空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく

聖徳太子の頃から生きている大杉

2008-12-25 15:07:49 | 感動*好きなもの
地元ではよく行く千葉県成田市台方の麻賀多神社の大杉です。

聖徳太子の時代からここにこうしている、という
東日本一の大杉です。

ここ、麻賀多神社には、日本武尊が東征の折り
実り薄いこの地で杉の木に鏡を祀り七つの玉を埋め
五穀豊穣を祈ったところ、豊かになり
それを後にこのあたりを司った印波国造のイツコリノミコトが
夢のお告げで掘り出してあらたに祀った、という伝えがあります。

ここの境内社『天之日津久神社』で
昭和19年、岡本天明というひとに神が降りて書かれた
『日月神示』でも知られています。

わたしが好きなのはここのお社の脇にそびえるこの大杉。
縄文杉のような迫力。神々しいばかりの。

千葉のこのあたりは昔、大きな海でした。
そんな昔を想像するのが大好きです。
すると、あとからつけられた番地などの
窮屈なしばりから解き放たれて
ただ、素朴な大地と海と空と森があった頃へ
こころを馳せることができます。

あぶくのように生まれては消えゆくひとびとも
おおきな流れのほんの一瞬のひと粒であることに想いが至される。
同じ夕陽を見て
同じ雲の流れを
同じように目で追ったかぞえきれぬひとびと。

この大杉は聖徳太子が生きていた頃から
ただただただただここに、立ち続けてる。

麻賀多神社
http://www.genbu.net/data/simofusa/makata_title.htm

メリー ハート金魚!

2008-12-23 17:24:22 | 動物
 ◯…長岡市の養鯉業者の池でこのほど、ハート模様の金魚が見つかった。かつて一見不気味な人面魚が全国各地で話題になったことがあるが、こちらの「愛」のかわいい金魚は、見る人の気持ちを和やかにしている。
 ◯…これは同市摂田屋4の養鯉業、岸正浩さん(38)が育てた「玉さば」という種類の金魚。尾ひれが大きいのが特徴で全長25cmにもなるが、5月に卵からかえった全長4cm弱の稚魚だ。池の1万匹の稚魚を半分に選別する際、気付いた。
 ○…金魚は水槽に入れて観察することから横の模様の良しあしで選別するため、この背中に「ハート型」がある金魚は通常なら選外で処分も。ところが「愛」の模様で命拾い。孫を喜ばせたいという知人の男性に贈られることになった。岸さんは「このハートの赤は大きくなったらもっときれいになるよ」と運にも恵まれた金魚に目を細めた。(新潟日報 08.11.20)

獅子ゆず

2008-12-19 13:38:10 | つれづれ
ご覧ください!
手とくらべるとわかっていただけるでしょうか?

『ゆず』です。
獅子頭みたいにごつごつして大きいから『獅子ゆず』
だそうです。

重いんですよ。木はそんな大木じゃないっていうから
支えるの大変でしょうね。

味は小さいゆずとおなじで
ゆずと同量の砂糖で煮て乾燥させれば
でっかいドライフルーツに。

もらったおうちで試食させていただきましたが
ゆずの味がちゃんとしてくせになりそうでした。

わたしは精製してない色つきの自然砂糖でつくってみようかな。

茨城のこのおうちのそばには、孝霊天皇(前288)の頃に建った
とても古いよい神社、こうもう神社もあります。
昔は鹿嶋神宮と同じくらいの格だったそうな。
今は地元の氏神様って感じですが。

昔からの行事や風習なんかも残ってたりして
いろいろお話を聞くのがいつも楽しみです。

こうもう神社
http://toneponpokou.tanuki-bayashi.com/koumoujinjya/index.html

ムラサキツバメ

2008-12-11 14:10:52 | 動物
《ムラサキツバメ温暖化で北上か》
*千葉・習志野で荒井弘さん撮影(翅を広げて休むムラサキつばめ)

 シジミチョウの仲間「ムラサキツバメ」が習志野市の香澄公園で集団越冬している姿を、テレビフリーカメラマンの荒井弘さん(66)が撮影した。枯れ葉が樹木の葉や枝に引っかかっているかのようにみえる。暖かい陽の光がそそぐと飛び立ち、時には葉に止まって翅(つばさ)を広げ日光浴。黒く縁取られた美しい紫色の輝きを見せつける。
 翅(つばさ)を広げた大きさ(開張)は4センチ弱。ムラサキシジミと似ているが一回り大きく、翅(つばさ)の後ろに燕尾服のような突起が一対あり、集団越冬するのが特徴だ。
 以前は、暖かい西日本に生息する、姿をみることが難しいチョウとされていたが、2000年辺りから関東地方でも目撃されるようになった。
 温暖化などの影響だが、幼虫のエサになるマテバシイが街路樹や公園の樹木として広く植えられるようになったことも要因とされる。
 荒井さんは「この公園に集団越冬するチョウがいると聞いて探してみつけた。20~30匹の数で止まっていた。よく見ないと枯れ葉にしか見えなかった」と話している。(朝日新聞 08.12.10)

