人間の実相を語る歴史人(阿難尊者④ 頼まれたら嫌といえない)
阿難は気の優しい、
頼まれたら絶対に
嫌とはいえない、
そんな性格をしていた。
こんなエピソードが残っている。
ある日のこと、
阿難が托鉢をしていると、
子供が二人泣いていたので、
「どうしたのか」
と尋ねた。
他の修行者は、
声を掛けなかったが、
阿難は放っておけなかった。
話を聞くと、
両親が亡くなってしまい、
いくところがないという。
阿難は仕方なく、
二人の子供を精舎に連れてきた。
そのころ、仏教教団では、
子供の出家は親の許可が
なければ認めない、
という方針を採っていた。
でないと、子供が親の
知らないうちに勝手に
出家してしまい、
親が怒鳴り込むという問題に
発展してしまうからである。
ところが、この二人の少年は、
親がいない。
さてどうしたものか。
長老たちは、子供を置いても
やることもできないし、
修行にならないから、
どこかの大きな商家で
働かせるのがいい、
という意見だった。
しかし、阿難はお釈迦様に
二人の出家を願い出た。
「商家で働かせても、
いじめられるばかりで
いいことがない、
ここなら平和に安楽に過ごせるし、
やがては修行ができるようになる。
食事は、自分が托鉢したものを
分け与えるから、
どうか出家を許可して欲しい」
と。その熱意にお釈迦様は、
二人の少年の出家を
認めるようになった。
その後、親がない場合は、
本人の希望があれば
子供であっても出家を認めてよい、
という戒律ができた。
阿難は気の優しい、
頼まれたら絶対に
嫌とはいえない、
そんな性格をしていた。
こんなエピソードが残っている。
ある日のこと、
阿難が托鉢をしていると、
子供が二人泣いていたので、
「どうしたのか」
と尋ねた。
他の修行者は、
声を掛けなかったが、
阿難は放っておけなかった。
話を聞くと、
両親が亡くなってしまい、
いくところがないという。
阿難は仕方なく、
二人の子供を精舎に連れてきた。
そのころ、仏教教団では、
子供の出家は親の許可が
なければ認めない、
という方針を採っていた。
でないと、子供が親の
知らないうちに勝手に
出家してしまい、
親が怒鳴り込むという問題に
発展してしまうからである。
ところが、この二人の少年は、
親がいない。
さてどうしたものか。
長老たちは、子供を置いても
やることもできないし、
修行にならないから、
どこかの大きな商家で
働かせるのがいい、
という意見だった。
しかし、阿難はお釈迦様に
二人の出家を願い出た。
「商家で働かせても、
いじめられるばかりで
いいことがない、
ここなら平和に安楽に過ごせるし、
やがては修行ができるようになる。
食事は、自分が托鉢したものを
分け与えるから、
どうか出家を許可して欲しい」
と。その熱意にお釈迦様は、
二人の少年の出家を
認めるようになった。
その後、親がない場合は、
本人の希望があれば
子供であっても出家を認めてよい、
という戒律ができた。