空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく

ニューマン・ルーム

2009-08-29 11:35:39 | art
お盆に帰省した際、千葉佐倉の川村美術館に行きました。
なかで印象に残ったのがココ。
『ニューマン・ルーム』

川村美術館の呼び物であるマーク・ロスコのシックな赤が照明を落とした中で迫ってくる部屋を抜けて階段を昇ると、さあーっと朝日のように明るくひらけてくるのが『ニューマン・ルーム』。赤は赤なのでわたしはてっきりロスコの続きだと思ってその陰と陽のギャップが面白いなと思っていたら、全く別人でした。

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バーネット・ニューマンは、第二次世界大戦後のアメリカの抽象表現主義を代表する画家です。マーク・ロスコと共にカラー・フィールド・ペインティングの様式を築き上げました。本作は、ニューマンが63才の時に手がけた作品です。制作の3年前に亡くなったニューマンの母の名にちなんで《アンナの光》と名付けられました。ニューマンが制作した絵画の中で最大のサイズを誇り、色の強度や輝度の点でも、これに勝る作品は他にありません。

通常、巨大な作品は少し離れた位置から鑑賞される傾向にありますが、ニューマンの大きな絵は近くで鑑賞することを、作家自身が意識していたと言われています。そのため、《アンナの光》は鑑賞者が作品から離れすぎず、適度な距離を保つよう設計された「ニューマン・ルーム」に展示されています。(美術館の解説より抜粋)

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ひと部屋に何枚も奥深い強烈な赤の絵が並び自らの内にダイブするようなロスコに浸り、よきにせよ重みを感じる身を運びながら階段を一歩一歩昇ると、予期せず視界に現れるこのニューマン・ルーム。深海から浮かび、柔らかい陽射しを受け、風を感じるような開放感を味わいました。空間全体の印象なんでしょうけど。この流れはウマイ。

川村美術館は外も緑がきれいでおすすめの美術館のひとつ。

川村美術館
http://kawamura-museum.dic.co.jp/index.html


紫雲台上の果報●勝尾寺

2009-08-25 16:22:54 | 法然上人二十五霊場
これもしばらく前になりますが
大阪の北方、箕面(みのう)にある勝尾寺というお寺に行きました。
西国三十三観音札所でもあります。

ここの二階堂というお堂が、浄土宗の開祖法然上人が讃岐よりの帰途、4年の間逗留なされた専修念仏の道場ということで、法然上人の二十五霊場のひとつに数えられています。

タイトルの『紫雲台上の果報』というのは、二十五霊場の案内に出てくる言葉で、写すと「上人はこの山居に御滞留あらせられ、朝な夕な柴の戸に去来する白雲を眺められては、やがて来る日の紫雲台上の果報を悦び給うた御心境こそ、拝察するさえ尊い極みである」うまくくだいて解説は出来ませんが、なんとなく意味としてはこのままでも通じるような気もします。

ここでどうやら中国の偉いお坊様、善導大師(隋の頃の僧。日本で言えば飛鳥時代)と夢の中でお会いになり、大師に仏教の大事な教えを残りなく伝えられた、らしいのです。そのおふたりの姿を後世の者のために壁板に残され、この二階堂の本尊はその壁板だとか。一心に念仏して拝んでいるとその御影を拝することが出来る、そうです。

昔の話には夢で~~があってというのがよくありますが
夢うつつの時は、どんな不思議があってもおかしくなく
起きている時以上のインパクトを与えられることがままあります。

わたしも実際そういうことがあったので、夢にて、という言い伝えのあるところはさぞや深い体験があったのでは、とけっこう気になります。

実際に行ってみると現在は団体バスもやってくるような、お寺で土産物屋をやっている?ような観光地化もされていましたが、一番高みにある二階堂はあまり人もやって来ず、遠く大阪の街を見遥かす、さぞかし往時は山深い場所だったろうと想像出来るところでした。

今のような観光気分のひとがおらず、ここで夜を過ごし、朝を迎え、嵐や雪の日も過ごしたであろうかという法然上人のお気持ちはいかばかりかと、とてもじゃない、推し量ることなどは出来るものでもありませんでしたが、ただ立ち去りがたくずいぶんしばらくそこで山の空気を味わっておりました。

