毎年、全国の約8万人に芝居の案内が送られる。差出人は「イッセー尾形・ら株式会社」。一人芝居で知られる俳優のイッセー尾形(56)と「ら」が共に仕事をするようになって10年以上になる。元不登校、フリーター、転職組など20~40代の10人あまり。みんなひっくるめて「ら」。コピーライターの糸井重里が名付けた。
「ら」はよくトラブルを起こす。劇場の人を怒らせ、客からもクレームがくる。
でもイッセーは言う。「『ら』は、僕の芝居のバックボーン。彼らは明日もやっていけるぞ、という気にしてくれるんだ。」
イッセーの舞台はすべて手作りだ。チケットの発送、受け付け、照明、舞台装置、撤収・・。1人が何役もこなして、「ら」が担う。
イッセーのデビュー以来演出を手がけてきた森田雄三(61)と清子(58)の東京都世田谷区の自宅兼オフィスに、「ら」は通ってくる。
大<だい>(30)は15年前に初めてオフィスに行った。森田の長男と中学の同級生。高校1年で学校に行かなくなり、オフィスに出入りするようになった。学校で先生にぶつけても答えてくれない質問に、雄三は何でも答えてくれた。雄三と話したくて、チケットの発送作業を手伝ううち、地方公演について行くようになった。
岩手県出身のポチオ(30)は21歳のとき、森田の長男と三浦海岸で知り合った。専門学校を卒業し、引っ越し屋や居酒屋で働いたが続かなかった。オフィスに遊びに行くと、木製のカレンダーを作るよう頼まれた。1~12月まですべて31日分作って、清子にあきれられた。「ひと月が何日あるかなんて考えたことなかった」
次男の同級生だった豪<ごう>(22)は父親が事業に失敗して離婚。高校に入ってすぐ学校をやめた。キャバクラ嬢を店に紹介して金をもらい、羽振りが良かった。オフィスに行って万札を見せびらかすと、雄三に言われた。「お前、行く所ないんだろ」。何となくオフィスで過ごす時間が増えた。
祐二(22)は豪の遊び友だち。パチンコで消費者金融に200万円借金したことを親に言えず、雄三と清子に相談した。清子は「ここで働いて返しなさい」。
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「ら」は最初、時給千円。働いた分を自己申告する。食事時間を入れるかどうかは本人次第。
雄三は「仕事をしてないのに働いているように見せつけるやつはダメだ」と言う。一人で仕事を抱えて忙しがる人はクビ。「みんなでやればいい」が口癖だ。
「ら」は何をやっても素人だ。大は地方公演で、舞台の作り方を知らないまま組み立て始め、頓挫。土下座して劇場の人にやってもらった。ポチオは公演時間を間違えて案内を発送した。イッセーが劇場入り口に立ち、「すみません」と一緒に頭を下げてくれた。
行く先々で「イッセー尾形のスタッフがその程度か」と言われ、客にまで「教育しろ」と怒られる。でも、イッセーは「ら」のやり方に口を出さない。
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イッセーが演じてきたのは、「社会のボーダーラインすれすれ」の人々だ。会社が倒産して港湾労働者になる社長、映画に感動する涙もろいヤクザ、道ばたでギターを弾く若者・・。効率を求め何ごとも人に長けることに汲々とする社会に水を差し、笑う。
そんなイッセーの芝居に、少しずつ「ら」のネタが増えてきた。
夕食時に起きてきてジャージー姿で家族の前で歌を歌う若者は、夜10時過ぎて「おはよう」とオフィスに来る豪がモデルだ。トンカツを食べながら後輩に仕事の愚痴をこぼす「トンカツ女」は、いつも「やっておいてって言ったでしょ」と怒るみいちゃん(41)
「彼らには人にとらわれない自然なやり方がある。それを押しつけず、突っ張りもしない。僕も自分なりに面白いと思う部分を、丁寧に積み上げていけばいい。そう、気付かされるんだよね」
ときどきオフィスから突然誰かがいなくなる。けんかも起きる。大と元フリーターのむらっちゃん(27)が口論になったときは、豪が仲裁に入った。仕事に煮詰まって飛び出した大を、ポチオが追っかけた。でも、みんな戻ってくる。
イッセーは言う。
「僕らは血縁でもプロの仕事の縁でもない。まだ名前のない縁が、きっとあるんだろうなぁ」
夜は雄三と清子と一緒に夕食を食べる。家に帰る人も、オフィスに泊まる人もいる。清子は「家族みたいで家族ではない」と言う。
「親代わりにはならない。時に厳しくも、手を貸す同僚であり、上司でいたい。他人だからこそ助ける意味があると思うから」
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5月6日。東京公演の幕が下りた。でも、だれもイッセーに「良かった」とは言わない。代わりに、「セリフを間違えかけて、のみ込んだでしょ」と声を掛ける。
イッセーにはそれがうれしい。
「自分が忘れている呼吸すら読んで、照明を消す。芝居をひしひしと感じて、僕以上に舞台を作ってくれる。それが彼らのやり方なんだよ」
東京公演は連日満席。6日間で約2400人が訪れた。盛況を祝う間もなく、「ら」は次の旅公演に向けて走り出した。
(朝日新聞「縁」より)