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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人(迦葉尊者② 拈華微笑 ねんげみしょう)

2011年04月11日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(迦葉尊者② 拈華微笑 ねんげみしょう)

「拈華」は花をひねること。
「花をひねりて微笑する」ということ。

釈迦が霊鷲山(りょうじゅうせん)で
弟子たちに仏法を説かれた時、
金波羅華(金色の蓮の花)を
ひねって見せると
弟子達はその意味を
理解できず沈黙していた。

ただ一人、迦葉だけが
その意味を悟って微笑んだので
釈迦は彼だけに
仏法の真理を授けたと仰言った。

禅宗ではこれを

「以心伝心・不立文字」

といい、
釈迦は、迦葉が言葉で
表せない仏教の奥義を
理解できる者として、
彼に仏法の奥義を授けたことから
迦葉を禅宗の祖とあがめている。

真理というものは
言葉を離れたものであるから、
言葉を使わず、
心から心へ伝えること。
また、伝えることが
できることとしている。

離言真如=言葉を離れた真実であるが、

依言真如=言葉によらなければ、
     誰にも伝えることは
     できない。

ここに釈尊を初め、
善知識方の大変なご苦労が
あったことは決して
忘れてはならない。

大無量寿経には
弥陀の本願を聞信することが
如何に聞き難いかを

「如来の興世に値ひがたく、
 見たてまつる こと難し。
 諸仏の経道、得がたく聞きがたし。
 菩薩の勝法・諸波羅蜜、
 聞くこ とを得ることまた難し。
 善知識に遇ひ、法を聞き、
 よく行ずること、
 これまた 難しとす。
 もしこの経を聞きて
 信楽受持することは、
 難のなかの難、
 これに過 ぎたる難はなし」
  (大無量寿経下巻)

と御教導なされ、
親鸞聖人は

「善知識にあうことも
 教うることもまた難し
 よく聞くことも難ければ
 信ずることはなお難し」
  (浄土和讃)

と、ご自信の体験を通して
教えて下された。

不可思議なる弥陀の救いを
我々凡夫に伝えるに
お釈迦様をはじめ、
七高僧、親鸞聖人、蓮如上人
のご苦労は並大抵の
ことでなかった。

「叫べども 叫べども
 声を限りと 叫べども
 なぜにとゞかぬ この六字
 力とぼしき われを悲しむ」

善知識方の切実なる
お気持ち一杯を、
表わされたお歌である。

善知識方ははいつも、
出来うる限り、
力一杯話しておられる。

なのに何故に届かぬこの六字。
何故、共に喜んで下さる方が
少ないのであろうか。
それは、自分の伝え方が、
導き方がいけないのであろうか。

私は、自分の力一杯
やっているんですから、
それでもあかんとすれば、
私に、それだけ力が
ないということだ。
と、親鸞聖人は

「三朝浄土の大師等
 哀愍摂受したまいて
 真実信心すすめしめ
 定聚のくらいにいれしめよ
   (正像末和讃)

七高僧に応援に来てくださいと
まで仰言っておられる。

救おうとなされている
弥陀も命がけ。

伝えようとされている
善知識方も命がけ。

しかし、助けて頂く
私達がいい加減では
申し訳がたたないではないか。
深く反省したい。


人間の実相を語る歴史人(迦葉尊者① 真の夫婦とは)

2011年04月10日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(迦葉尊者① 真の夫婦とは)

釈尊十大弟子の中で真面目といったならば
迦葉以上の人はいなかった。
釈迦入滅の際、釈迦教団を任されたのも
その真面目さから他の弟子の信頼を得て
いたからに外ならない。

”栴檀(せんだん)は
 双葉(ふたば)より
 芳し(かんばし)”
 
といわれる。
栴檀は発芽したころから
芳香を放つことから、
優れた人物は、
幼いときから他と違って
優れていることを
示すことわざである。

迦葉はインドのマガダ国の
バラモンの家に生れた。
ピッパラ=菩提樹の下で生まれたので、
幼名をピッパリといった。

八歳でバラモン教に入門し
修行してすべてを得たが、
さらに出家して
求道したいと考えていた。

二十歳の頃に家系が
途絶えるのを恐れた両親は、
彼に結婚をすすめたが、
清浄な生活を送りたいと
一度断るも断りきれず、

彼は工巧に金の美しい女人像を造らせて、
これと同じならばその人と結婚しようと
条件を出したのである。

ピッパリの両親は金に
糸目をつけず、探させた。
女人像を乗せた台車を
置いて休んでいた所、
妙賢の乳母が、その像を見て
彼女と見間違えたことから
縁談がまとまった。

