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家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

日帰り 中伊豆 モーガン

2009-04-14 10:34:07 | Weblog
中伊豆にある温泉宿まで日帰りで行ってきた。

ETCなら1000円で走れるようになって初めてだ。

午前7時半に高速道路に入った。

袖師・ 清見寺・ 興津とトンネルが3本続く最初のトンネル。

私は追い越し車線を走っていた。

前から順にハザードランプを点滅させて止まり始めた。

走行車線側はスムーズに流れている。

私もハザードを出して止めた。

後ろを見ると、やはりハザードを出して減速していることを確認した。

すると「バーン」という、とてつもなく大きな音がした。

私の後2台目の車が追突されたのだ。

車が動き出したが前に障害らしきものは一切発見できなかった。

一体何の渋滞だったのか見当もつかない。

裾野インターで待ち合わせのジャガーO氏と落ち合った。

O氏の案内で渋滞の無い田舎道を走った。

農道からゴルフ場に続く山道を、そして別荘地の中を軽快に2台の英国車が走りぬける。

O氏のジャガーが巻き起こすサクラの花びらの吹雪の中を私のモーガンが突き抜けた。

軽い上り道一瞬ズズッとエンジンが吹けなかった。

一過性の虚血性脳貧血とでもいう感覚だろうか。

あまり気にもせずにジャガーを追いかけた。

だが、その貧血が頻繁に起こるようになってきた。

また貧血が長引くため坂道がうまく登れないこともあった。

それでも、その後にはちゃんと走る。

伊豆スカイラインに入った直後とうとうエンジンがブスブスと言い始めて止まってしまった。

上り坂の、しかも分岐点に近いところでのエンジンストールに日ごろノンビリ暮らしている私は久しぶりにうろたえた。

しかたなくその場に止めて追突を警戒しながらメカニックに電話を入れた。

やはり原因を探さなくては対処できない。

困った困った。

しばらくして試しにエンジンをかけたら「かかった」。

大急ぎで駐車場まで走ろうと思った。

だがエンジンは全く正常状態に戻っている。

そのままビクビクしながらも、とうとう走りきった。

中伊豆の温泉宿では楽しく語り合った。

私だけ日帰りであった。

風呂に入った後皆はビールで喉を潤しウィスキーを煽る。

缶を開ける音、ほとばしる泡、ウィスキーの良い香り。

意を決するのに躊躇は要らなかった。

「アルコールを摂取できない辛さに耐えていてはいけない」と自身に自信を持たせた。

「帰ります」と告げて宿を後にした。

4時15分に出発して修善寺の渋滞、三島の渋滞、沼津の渋滞を越えて東名高速に入った。

菊川 ― 袋井間事故12キロメートル渋滞 の表示が出ていた。

走っても走っても、その表示は無くならないし渋滞の距離が縮まることも無かった。

結局菊川インターで下りた。

山側のバイパスに向かう皆に対して私は海側に進路をとった。

田んぼ道を高速で走り時には東名高速を走るノロノロ運転の車を下道で追い越して走った。

7時30分無事帰宅した。

事故をすり抜け エンジン不調から脱し 渋滞を我慢し あぜ道の草を揺らし、いろいろあった一日をモーガンで充分に楽しんだ。

道路補修

2009-04-10 08:39:58 | Weblog
午後1時過ぎ市役所に電話した。

そのまま区役所の担当課に転送してくれた。

「まちづくり課」が出た。

我が家の横の道路の舗装に一部分穴が空き中から砕石が出てきて危険だと伝えた。

2時半頃今度は区役所から電話が来た。

角に位置する我が家のどちら側なのか、という質問があった。

ちょうど外にいたので現場まで行き詳しい位置や穴の大きさ、深さなどを伝えた。

その後外出して5時半に帰宅した。

道路は既に補修されてあった。

早くても明日以降だと思っていたので穴の空いた状態の写真は撮らず仕舞いだ。

早い区の対応に満足し感謝している。

モーガントランク

2009-04-09 08:47:57 | Weblog
モーガンのトランクを替えた。

今回も日本軍で使用されていた物だ。