ちなみにこのだるまは何かというと、勝尾寺、というだけあって今は勝運の寺として勝運祈願にだるまを置いてゆく習慣があるようです。緑の中に紅いだるま、だるま、だるま・・。それはそれでよく映えており・・。いろんな意味で今までに行ったことのないようなお寺でした。

勝尾寺
http://www.katsuo-ji-temple.or.jp/

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ソウソウ、きのうで『Planet』というおはなし30話が終わったのですが、その最終話のイメージはある意味<夢うつつ>で体験したことです・・。













神宿る柱

2009-08-21 10:55:13 | 神社
これも随分前、ゴールデンウィークになりますが
車を千葉から尼崎に移動するついで(?)に諏訪に寄りました。

前から行ってみたかったんですがやっぱりいいとこでした。
思ったより明るい。

でも、古くからの信仰が根づく独特さはやはりありました。

一番気に入ったのは諏訪大社前宮。
春宮、秋宮の後に寄ったそこは素朴な諏訪大社の起源を見るようで
なんとも気分のいい小高い土地に気持ちよくお祀りがされています。

有名な御柱が、なるほどこういう風に立てられるために
ああいう祭りがあるのだ、と一番わかりやすい。

前から読んでいただいている方はご存知でしょうが
わたしは近年、ものに宿る「気」のようなものを感じてしまう体質なので
この御柱がだてに立っているのではないことに
あらためてほんとに深い新鮮なオドロキと畏敬の念を抱きました。

単なる柱や樹ではありえないパワフルさです。
いわゆる科学的には切り倒して『木材』と化しているハズなのに、
この、生きている樹よりも何倍何十倍もの生命力をたたえている有様というのは
まさにカミサマが宿っている、としかいいようもありません。

社の四隅に建てられたこの御柱によって本殿は守られ、パワーアップし、
さらにこの社があることによってこの土地は守られている・・

山や樹や巨石に神様が宿るという昔からの日本人の感覚は
気休めでも気のせいでもなく、ほんとうのことでした。

特にこういった御柱となると、ひとの信仰の力も宿るのか・・
とにかくその神秘に敬服します。

こういうことを感じると、神社・仏閣の存在感はいきおいどうしても大きくなります。そして、そのことを感じて来たであろういにしえの人々への共感と尊敬も。

現在無関心なようなひとの中にもそれは脈々と流れる血のようなもので「信仰?そんなもんないよ」というひとも休みになると山へ海へ公園へ向かうのは、自然の中にあるそんな『力』に触れてフッカツしたいっていう無意識のなせるワザでしょうか?

なんにせよ、今もたくさん残るそんな聖地に恵まれる、日本列島よいところですね。

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ソウソウ、現在連載中のおはなし『Planet』、これは最初のひらめきからすると冒険活劇ものにはなりそこねたんですが、24日で終わります。読みにくいものがたりを読んでいただいた方、おつきあいいただきありがとうございました。











敗戦も誇らしげ

2009-08-12 12:01:28 | つれづれ
うちの人の母校が甲子園に初出場しました。
見てたらナカナカさわやかで、楽しげで、うれしくなりました。
ちなみに甲子園第1戦で当たったのもうちの人の出身地西条。
「どっち応援したらいいんや。こんなことあるんやね~」


