マヤンオラクルをご存じですか?
《マヤンオラクル(マヤの神託)とは》
マヤンオラクルは1992年に
アメリカで出版されたものです。
1987年にアリエール・スピルスバリーという人とマイケル・ブレナー(マヤンオラクル共著者)という人がある集まりに出ます。その日の夕方、マイケルは瞑想で古代の神話の神々の顔を見ました。翌日見えない手に導かれるようにマイケルは書棚で古代マヤ文明研究の第一人者ホゼ・アグエイアスの著書『マヤンファクター』を手にします。その表紙にはマヤの暦ツォルキンの神のモチーフが描かれており、マイケルは衝撃を覚えます。数週間後の秋分の期間の最中、マイケルは夢を見ます。精霊がこう告げます。「あなたは『マヤンオラクル』のプロジェクトの父なる種子となるべき者である」2月の10日間にわたってこの本のメッセージの部分が瞑想を通してアリエールのもとに届けられました。 アリエールとマイケルはマヤンオラクルを形にする出版社を探さなくてはと考えました。ある日の早朝3時、眠っていたアリエールは3日後にマイケルとユカタン(メキシコ)に行くのだと何者かに知らされるという夢を見ます。同時刻、マイケルもアリエールとユカタンへ行くことを夢で知らされて目をさまします。しかし、旅費がありません。するとある友人が電話をかけてきて唐突にこういいます。「何か必要なものがあるんじゃないか?それを教えてほしい。」アリエールはすかさず「ユカタンまでの旅費がいる。」と答えます。友人はなんのためらいもなくその旅費をアリエールに渡し、ユカタンに行けることになります。ユカタンのマヤの遺跡でたまたま隣に座った女性と話すうちにその女性がマヤンオラクルの企画を持ち込もうと考えていた出版者のオーナーであることがわかります。そしてその女性バーバラのマヤンオラクルを出して、お互いの使命を確認し、マヤンオラクルは出版されました。そういった生まれ方をしています。
この本を開くたびにいつも新しい感覚があります。
その時によって、受け取り方が進んでいると深く入ってきます。
最近ではこんな言葉が印象に残りました。
『人が惜しみなく差し出すものを素直に受け取るようにしたほうがいいでしょう。愛は循環すべきものです。無条件で与え、無条件で受け取るのです。受け取ったらまた、自己の深い湧水にカップを浸し、甘露の水を汲んだら、何のひきかえもなく無条件に与えるのです。愛の循環の中に置かれている自分を信頼してください。』
『本物の信頼とは、瞬間瞬間、何ひとつ保証がなくても選択しつづけることです。』
『信じるとは、ぼんやり待っていることではなく、やみくもに動き回ることではありません。周りでどんなことが起こっても前向きに行動してゆくことです。』
『愛は与えられるものでも取られるものでもなく、見いだされ、受け入れられるものです。』
『愛は空から降ってくるものでも、つかむものでも、また、与えるものでもありません。発見され許されるものです。愛のない人など存在していません。愛は全宇宙をまとめて維持する力です。愛を表現するだけであなたは新しい神話に住むことができ、宇宙へ還る波に乗る支度ができるのです。』
『あなたがほんもののあなたとしてあらわれるときに限り、真の仲間たちは引き寄せられ集まってきます。あなたが他人にうまく「合わせよう」とする癖を持っていたり、育った環境を基準にしたものの考え方に固執するあまり、ほんとうの自分でない自分を演じているとしたら運命の仲間たちはどのようにしてあなたを識別したらいいのでしょうか?』
『強いネガティブな感情は、心の奥に隠されている傷跡や未熟な人生経験のせいで生じていることがよくあります。あなたが選択できるという立場にあることを忘れないでください。いまだにひきずる過去の思い出や心の傷があるとすれば、ヒーリングが必要です。過去のことは批難するべきではありませんし、あのとき犠牲になったのだと感じる必要もありません。』
『ところで混乱や心配事を「なんとかして解決してみせる」という気構えはもう古いやり方だということをご存じですか?エブ(マヤンオラクルでいう20あるエネルギーのタイプのうちのひとつ)と歩き始めると、いままで当然だと思っていた習慣や常識、考え方がくつがえされてきます。』
『魔法が使えるのは磨き抜かれた心だけ。』
『ライオンのうなり声はよく聞こえても、ひそやかで貴重な自分の内なるささやきの声に気がつかないことはよくあります。恐れること、自己を疑うこと、この二つを癒しきって自分を解き放ちます。内からの導きは限りなく澄んだものです。これをあなたは見逃さず受け取ることができるのだと信じてしまうのです。』
『今までは何もかも判断して片づけようとしていましたが、このあたりで「判断」を進化させ統合して「識別」に変換しませんか?自分や他人を判断するのではなく、識別にとどめるのです。判断は分離を発生させる原因なのです。たとえば誰かが変わった行動をとると、自分のカテゴリーの中で「関係ないもの、別なもの」として区別してしまいます。その人は「判断」によって「分離」していきます。判断という行為は、エゴ、つまり自分の立場の権威や安全をおびやかすものから自分を守るときにだけなされるものだということをわかってください。判断することは、エゴがずっと大事にしてきた現実を否定しなければならないときにあらわれる、おせっかいな助っ人です。考えたくないこと、避けて通りたいことを締め出してしまうことで自分の支配を保とうとするのです。エゴは安全な定義の中で優位に立ったつもりになって「わたしはそんなことはない、しない」と他を見下し、否定します。そして、その制限つきの定義の中でしっかり安心しているのです。何でも受け入れる包容力こそ、癒しと進化の力。愛のない判断など、いまのあなたには「役に立たなくなった道具」にすぎないのです。判断に左右されないエッセンスセルフの存在をいま、こうしてつかんだあなたは、すべてを許し、解放させる力を持っているのです。』
『物事は順に起こるものでしょうか?無理なことはほんとうに無理なのでしょうか?常識、あきらめ、遠慮などといった抑圧からも離れてみませんか?いままではあなたのエゴが筋を通そうとしていたのですが、これからは願望していたものが、すぐにあらわれるようになるのです。これは共鳴によるエネルギーの賜物です。そうなるためには願望が達成しているビジョンをありありと描くことです。このコツに気づくことで、滞っている現状を超越する出来事が起こります。』
『ほんとうの運命がうまく作動するように自分をオープンにすることです。』