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言の葉収集

思ったこと、感じたこと、出逢ったこと
いろいろ気ままに書きたいと思っています。

明日語

2008-01-24 20:54:48 | 言の葉
昨日紹介した本の続きになるが、こんないい事も書いてあった。

「明日語」

「明日、こうなればいいな」
「明日、こうしようよ」
「明日、こうするんだ」

明るくて前向きな人が頻繁に使う言葉だそうだ。
反対に、暗くて後ろ向きの人は「昨日、こうしたかったんだけど、こうなってしまった」という風に「昨日語」を使って失敗を引きずっているという。

「明日語」には「期待」と「希望」があり、「昨日語」は「後悔」と「愚痴」で出来ている。
つまり「明日語」を話す人が成功する。そして周りの人をも幸せにしてしまうのだ。

本当だ。繁盛店の店主、若き経営者、私の知っている成功者達は「明日語」の使い手ばかりだ。

♪明日という字は明るい日と書くのね♪

この歌皆知っているかなあ。(笑)

そして今日の一句。
「案ずるな、生きてる限り明日は来る」

四分の一の貯金法

2007-12-13 19:23:16 | 言の葉
今日の日経新聞、「運用のキーワード」によると、
日比谷公園の設計をした本田静六博士は、著書「私の財産告白」の中で、

貯金=通常収入×1/4+臨時収入×10/10

と、こんな数式で表したという。
月給などの四分の一と賞与などを貯金に回し、発生した利子は通常収入として四分の一を貯金に残すのだと言う。
これは単なる倹約ではなく、投資を始めるための「雪だるまの芯」を作る意味合いが強いと書いてある。

なるほど、先日読んだ「金持ちの床屋さん」を上回る投資への大きな扉だ。
こういうことを教えてもらう機会や場所がない。いや探せばあるのだが、ほとんどの人はそれを知らない。そして投資=投機と勘違いしている人が大変多い。
リスク無きにリターンあらずだが、先日も書いた「時間」「分散」「複利」が強い味方となる。さしずめ「助さん」「格さん」「八兵衛」(強い味方か?)か。
ヨシッ、来年はFP黄門として皆の手本となるべく長期投資を積極的にやってみるか。

さらに本田博士の「おカネ」訓

金もうけは理屈ではなくて、実際である。
計画ではなくて努力である。
予算でなくて結果である。

うーん、ありがたい「言の葉」ゲット。

ブーメラン

2007-11-17 18:12:11 | 言の葉
今日の中日新聞「編集局デスク」より。

編集局長の加藤幹敏さんが、「ブーメラン」という題目で作詞家の阿木燿子さんのことを書いていた。
阿木さんは作詞の依頼があると、「もう一人の私さん」に「考えておいてね」とお願いして任せてしまうという。
締め切りが近づいたら、ノックして「考えてくれた?」と声を掛け、ひたすら待っていると、ふっと言葉が降りてくるのだという。
「本当かいな」と凡人はつい疑ってしまうのだが、「自分を信じること。心から何かを伝えたいと思えば、分身が24時間考え続けてくれる。一滴のひらめきが、淡く光って落ちてくるはずです」と話したという。

一滴のひらめきが、淡く光って落ちてくる

さすが作詞家だ。と唸った。

そして言葉の持っている力を、

「人を呪うことも、祝福することもできることも大きな武器。大切にしなければ」

と綴る。
さらに、

「自分が発した言葉は、自分自身に返ってくる。言葉はブーメランです」

今日も勉強させていただきました。

迷ったときは…

2007-10-30 18:07:02 | 言の葉
昨日、ある人と話をしていて、先日読んだ本のことを思い出し話した。

「二つの選択肢があり、その割合が50:50の時は、親や友人が反対する方を選ぶべきである」

つまり、こちらを選べば親や友人など、自分を応援してくれる人が喜んでくれるだろうと思っていた場合、それが数字の上で乗っていての50:50だと言うのだ。
従って、それを引くと自分の中での割合は反対側、要するに親や友人が賛成していない方に傾倒していることになる。
だから自分の中ではもう答えは出ていて、反対側を選んでいるのだと。
リスクを抱えてでもそっちを選んだほうがいい結果が出ると書いてあった。

その時は「なるほど」と感心して読んだのだが、残念ながら本の題名を忘れてしまっている。(笑)
やっぱり、いい言葉は書き留めておかないといけない。しかし、読んでいる最中はそれが面倒で出来ないのである。
試してはみたものの集中できなくて上手くいかなかった。かといって後で「あれどこに書いてあったっけ」と探しても後の祭り。
何しろどの本だったかも憶えていないのだから世話が無い。

名前は知らないけど

2007-10-29 20:24:15 | 言の葉
ネタに困っているのを察知してか、京都の友人がいい話を紹介してくれた。

京「風邪よくなりましたか?」

私「はい、おかげさんで、もうすっかり」

京「実はね、先日新聞を見てましたら、ええ話を書いてありましてね」

私「どんな、どんな?」(すでに今日のブログは決まった確立80%)

京「レッドソックスのね、エースピッチャーですわ。名前はなんて言うたかなあ?」

私「ほおほお」

京「その投手がね、『私には年間を通じて30人の自分がいる、マウンドに立つ時、それぞれの自分と向き合った投球をする。調子の良い自分、悪い自分、その日の自分をどうコントロールできるかだ』と書いてあったんですわ」

私「なるほどー」(今日のブログに決まった確立95%)