「普通の県立」八千代東、惜敗 ~甲子園沸かせた、やり抜いた~
 
 夏の甲子園初日の8日、初の大舞台に臨んだ千葉代表の八千代東は、強豪の西条(愛媛)と1点を争う接戦の末、2-3で惜敗した。ノーシードから千葉大会を勝ち上がった「普通の県立高校」。甲子園で初めて宿泊遠征を経験した選手たちの、特別な、そして短い夏が終わった。
 この日、エースの村上浩一君(3年)は、再三走者を背負ったが、三塁手の飯田弘之君(3年)らの好守が何度もピンチを救った。飯田君は「楽しかった。気持ちよかった。」
 同校は千葉県八千代市にあり、野球部員は45人。ほぼ全員が同市か近隣に住む生徒たちだ。グラウンドはラグビー部やサッカー部などと共用で、平均4時間の練習では守備を中心に鍛えてきた。
 失策をしても好機を逸しても引きずらず、堅守を終盤の追い上げにつなげる試合運びで千葉大会を制した。優勝後に市長を表敬訪問した際は全員が自転車で市役所へ。途中で雨にあい、ずぶぬれで市長に甲子園初出場を報告した。
 チームは2日、大阪入り。これが初遠征で、全員一緒の食事も初めてだった。冗談と笑い声が絶えず、いびき一つが笑いのタネに。初戦が第1日に決まると「勝てば居続けられる」(高橋勝之君・3年)と意気込んだ。
 青石優太主将(3年)は「負けたのは悔しいけど、遠征最後の1日は楽しく過ごしたい」と甲子園を後にした。(朝日新聞09.8.9)

写真サンスポ・コムより

お骨仏●一心寺

2009-08-07 09:40:48 | 法然上人二十五霊場
関西にやって来て
連れ合いに、浄土宗の開祖法然上人の二十五霊場があることを教えてもらいました。

法然上人にゆかりのお寺を四国八十八ヶ所のように二十五カ所定めてあります。
ちょっと前になりますがなかでも近いところに行ってみました。
大阪市天王寺区逢坂
一心寺。
聖徳太子が建てた四天王寺のすぐそば。

ちなみに四天王寺は聖徳太子が七日間別時念仏を修せられた日本最初の念仏弘通(念仏を広める)の地ですが、そこの念仏堂も(現在の六時堂の場所にあった)法然上人が聖徳太子の頃の往時を慕われつつ念仏を修行なさったという二十五霊場のひとつです。

さて、一心寺。
ここは写真でもえっ?と思われるようなまるで美術館の入り口のような山門が迎えてくれます。とても賑わっているのにちょっとしたオドロキ。

というのも、ここが有名なのは、亡くなった人のお骨で仏像を造り、それが拝めるようになっているところ。江戸末期に始まった年中無休のお施餓鬼法要から遺骨が集まり続け、明治20年から造られるようになったお骨仏。10年ごとに納められた骨を集大成して造られる仏像はけっこう大きく立派なもので、すでに200万人のお骨が納められているとか。遺族は身内が仏として祀られ拝むことが出来るのでその思い入れは深いよう。

今は海から離れましたが、法然上人の昔は、西に広がる海と足下の葦原、その向こうに夕陽を拝んで日想観という行(ぎょう)をなさったそう。現在ビルが立ち並び通天閣を望むこの地もたしかに地形を見ると坂の上で、夕陽が海に沈む様を見晴らしたという風景を想像すると何とも言えない気持ちになります。

法然上人の頃の草庵と、今のこのにぎわいとが
不思議に交錯する独特の場に思えました。

法然上人のゆかりの地は
関西にいる間にぜひ廻ってみたいと思っていますので
ポツポツとご紹介できれば。

一心寺
http://www.isshinji.or.jp/




ロボットのお米屋さん

2009-08-03 13:35:05 | つれづれ
関東→関西拠点移動、&人生の大移動、からだの曲がり角、等々
いつになくいっぺんに重なりました。
ここのとこはからだがついてくるのをしばらくの間待っていました。

ようやくの向こう岸に、灯台のようにボチボチと、フツフツと灯る、
ほのかながらたしかな生命力を感じ出しています。

思えば去年の夏前から絶不調のオンパレード。
にもかかわらず、人生のシフトになだれこみ
よくもまあ、わがからだながらここまで運んでくれました。

ときにはこころより
ありがとうと
じぶんの乗り込む舟(からだ)をいたわり、手を合わせるのも大切ですね。

すっかり忘れていた。
まるで当たり前のように酷使して
感謝どころか、不調を嘆くなんて、
なんてバチあたりな。

乗り手に感謝されないで、この舟はこの世界のどこの誰に感謝されるというのでしょう。
わるかった。ゴメンナサイ。(笑)

どこも痛くないということはミラクルです。
ふたつの足で立ち、燦々と降りそそぐ夏の陽射しに汗を落とすのは奇跡。
今年も夏に出会えました。

通りすがりに思わず車を止めた米屋のロボット君。