
戦後、荻窪の駅前でラーメン屋をやってたことあるんだ。今でも材料あったらチャッチャッチャって作っちゃうよ。同じだよ。朝起きて、仕込んで、材料買いに行って、お昼にお店開けて、夜中に店閉めて、寝て、6時ごろに仕込みして。くるくるくるくる…。もしここに屋台があったらラーメン屋のおやじだな。形は違うけどやってることは同じなんだよ。
――行は形じゃない、と。
みんなさ、背伸びしたくなるの、ねえ。自分の力以上のことを見せようと思って、ええかっこしようとするじゃない。だからちょっと足元すくわれただけでもスコーンといっちゃう。
無理しなくていいんだよ。無理っていうのは、自分にとって理に通らないようなこと。それならやんない方がいいんだな。ぼくなんか、それをはずしながら、肩すかししながらやってきたから長持ちしてんじゃないの。無理せず、ひがまず、焦らず、慌てず、水の流れのごとく生きる。溜まりに入ってもあわてることないよ。よどみも除々に解かれていくから。
――日々、悩み迷うことばかりです。
朝ここから草鞋履いて出て行くじゃない。帰ってくるとボロボロになっちゃうわけよ。翌日はまた新しい草鞋を履いて行く。(略)もし自分が草鞋だったら今日でおしまいじゃないの。そして、明日また新しく生まれ変わる。人間もそれと同じだなあって。(略)
生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。一日が一生、だってね。
今日失敗したからって、ヘナヘナすることない。落ち込むこともない。明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。だからこそ、今が一番大切だってことだね。今自分がやってることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないの。
(朝日新聞 08.2.4~8「人生の贈り物」より抜粋)