京「それを見てね、私一皮剥けた気がしました。だから今日は今日の自分に合った仕事を事務所で篭ってやっておりました」

私「やっぱ一流は良いこと言いますね」

京「そうです、私は『自分』が365人いますわ(笑)」

自分をコントロールする。
言うは易いが大変難しい事である。しかしプロはそれをやらねばならない。なぜならそれがプロだからだ。

京都の友人は深く感銘を受けたらしく熱く語っていた。ネタの提供と励ましの電話に感謝。

近すぎる標的

2007-10-27 15:56:24 | 言の葉
今日の日経新聞から。

生活面の特集で「なぜ親が標的に」という題目で、子どもによる父親や母親の殺人や放火などの凶悪事件の続発しているなか、政府教育再生会議の委員を務めるワタミの渡辺美樹社長と、元家庭裁判所調査官で臨床心理士の藤川洋子さんが語っていた。

お二人の意見を読んでいると、子どもにとって父親の存在が大きいことに気付かされる。
最近は父親のあとは風呂に入らないとか、洗濯物を一緒にするなとか、とかく虐げられる父親であるが、母親が子ども与える父親の印象も深く関わっていそうだ。
親は子どもに嫌われても「やってはいけないこと」「我慢すべきこと」を伝えるべきだという。
また、「父親に求めること」というアンケートに対して、最も多かった答えは「頼もしさ」続いて「優しさ」「正しさ」などが挙がった。と書いてある。
なかでも「正しさ」には少し驚いたというか、考えさせられる答えである。

渡辺社長は世の父親達に言う。

「あなたは『仕事とはこんなに楽しいもの』、と子どもに見せてますか」

月曜日の朝、疲れきった背中で玄関を出て行く姿を見た子どもに勤労の意欲がわくはずもない。ニートを作り出すだけだ。
と続く。

うーん風邪でボーッとする頭に、鋭く飛び込んできた言葉だった。

空蝉

2007-07-26 21:01:13 | 言の葉
空蝉。

「うつせみ」と読む。
読み方は知っていたのだが意味は知らなかった。
昨日の蝉の話題で思い出し、調べてみると意外な事実を発見する。

ひとつには、その字の通りセミの抜け殻のことも指し、夏の季語としても用いられるのは納得するが、
●この世に生きている人間。古語の「現人(うつしおみ)」が訛ったもの。転じて、生きている人間の世界、現世。うつそみ。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

「現世」とはまた深い言の葉である。知らなかったこういう意味だったのか。
その物質的な世界こそがセミの生き様の如く儚いのか…。

梅雨明けを待つ文月の夜。なんてね。

立ち読みにて

2007-07-06 22:26:15 | 言の葉
昨日セミナーに出席する前に少し時間が空いたので、お決まりの書店の立ち読みで時間をつぶした。
本屋さんにはいい迷惑かもしれないが、まあ気に入った本があれば最近は迷わず購入しているのでご勘弁をいただきたい。
知人のブログの影響もあって、本への投資は惜しみなく行う。それはこのブログを始めた頃からの決め事である。

しかし、今回は購入せず。(買えよ)
しかし、立ち読みで良い言の葉を見つけた。

「他人と比較するな。昨日の自分と比較せよ」

本のタイトルは忘れたが、確かワタミの社長、渡邉美樹さんの著書だったと思う。
また良い言の葉をいただいた。(だから買えよ)

記憶力

2007-06-16 14:47:05 | 言の葉
昨日はブログにも書いたとおり、岐阜へトンボ返りのハードな1日。

教育関連の式典で、東海大会となる昨日のイベントには愛知・岐阜・三重・静岡から沢山の人たちが参加した。
仕事の都合もあり、私も最後まで参加を躊躇ったのだが、関係者にも迷惑も掛けるので結果的に参加することになった。
例にもれず開会式の挨拶は強烈な催眠術をかけられ、早起きのハンデも手伝って我がグループは全滅状態の様だった。

期待をせずにその後の講演に入ったのだが、これが良かった。岐阜まで来た甲斐があった。

「陽転思考」

つまりはプラス思考の考えを、講師の方は見事な話術で時には爆笑を誘い、そして会場全員を前のめりにするが如く話をされた。
また、驚いたのは記憶力だ。会場からアトランダムに単語を30個拾い上げ、それを完璧に1から30、また30から1へと記憶して読み上げた。
これには会場がどよめきに包まれ、その後拍手喝采が湧き上がった。

講師曰く、
「これは特別なことでもなんでもないし、私が特別頭が良いわけでも、記憶力がずば抜けているわけでもないのです。要は記憶する方法や技術であって。そしてトレーニングの成果です」

そしてこんなことを言っておられた。
「意味もなくこれを憶えなさい。これを暗記しなさいと言われても子供達は憶えません。憶えられません。どうやったら興味を持って記憶するのか、教える側はそこを考えないといけません」

素敵な講演だった。

勉強をする場所

2007-06-13 20:51:32 | 言の葉
今日は取引先である会社の講習会。
ビデオを視聴後、小テストがあると聞いていたのだが、想像していたより手こずった。(笑)
先日も資格試験のことをブログで書いたが、年々覚えが悪くなるというか、頭に入らないというか、要は集中力が無くなってきているのだろう。そもそもそんなに集中力があったわけではないが…。

時同じくして妻も別会社の講習へと向かった。
お互い継続して勉強していかなければならないので大変である。
本当に学生の頃の自分に見せてあげたいものだ。

そう言えば以前読んだ、さだまさしさんの「そうしたら掌に自由が残った」にこんな一節があった。

高校二年。恩師の言葉。
 学校は勉強をしに来る場所ではない。
 「勉強する方法」を学ぶ場所だ。
 学校が終われば勉強が終わるなどと思うから人生がつまらなくなる。
 学校で学んだ「勉強する方法」で
 一生をかけて自分の勉強をするもんだ。