黄金像を結納金に
妙賢は迦葉の元へ嫁いだ。
しかし、彼女はまだ十六歳で、
彼女自身も出家したいと考えていた。

ピッパリは妙賢に告げた。
「私は将来、出家したいと願っている。
だから、結婚はしても
 肉体の交わりは持たないが
 許してほしい。」

すると妙賢も

「願ってもないこと、
 私も出家を志していたのです。
 喜んでお受け致します。」

互いに同じ出家の意志が
ある事に喜んだ、
それを承知の上で結婚した。

ピッパリも妙賢も床も離れて寝たので
12年間、子供もなく過ごした。

両親が亡くなったある日、
ピッパリが畑仕事を見ていて
土中から出てきた虫が
鳥に食べられる光景を目撃し、
世の無常を感じた。

妻妙賢も同じく胡麻を
乾燥していると
多くの虫がおり、
このまま油を絞ると
殺生すると思い、
共に出家を決意した。

多くの人が引き止める中、
剃髪して粗衣に
着替え鉢を持って
出家したが、
ある分かれ道で
このままでは私情に
流されるとして、
迦葉は右へ、
彼女は左へと
分かれたという。

ピッパリは釈迦と出会い、
ついに仏弟子となる。
名前を正式に迦葉と改めた。

しかし、その時代は釈迦は
女性の弟子を認めておられなかった。

やがて、釈尊は今までの250戒を
500戒になされ、女性の弟子を
許された。

この時、女性の弟子第一号となったのが、
釈迦の義母、マカハジャバダイ夫人
釈迦の妻、ヤショダラ姫、
であった。

その二人と共に、
妙賢も出家が認められた。

一つの目的の向かう
夫婦の姿を実践した
本当の夫婦では
なかろうか。



人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者⑦ お盆を聞法精進のスタートに)

2011年04月09日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者⑦ お盆を聞法精進のスタートに)

夏、かまびすしく
鳴き叫んでいるセミには、
やがて死ぬ気配など
微塵も見あたらぬ。

しかし、セミのオスは、
幾年もかゝって
土の中で作りあげた、
あの精巧な楽器を
僅か一週間内外
使って死んでしまう。

七日間と言っても、
羽化して四日目でないと
鳴けないから、
正味三日になる。

たった三日鳴くと、
何処かで独り淋しく、
楽器を抱いたまゝ死んでゆく。
思えば、はかない一生ではある。

「朝に紅顔ありて、
 夕には白骨となれる身なり」

蓮如上人の白骨の章に
ある名文である。

それにしても現代人は、
余りにも医薬や医療を
過信している。
医薬万能の迷信に
おち入っているようだ。

けれども、医薬はあくまでも、
人間の生命をいくらか
延ばしてはくれるが、
死の解決はしてくれない。

人間は妙なもので、
自分だけは永遠に
生きられると思っている。
死は、他人のことだと
思い込んでいる。
妄想顛倒も甚だしいが、
これが我々の、
いつわらぬ実相である。

日々の新聞紙上に
死亡記事の載らない日は
一日もない。

あれを読んで、
自分の死に結びつけて
考える者は暁天の星である。
みんな他人の死に
すりかえている。

健康、愛欲、地位、名誉、財産、権力の
一切が満ち足りたとしたら、
その上に何を望むものがあるだろうか。
人間最後の願望である
永遠に生きたいとの衝動にかられる。

不意の刃傷に遇い

「金は、いくらでも出す、
 助けてくれ」

と叫んで死んだ力道山を
笑うものは笑われるだろう。
それ程、生命への愛着は
抜き難いものがある。

ところが生ある者には
必ず死がある。
死が人生の行く手に
立ちはだかったら
愕然として絶望せざるを得ない。

アリストテレスは、

「哲学は驚嘆から始まる」

といった。
パスカルは

「人間は考える葦である」

と言う。
この厳粛な死を考えたら
「これでよいのか」の驚きが、
必ず起こってくる。
これが聞法の出発点である。

死を忘れての一切の営みは無駄であり
死を見つめ、死を超える者にのみ
真実の生が開かれることを
忘れてはならない。
                                                         
目蓮尊者を由来としているお盆は、
亡き祖先を救う日ではなく、
今、現に倒さに懸って飢え、
渇き、苦しみ続けて、
未来永劫、流転せんとしている、
我身自身を救う聞法精進の日で
あることを忘れてはならない.



