人間の実相を語る歴史人(定禅法橋の霊夢)
定禅法橋の描いた、
有名な親鸞聖人の御真影が、
枕石寺に残されている。
このいわれは、『御伝鈔』の中に、
次のように記されている。
親鸞聖人、七十歳の御時。
入西房(日野左衛門)は、
聖人を慕って都へやってきた。
そして、関東へ帰るまでに、
聖人のお姿を写させていただきたいと、
心ひそかに願っていた。
善知識のお姿を常にそばで拝し、
求道の勝縁としたいという心は、
今も昔も変わらない。
しかし、この時代、
カメラはないので、
絵に表すしかない。
それを察せられた聖人は、
ある日、こうおっしゃった。
「素人の描いたものでは
満足できないだろう。
七条辺りに定禅法橋という
絵師がいる。
彼に写させたらよかろう」
入西房は大喜び、
どこまでも行き届いた
恩師の配慮に感激し、
早速、定禅法橋を招いた。
やがて参上した絵師の定禅、
聖人の尊顔を拝するやいなや、
驚いて、こう言った。
「実は昨晩、珍しい夢を見ました。
その夢に現れた貴い御僧のお顔と、
ただいまお目にかかるお顔とは、
少しも変わりません。
こんな不思議なことが
あるものでしょうか」
と、夢の子細を話すのであった。
「貴い御僧が二人入って
こられた夢を見ました。
一人のお方が、お連れの方を指して、
『この御僧の真影を、
ぜひあなたに描いて
いただきたいが、いかがか』
と申されました。
そこで、
『一体この御僧は、
どなたでしょうか』
と尋ねると、
『このお方こそ、
善光寺の阿弥陀如来である』
と、その僧はおっしゃいました。
あまりのことに私は、
『さては肉身の
阿弥陀如来でましますか』
と合掌し、身の毛いよだつ
思いで恐懼平伏していると、
『お顔だけ写していただけば
結構である』
とも言われました」
「このような問答往復で
夢が覚めました。
ところが今、
拝顔します御僧のお姿と、
夢の中の御僧とは
寸分の違いもありません。
ああ、何という不思議な
ことがあるものでしょうか」
定禅は、喜びのあまり感泣した。
「それでは、夢のとおりに
させていただきましょう」
と、聖人のお顔だけを、
お写し申し上げた。
定禅が、この霊夢を見たのは、
仁治三年(1242年)9月20日の
夜のことであった。(聖人七十歳)
覚如上人は、
「この不思議な夢を、
つくづく考えてみると、
親鸞聖人は阿弥陀如来のご化身で
あったことは明らかである。
したがって、親鸞聖人のみ教えは、
阿弥陀如来、じきじきの
ご説法であることも、
何の疑いもない。
心中より仰信すべきである」
と仰言っている。
定禅法橋が描いた聖人のお姿は
「親鸞聖人御首鑑察之御真影」
と呼ばれている。
入西房は、この御真影を
関東へお持ちし、
聖人のご恩をしのびつつ、
布教に生涯を懸けたのであった。
定禅法橋の描いた、
有名な親鸞聖人の御真影が、
枕石寺に残されている。
このいわれは、『御伝鈔』の中に、
次のように記されている。
親鸞聖人、七十歳の御時。
入西房(日野左衛門)は、
聖人を慕って都へやってきた。
そして、関東へ帰るまでに、
聖人のお姿を写させていただきたいと、
心ひそかに願っていた。
善知識のお姿を常にそばで拝し、
求道の勝縁としたいという心は、
今も昔も変わらない。
しかし、この時代、
カメラはないので、
絵に表すしかない。
それを察せられた聖人は、
ある日、こうおっしゃった。
「素人の描いたものでは
満足できないだろう。
七条辺りに定禅法橋という
絵師がいる。
彼に写させたらよかろう」
入西房は大喜び、
どこまでも行き届いた
恩師の配慮に感激し、
早速、定禅法橋を招いた。
やがて参上した絵師の定禅、
聖人の尊顔を拝するやいなや、
驚いて、こう言った。
「実は昨晩、珍しい夢を見ました。
その夢に現れた貴い御僧のお顔と、
ただいまお目にかかるお顔とは、
少しも変わりません。
こんな不思議なことが
あるものでしょうか」
と、夢の子細を話すのであった。
「貴い御僧が二人入って
こられた夢を見ました。
一人のお方が、お連れの方を指して、
『この御僧の真影を、
ぜひあなたに描いて
いただきたいが、いかがか』
と申されました。
そこで、
『一体この御僧は、
どなたでしょうか』
と尋ねると、
『このお方こそ、
善光寺の阿弥陀如来である』
と、その僧はおっしゃいました。
あまりのことに私は、
『さては肉身の
阿弥陀如来でましますか』
と合掌し、身の毛いよだつ
思いで恐懼平伏していると、
『お顔だけ写していただけば
結構である』
とも言われました」
「このような問答往復で
夢が覚めました。
ところが今、
拝顔します御僧のお姿と、
夢の中の御僧とは
寸分の違いもありません。
ああ、何という不思議な
ことがあるものでしょうか」
定禅は、喜びのあまり感泣した。
「それでは、夢のとおりに
させていただきましょう」
と、聖人のお顔だけを、
お写し申し上げた。
定禅が、この霊夢を見たのは、
仁治三年(1242年)9月20日の
夜のことであった。(聖人七十歳)
覚如上人は、
「この不思議な夢を、
つくづく考えてみると、
親鸞聖人は阿弥陀如来のご化身で
あったことは明らかである。
したがって、親鸞聖人のみ教えは、
阿弥陀如来、じきじきの
ご説法であることも、
何の疑いもない。
心中より仰信すべきである」
と仰言っている。
定禅法橋が描いた聖人のお姿は
「親鸞聖人御首鑑察之御真影」
と呼ばれている。
入西房は、この御真影を
関東へお持ちし、
聖人のご恩をしのびつつ、
布教に生涯を懸けたのであった。