木と革とを組み合わせた雰囲気がとても気に入っているしトランクを載せるためのスペースにピッタリな大きさなのだ。

ほとんど修理する箇所はなかったが、錠が壊れていたのでボンネットベルトで代用することにした。

今までの物より若干大きくなったので便利になった。

走行中に落とさないようにビスで固定した。

ちなみに、このトランクの持ち主の名刺が残されていた。

名刺は時代を感じる物ではあるが判読は容易である。

ネットで検索してみた。

陸軍中佐としてフィリピンの陸軍病院に勤務していたらしい。

このトランクは、いろいろなものを見てきているなと感じた。


金澤英明トリオを聴いた

2009-04-08 08:42:01 | Weblog
雪月花で金澤英明トリオを聴いた。

初めに金澤さんからドラムス石若駿が1992年生まれだと紹介があった。

まだ若干17歳。

この一言で私の耳はドラムスの音に注意を注ぐようになった。

だがその意識を途中で止めた。

「年齢なんか関係ない」と気付いたと言ってもいい。

熟年ベーシスト 青年ピアニスト 少年ドラマー が音楽をやるってだけだ。

3人がそれぞれバラバラに演奏しているようで、ある瞬間「ピタッ」と合う。

それが謎のように思えた。

拍数を数えているようでもないし、だいいちソロ演奏がどの程度続くかも分からないようだし。

また目を瞑って演奏したりしているから合図を見ているわけでもない。

謎は最後まで謎のままだった。

ピアノとベースが同じ旋律を引きドラムスがそれと同じリズムを刻む。

すると、とても良い感じに充たされる。

「単純なサウンドが心地良いなぁ」となる。

だがやがて次々に混沌の世界に入り込み私の頭の中が「ワー」となってきた頃を見計らって元のメロディーに戻される。

やはり彼らの意図して引き起こす心地良さに辿りつくのだ。

聴衆は、まんまとトリオに手玉に取られているわけだ。

乗せられに来ているのだから、それが最高の喜びというものだが。

少年の叩くドラムスは、激しくもあり、それがしつこくも感じた。

若さというより演奏家自身の性質(たち)によるのだろうと思う。

ドラムスが雨を降らせたり嵐を起こしたりして状況を作り出しピアノがあれやこれやの言葉で説明してくれる。

ピアノがいくら歯切れよく、たくさん喋ろうと最後は爺さんの「おれの言うことを聴け」とゆっくりと、どすの利いた声での喋りが彼らを圧倒する。

金澤氏のベースはどっしりとした「この家の主(あるじ)的」とでもいうような音であったのだ。

弓を使った長い言葉も、はたまた指先で弾かれ、はかなく消えゆく短い言葉も長く生きてきた重みがあった。

この爺さん、エネルギーに満ち、そのうえ弦の上を両手の指が飛び回るほど軽やかな身体能力も併せ持つのだ。

このとんでもない爺さんにサインしてもらった。

4/16発売予定の最新アルバムの何と「チラシ」に。

CDを買ったわけでもないのに快くスラスラと書いてくれた。

ハシゴを軒下に

2009-04-07 08:46:43 | Weblog
この二月に工務店を廃業する知り合いから木のハシゴをいただいてあった。

このハシゴは彼が大工になったときの自分用のものであり大工になって初めての作品でもある。

貴重な物をいただいたものだ。

私はこれを軒下に掛けて田舎の家の雰囲気作りに役立てようと考えていた。

当然まだ使うことのできる物ではあるがアルミのハシゴも同時にいただいていたので実用には、そちらを使う。

さて軒下に掛ける前に柿渋を塗って虫食いや腐りを防ぐ。

刷毛では、まだるっこいのでエアーで吹きつけた。

例によって臭い臭い。

幸い良い天気で気温も高いので乾きも早かった。

午後いよいよ軒先に掛けた。

外壁にヒートンを打ち、そこにヒモで吊るした。

なかなか良い雰囲気になったと思う。

道路に出て見てみた。

ハシゴだけでなく別の軒下には竹も置いてあるのが分かる。

「よしよし」と独りごちた。

姪の家族を春野に

2009-04-05 08:11:21 | Weblog
姪の家族を春野に招いた。

シチリンで火を起こすが、やはり火には多大なる興味を示す。

姪夫婦だってシチリンに火を起こしたことはない。

もっと もっと もーっと 燃してみたくなる。

火は恐い。

だが魅力的だ。