人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者⑥ ジュニア川柳)

2011年04月08日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者⑥ ジュニア川柳)

川柳はサラリーマン川柳が群を抜いているが、
ジュニア川柳もほのぼのとさせてくれる。

(将来の希望)
イソップが教えてくれた人の道
生きてゆく長い廊下を一歩ずつ
今ぼくは進路に橋を架けている
鮎もまた傷つきながら川のぼる
真ん中にどうどうと行くぼくがいる


(学校)
がっこうはみんないるからすごいんだ
新学期どきどき感が気持ちよい
参観日手をあげたのに母いない


(友達)
手作りの戦車はみんな仲よしだ
まごころを配ると笑顔満開だ
かなしいとき君の一言太陽だ
瞳みて信じられてる事を知り
団結の出来ぬ悲しい砂の性
元気な子見ると元気がわいてくる
赤ちゃんの心よむのはむずかしい

(感謝)
地球はね 青くて丸い愛なんだ
がらくたを芸術にする魔法の手
本読んで大きなゆめがうまれたよ
がんばれた今日ににっこり感謝する
牛からの白い素敵なプレゼント


幼い時の夢、希望、友情。
どれも目を輝かせ明るい。
それが大人になると何故、曇るのか。
現実がそう甘くはない。
反対なんだ。

だからといってこの現状をこのままに
しておいては、なおいけない。




人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者⑤ サラリーマン川柳に見る家族)

2011年04月07日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者⑤ サラリーマン川柳に見る家族)

昔のことを言ってはオジサンになるが、
一つの部屋で一台のテレビを囲んで、
親子が巨人戦を見て、泣き笑い。
日本プロレスで慶喜したものだ。
楽しかった。
映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」
の頃が懐かしい。

(父の威厳)
土地もある 家もあるのに 居場所なし
このオレに あたたかいのは 便座だけ
耐えてきた そう言う妻に 耐えてきた
父見捨て 子供プレステ 母エステ
父帰る 娘出かける 妻眠る
「パパがいい!」それがいつしか「パパはいい」

(父の居場所)
子の成長 増える学費に 減る会話
二歳だろ トロ ウニ 選ぶな 卵食え
ダイエット 食費以上に 金かけて
「何食べたい?」 聞くな作った ことがない
目で言うな 言たいことは 口で言え
パパ似だと 言われ泣きだす わが娘
やめるのか 息子よその職 俺にくれ
胃じゃなくて チョーがムカツク 女子高生
バット持つ この子は不良か 一億か

(恐妻)
金(かね)かけて 整いました 妻の顔
コンビニで 整いました 母の味
妻キレて “来とうなかった 嫁になど”
仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い
肉隠す 妻は巧みな 装飾系
しゅうち心 なくした妻は ポーニョポニョ
おかえりと 笑顔で言われて 身構える
あなただけ 言った妻が あなたどけ!!
わが妻の 額に欲しい “愛”の文字

男の威厳、立場も大逆転。
男女平等は大切だが、
男の居場所がなくなるのは
どうかな。

どこか逆立ちしている。


人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者④ サラリーマン川柳に見る会社像)

2011年04月06日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者④ サラリーマン川柳に見る会社像)

・救助まだ? 不況のトンネル 出口なし
・いつかやる きっとやるぞと もう定年
・天職を 求めて転職 今無職
・何になる? 子供の答えは 正社員

未曽有の大不況、この原因はどこにある。
会社の中ではお互いのなじりあい。
上司、部下、心の底をさぐると
人間の逆さまの実態が見え隠れ。

(上司から部下へ)
メール打つ 早さで仕事が なぜ出来ぬ
(部下から上司へ)
仕事やれ 人に言わずに お前やれ
“ストレスか?” 聞かれる上司が その原因

(上司から部下へ)
口ぐせは 「知らない」「できない」「聞いてない」
(部下から上司へ)
「早くやれ」 そう言うことは 早く言え
まかせとけ 期日が来たら やっておけ

