虎太郎君が「音当てやろう」というので「いいよ」と言って「じゃあドの音だすね」と言うと「そのまま押して」と言う。
「ポーン」とピアノの鍵盤を叩く。
「ソ」
「正解。じゃあポーン」と少し離れた場所の鍵盤を叩く。
「レ」
「正解。すごいじゃん」
何度試しても言い当てる。
これが絶対音感というものだと感じた。
音叉を持ち出した。
音叉を叩いて音を出し、共振するところに当てると音が大きくなる。
「これは?」と聞くと「ラ?」と答えた。
まちがいなく、これは440ヘルツの「ラ」の音なのだ。
彼を自宅に送る途中で話をした。
「どうして音の高さが分かるの?」と聞くと
「分らない」と答えた。
「じゃあ皆の方が音の高さが分からないことが分からない?」と聞くと
「うん」と言う。
彼は音の高さが基準の音を聞かなくても、ごく普通に分かるから、それが当たり前だと思っている。
私は「へぇー」と言うしかなかった。
彼は自分の持っている能力より音叉の振動に共振して大きな音になる方に興味があり音叉を頭で叩いてから車のいたるところに当てて共鳴を楽しんでいた。
「この感覚最近どこかで感じたぞ」と記憶をたどった。
ある人物が日産のJという車のデザインはいけませんねと言ったのだ。
私は「J。 かっこいいじゃないですか」と言ったが頭を横に振るばかりだった。
「ムラーノはどうですか?」と聞くと「あれはいいですね」と言う。
彼の知り合いのデザイン関係者も「Jは良くない」と言うらしい。
それを思い出した。
デザインにも絶対音感のような感覚があって分かる人と分からない人があるのかなと思った。
私には絶対音感がない。
でもそれで困ったことは一度もない。
もちろんデザインでも。
「ポーン」とピアノの鍵盤を叩く。
「ソ」
「正解。じゃあポーン」と少し離れた場所の鍵盤を叩く。
「レ」
「正解。すごいじゃん」
何度試しても言い当てる。
これが絶対音感というものだと感じた。
音叉を持ち出した。
音叉を叩いて音を出し、共振するところに当てると音が大きくなる。
「これは?」と聞くと「ラ?」と答えた。
まちがいなく、これは440ヘルツの「ラ」の音なのだ。
彼を自宅に送る途中で話をした。
「どうして音の高さが分かるの?」と聞くと
「分らない」と答えた。
「じゃあ皆の方が音の高さが分からないことが分からない?」と聞くと
「うん」と言う。
彼は音の高さが基準の音を聞かなくても、ごく普通に分かるから、それが当たり前だと思っている。
私は「へぇー」と言うしかなかった。
彼は自分の持っている能力より音叉の振動に共振して大きな音になる方に興味があり音叉を頭で叩いてから車のいたるところに当てて共鳴を楽しんでいた。
「この感覚最近どこかで感じたぞ」と記憶をたどった。
ある人物が日産のJという車のデザインはいけませんねと言ったのだ。
私は「J。 かっこいいじゃないですか」と言ったが頭を横に振るばかりだった。
「ムラーノはどうですか?」と聞くと「あれはいいですね」と言う。
彼の知り合いのデザイン関係者も「Jは良くない」と言うらしい。
それを思い出した。
デザインにも絶対音感のような感覚があって分かる人と分からない人があるのかなと思った。
私には絶対音感がない。
でもそれで困ったことは一度もない。
もちろんデザインでも。