法然上人⑩(65才 選択本願念仏集・捨閉閣抛)
『選択本願念仏集』は、建久9年(1198年)、
関白九条兼実の要請によって、
法然が撰述された2巻16章の論文である。
一般には『選択集』と略称される。
浄土三部経の経文を引用し、
それに対する善導大師の解釈を引き、
さらに法然上人御自身の考えを述べている。
末法においては称名念仏だけが相応の教えであり、
聖道門を捨てて浄土門に帰すべきで、
雑行を捨てて念仏の正行に帰入すべきと説いている。
それまでの観想念仏を排して
阿弥陀仏の本願を称名念仏に集約することで、
仏教を民衆に開放することとなり、
浄土教の歴史の中で画期的な意義を持つ聖教である。
1212年に刊行されると、
高名な仏教学者の(特に善導大師)の書を引用し、
弥陀の本願の救いを説いた書である。
確固たる学問的な根拠を示して、
弥陀の本願によらなければ絶対に救われないから、
聖道仏教はさしおいて、浄土仏教へ入れ、
と徹底して教える「選択集」は、
仏教界に水爆級の衝撃を与えた。
『選択本願念仏集』には聖道門の
「捨閉閣抛」(しゃへいかくほう)が
始終一貫、説かれてあった。
捨=捨てよ。
閉=閉じよ。
閣=さしおけよ。
抛=なげうてよ。
華厳宗の明恵は生前の法然上人を
高徳な人格だと尊敬していたが、
法然上人の死後
「選択集」を読んで激怒し、
すぐさま『摧邪輪』三巻で反論した。
これを皮切りに反論書が次々出されたが、
擁護する書も後を絶たず、激しい応酬となった。
当時の仏教界は『選択集』を中心に動いていた。
『選択本願念仏集』は、建久9年(1198年)、
関白九条兼実の要請によって、
法然が撰述された2巻16章の論文である。
一般には『選択集』と略称される。
浄土三部経の経文を引用し、
それに対する善導大師の解釈を引き、
さらに法然上人御自身の考えを述べている。
末法においては称名念仏だけが相応の教えであり、
聖道門を捨てて浄土門に帰すべきで、
雑行を捨てて念仏の正行に帰入すべきと説いている。
それまでの観想念仏を排して
阿弥陀仏の本願を称名念仏に集約することで、
仏教を民衆に開放することとなり、
浄土教の歴史の中で画期的な意義を持つ聖教である。
1212年に刊行されると、
高名な仏教学者の(特に善導大師)の書を引用し、
弥陀の本願の救いを説いた書である。
確固たる学問的な根拠を示して、
弥陀の本願によらなければ絶対に救われないから、
聖道仏教はさしおいて、浄土仏教へ入れ、
と徹底して教える「選択集」は、
仏教界に水爆級の衝撃を与えた。
『選択本願念仏集』には聖道門の
「捨閉閣抛」(しゃへいかくほう)が
始終一貫、説かれてあった。
捨=捨てよ。
閉=閉じよ。
閣=さしおけよ。
抛=なげうてよ。
華厳宗の明恵は生前の法然上人を
高徳な人格だと尊敬していたが、
法然上人の死後
「選択集」を読んで激怒し、
すぐさま『摧邪輪』三巻で反論した。
これを皮切りに反論書が次々出されたが、
擁護する書も後を絶たず、激しい応酬となった。
当時の仏教界は『選択集』を中心に動いていた。