(上司から部下へ)
新人の 「マジですか?」に マジぎれし
(部下から上司へ)
空気読め それより部下の気持ち読め

(上司から部下へ)
うちの部下 見ざる聞かざる 気がきかず
(部下から上司へ)
「知恵を貸せ」 貸したらおしまい 「君がやれ」
たのむから 「何もしないで!」 と部下が言う

(上司から部下へ)
新入社員 言う事だけは 経営者
(部下から上司へ)
赤字だぞ、あんたが辞めれば すぐ黒字
社長より 現場をよく知るアルバイト
コストダウン さけぶあんたが コスト高


時代の波にのれず。パソコンの前で
キーボードを一本指で押している上司、
それを教えてくれる部下に感謝しなければ。

ゲームで育ってきた部下諸君、
たたき上げで生き抜いてきた上司を
少し尊敬してみたら。

お互い相手の欠点ばかり見て、
長所が見えていない。
これでは会社が上手くいくわけないね。


人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者③ サラリーマン川柳に見る夫婦愛)

2011年04月05日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者③ サラリーマン川柳に見る夫婦愛)

この世の中、みな倒さに
懸っているものばかり。
サラリーマン川柳は
実に見事に捕らえている。

妻からの痛烈な一言、
それが夫にはキツイ。

(妻から夫へ)
出来ちゃった 結婚しちゃった 飽きちゃった
(夫から妻へ)
プロポーズ あの日にかえって ことわりたい

(妻から夫へ)
粗大ゴミ 朝出したのに 夜もどり
(夫から妻へ)
ゴミ出し日 捨てにいかねば捨てられる

(妻から夫へ)
「今帰る」妻から返信「まだいいよ」
(夫から妻へ)
まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる

(妻から夫へ)
わが家では 子供ポケモン パパノケモン
(夫から妻へ)
いい家内 10年経ったら おっ家内

(妻から夫へ)
やせてやる!! コレ食べてから やせてやる!!
(夫から妻へ)
ボディコンを 無理して着たら ボンレスハム

(妻から夫へ)
赤い糸 やがて夫婦は コードレス
(夫から妻へ)
妻の声 昔ときめき 今動悸

こんな妻を家に置いてくれる夫を
感謝しなければならないのに、

「妻だから 運転できる 火の車」と
よくこんな安月給をやりくりできる
我が妻は偉いと
感謝しなければならないのに、

逆さまだな。




人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者② ウラボンとは)

2011年04月04日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者② ウラボンとは)

ウラボンという梵語は
倒懸ということ。

即ち

「倒(さか)さに懸(かか)れる者」

ということである。

だから『盂蘭盆経』とは

「倒さに懸れる者を
 救う方法を教えた経」

ということである。

果して、倒さまに懸って
苦しんでいるのは
目連の亡き母だけだろうか。

死後にだけ餓鬼道が
あるのではない。
腹だけが馬鹿に大きく
皮骨連立の奇形動物だけを餓鬼だと
思っていたら大間違いなのだ。

迷いを迷いと思われず、
真実を真実と信じられず、
迷いを真実と誤解して
苦しみ悩んでいる者は、
仏眼からごらんになると、
皆倒さに懸って苦しんで
いる餓鬼なのである。

江戸末期、四国は
讃岐に庄松同行という妙行人
(阿弥陀仏の本願に救われ活躍された人)
がいた。

彼は字の縦横の分からぬ、
銭の勘定もできぬ
世間では馬鹿であり、
昔は八文と呼ばれていた。
ところがこと仏教になると、
これが馬鹿だろうかと
思うようなことをしている。

寺でご法話があり、帰ろうとしていた時、
庄松が本堂で逆立ちを始めた。

「オイ庄松、年甲斐もなく、
 逆立ちなんかしておると
 倒れて、怪我するぞ」
 
と友達が忠告すると、すかさず庄松

「まだ分からんかのう。
 お前達が地獄へ堕ちる様を
 教えておるのじゃ。
 お経には、この世で弥陀の本願に
 救われずに 地獄へ堕ちてゆく者は
 頭下足上で堕ちてゆくと
 説かれているではないか」