さて腹具合がよくなると男の子たちは棒を拾って戦いゲームを始める。

大人は「止めなさい」を言い始める。

タラの芽を採って、ついでに付近の散策に出た。

3歳の子は無理なので、お母さんと「バーバ」と呼ばれる妻と一緒に引き返した。

男3人で昨日開通させた岩場まで行った。

家の中に戻ってティータイム。

お菓子の取り合いをする姿は可愛いがやかましい。

子供というのはしつこいし、欲むき出しだ。

雨がパラパラ降り始めて解散した。

車を見送りして5分も経たないうちに姪からメールが来た。

「今二人とも眠りました」と。


岩場まで

2009-04-04 08:30:20 | Weblog
春野の我が家の敷地の中に気田川に接している所がある。

そこをきれいにしていたのだが対岸から見てみたら少し上流に上ると岩場があることが分かった。

そこまで河川敷をきれいにして通路を造ってしまおうと考えた。

岩場での気田川の清流を味わいたいと思ったのだ。

思いはあっても現実はきびしいものだった。

初めはススキだから刈払い機で簡単に切り倒せた。

だがその先は竹林だ。

切り倒しては倒れた竹を運んで片付ける。

その繰り返しを気が遠くなるほどやった。

途中で竹にツルが絡み付く場所があり「厄介にもほどがある」と感じた。

私が汗と誇りにまみれている中でウグイスは気持ち良さそうに鳴いている。

「ホー 保険証。 ホー 保険治療」

「ん?なんだその鳴き方は」と大声を出してみた。

だが構わず、同じように鳴き続ける。

午前を終了するとき竹林の向こう側に岩らしき物を見つけた。

昼食を急いで済ませて刈払い機にガソリンを補充して現場に急いだ。

またまたツルと竹との闘いだ。

保険が好きなウグイスは、うしろで鳴いている。

ということは結構前に進んだということだ。

「おっ、やったー。岩場だ」

岩場は対岸で見たよりも実際には汚れていた。

漂流物が堆積しているしペットボトルやら空き缶が散らばっている。

岩をいくつか乗り越えて水際まで行ってみた。

先に来たものの足跡があった。

鹿だった。

鹿しか入らなかった神聖な場所に私も入りこんだ。

「これからは私も来ますからよろしくね」と言っても許しが出るわけはないことは知っている。

トイレの手すり 横方向

2009-04-02 08:54:39 | Weblog
トイレの手すりを1本増やした。

秋には老人を呼ぶ予定でいるし子供も来てくれる予定がある。

去年付けた手すりは上下に長い形で取り付けた。

これだと便座から立ち上がるのに楽だ。

こんどは水平方向に長く取り付けた。

この手すりを持ってトイレに出入りしてもらう。

スリッパやカーペットがひっかかっても転ばないようにと思った。

この手すりにした木は私が切り落としてしまったモミジだ。

BS放送が映らなくなってしまったときにアンテナの前にあったので問答無用で切った。

あとで近所の爺さんに「ああっ!!あそこ切っちゃったかね?」と言われてやっと、ことの重大さに気がついたのだ。

モミジの樹形がまるでブザマになってしまっていた。

でも今度は手すりとして役立ってくれるし毎回触って感謝できる。

と都合よく解釈しておこう。

猫のマンション

2009-04-01 08:39:42 | Weblog
二階建てだった猫の家を4階建ての猫マンションにしようと思った。

4匹いるから1匹につきワンフロアーとは贅沢な。

丸ノコの「ギュワーン」という音、電ドルで錆びたビスを外す時の「ギャギャギー」という音、ビスが折れてしまったのでハンマーで叩き外す「パカンパカン」という音。

猫たちは、この喧騒に堪らず家の中に逃げ込み高い所に登って様子を見守っていた。

二階建てを取り壊ししていくと腐っている部分があり、それらを取り除くと、とても4階建てにはならなかった。

3階建てでも3階部分の床面積は半分しかなくなってしまった。

でも今までと比べると屋根が付き階数も増えたのだから「良し」としてもらう。

骨組みだけ完成させ、あとの内装は姉に任せた。

じーっと作業を見守っていた猫たちだったが道具や木っ端を車に積んでいるうちに新居の様子を見に来ていた。

匂いをかいだり歩いて感触を確かめたり。

まるで自宅を建てたときの大工さんの帰った後の自分のようだった。