西の魔女が死んだ

2008-12-07 18:35:52 | 映画
今日はただ券をもらったので
映画『西の魔女が死んだ』を観て来ました。

期待に違わず素晴らしい映画でした。

サチ・パーカーの、たたずみ、微笑むだけで
すべて包み込む姿に打たれました。
孫娘が「おばあちゃん大好き!」と言うと必ず
「I know.」と答える。その独特の存在感。
深くてひろいたっぷりの愛に打たれました。

ここにはなんの奇跡も魔法もないのに
ひとは存在することが奇跡なのだ
と思わせる切なさとぬくもりがつまっている。

西の魔女、“おばあちゃん”は
言葉にすることが出来ないものをいさぎよく飲み込んで
さりげなく、ていねいに、溢れんばかりに愛を伝えようとしました。
時にやさしく。時に可笑しく。時に厳しく。

孫が“死”をこわがった時
「死んだらどうなるの?」
と聞かれて
「わかりません。実はまだ死んだことがないんです。」
というところは最高のセリフでした。

それでも怖がる孫を抱き寄せて
自分の信じる話をする。
たとえ自分に何もできなくともそこで踏んばり、寄り添う。
「わからないけど、信じる話をするわ。魂はからだがなくなると自由になるの。」
「だったらからだなんてなくもいいじゃない。」
「魂は成長することを望むの。体験することはとても大事。それにからだがあって冬のひだまりでひなたぼっこできるのはしあわせじゃない?夏の木陰で涼むのはしあわせじゃない?」
「おばあちゃんが死んだら、魂が生きていて自由になったことをきっとまい(孫)に知らせます。」
(この知らせ方は、想像以上によかった)

“西の魔女”の哀しみを抱えられる強さ
そして脆さへの正直さ
チャーミングな、人生を楽しむ心
などを見ていると

強さっていうのは相手へのやさしさがあって
さらに地に足のついたものになるんだな、
それがなければただの遠吠え。
信念は押し付けるものではなくて
相手へのやさしさがあってはじめて生きる。
それがなければひとりずもう。

そんなことを思わされた。

おばあちゃんが“伝わらない”ときに
抱え切れないような自分の哀しみと
孫娘への愛を抱えて立ち尽くすところ
また、信念を持って生きてきたひとが
自分にはどうしようもないという哀しみを
そっと引く手で表現するところ
うまくいっているときよりも胸に響くものがありました。

サチ・パーカーで抜きん出て秀逸な映画になりました。(泣)

西の魔女が死んだ
http://nishimajo.com/top.html

いのちの作法

2008-12-02 13:48:02 | こころに残るはなし
沢内『生命行政』を継ぐ者たち
~地に足つけて語る希望~
11/29から東京・ポレポレ中野で上映。横浜、川崎でも。

 暗い話ばかりの近ごろ、これはしっかりとした希望を地に足のついた着実な態度で語る明るい映画である。 
 もう半世紀近い以前に日本で最初の老人医療費の無料化や乳児死亡率ゼロを達成して福祉行政のお手本になった岩手県の沢内村(現、西和賀町)が、いまどんなにその成果を発展させているか。
 かつて村長の強い希望で進められた政策が、いまでは町の人たちの自発的な活動となって多様な実りをもたらしている。
 たとえば知的障害者たちの施設では、休耕田を借りて彼らなりの米づくりをやっている。ここだけでなく知的障害のある人たちを仲間に入れた活動がしばしば出てくるが、彼らの仕合わせそうな表情がとてもいい。
 ある集落では、首都圏の養護施設から家庭で厳しい状況におかれていた子どもたちを迎えて、近くの素晴らしい自然で数日遊ばせて集落ぐるみで温かく見守る。別れるとき「人にありがとうとごめんを言うことが大事だ」と言ってあげる場面などに、真情あふるるものがあって感動的だ。
 そして老人を大事にすること。特別仕立ての雪橇(ゆきぞり)で老人たちに雪見してもらう計画がたてられる。ところがこの年は異例の雪のなさ。人々は雪を運んできて大通りに敷く。そのにぎやかなさわぎ。
 一貫して見られるのは昔からの村の共同体の助け合いの伝統が福祉という形式に鮮やかに受け継がれて新しい工夫が重ねられていることである。小池征人監督は描く相手の人柄が自然に画面に出るような撮り方でかずかずの秀作を作ってきた記録映画作家であるが、その資質が最もよく生かされた作品だと思う。風景もいいが人が素晴らしい。(佐藤忠男・映画評論家/朝日新聞)

いのちの作法
http://nishiwaga-film.main.jp/