といい加減に仏教を聴いている者たちに
警鐘乱打している。

頭下足上とは、頭を下にし、
足を上にするということで
逆立ちしているということである。

明日とも知れない命を持ちながら、
まだまだ生きれると思っている。

悪人でありながら、
どこがオレが悪人なんだ、
あいつの方が余程悪いじゃないかと、
うぬぼれ一杯。

こんな真実と反対のことしか思えないから
頭下足上で地獄行きなのだ。

目蓮、庄松の言葉が耳に痛い。




人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者① お盆の由来)

2011年04月03日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(目蓮尊者① お盆の由来)

お盆の由来となったのが、
目蓮尊者のこの話しである。
正しくは盂蘭盆といゝ、
『仏説盂蘭盆経』から
起こったもの。

目連尊者は神通力第一と称され、
特に孝心の深い人であった。
その目連尊者が神通自在を得て
三世を観ました時に、
いたましいことには、
尊者の亡き母が餓鬼道に堕ちて
苦しんでいることが判った。

目連は深く悲しんで
直に鉢に飯を盛って
母に捧げたが、
母が喜んでそれを
食べようとすると、
忽ちその飯は火焔と燃え上り、
どうしても食べることが出来ない。

鉢を投げて泣きくずれる母を
尊者は悲しみ、

「どうしたら母を
 救うことが出来ましょうか」

と釈尊にお尋ねになった。

その時、釈尊は

「それは、そなた一人の力では
 どうにもならぬ。
 この七月十五日
 (新暦では八月十五日)に、
 飯、百味、五果等の珍味を
 十方の大徳衆僧に供養しなさい。
 供養の功徳は大きいから、
 亡き母は餓鬼道の苦難から
 まぬがれるであろう」

と仰せられた。

目蓮が、釈尊の仰せに
順ったところ、
母は、たちどころに
餓鬼道から天上界に
浮ぶことが出来た。

この喜びの余り踊ったのが
盆踊りの始まりだと言う人もある。

盂蘭盆は、この目連尊者の
故事から祖先供養の日と
なって今日に相続しているが、
一体これは私達に
何を教えているのか、
味わってみよう。



人間の実相を語る歴史人(舎利弗尊者26 阿弥陀経 命濁)

2011年04月02日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(舎利弗尊者26 阿弥陀経 命濁)
 
⑤命濁(みょうじょく)
衆生の寿命が次第に短くなること。

しかし、これは現代には当てはまらないのでは
と思う人もいるだろう。

昔は人生50年といわれたのが、
今や50歳は洟垂れ小僧である。

平成20年の日本人の平均寿命は

・男性が79.29歳、
・女性は86.05歳で、

前年をそれぞれ0.10歳、0.06歳上回り、
3年連続で過去最高を更新した。

厚生労働省によると、
女性は24年続けて世界で最も長寿で、
男性は4位だった。
がん、心疾患、脳血管疾患の3大疾患による
死亡率が下がった影響が、最も大きかった。

厚労省が把握している
海外の最新データと比較すると、
男性の平均寿命が最も長いのは
アイスランドで79.6歳、
スイスと香港が79.4歳で続いた。
女性は日本に次ぐ香港が85.5歳、
フランスが84.3歳だった。

日本人が3大疾患により死亡する割合は、
男性が約55%、女性が約52%。
3大疾患による死亡がなくなったとすると、
平均寿命は男性が87.39歳、
女性は93.05歳まで延びるという。

では寿命が短くなるとはどういうことか。
 
一つには昔は生まれたばかりの
幼い子供が多く死んだ為、
平均寿命が短くなっているからである。
二つには長生きしても
鼻から管を入れられ、
昔なら死んでいてもおかしくない人が
生きていても、長生きしたとは
いえない。

周りの人から死ぬことを望まれながら、
死ぬに死ねない。
これは生きているとはいえない。

問題なのは
健全な精神を持って、
生きているかどうかである。

人生の目的に向って、
生涯を光に向っている生命が
どれだけあるか。

現代人は殆どないのに近いのでは
なかろうか。
正に命濁であろう。