人間の実相を語る歴史人(刈萱道心と石童丸②)
石童丸は泣く山を下りてみれば
麓でしきりに烏が鳴いている。
不思議に思いつゝ家に帰ってみれば
哀れや母は病の為に亡くなっていた。
止むなく一人の姉をたよりに
筑前に帰ったが、
その姉もこの世を去って
四十九日目であった。
「何たることか」
そこで石童丸は愈々無常を痛感し
遂に意を決し、
自分も父のみあとを慕って
出家しようと
母の遺骨を背に
再び高野の峰を尋ねて
登山した。
再び登山して来た我子の姿に驚き
一切を聞かされた刈萱道心は
「何、母が死に姉も死んだのか」
と思わず知らずホロ-と
一滴の涙をおとした。
この一滴の涙が
彼の十四年間の難行を
もとの木阿弥にしてしまった
という話は余りにも有名なことである。
山にこもって妻子を遠ざけ、
見ざる、聞かざる、言わざるまで
は出来ても、
思わざるだけは
どうしようもなかったのである。
刈萱道心はやむなく
親子の名のりをしないまま弟子とし、
道念と名ずけた。
やがて、成人した石堂丸・道念を
みとどけた刈萱道心は、
断ち切れない親子の情愛を
捨てて修行するために
石堂丸に告げず信州善光寺に赴き、
修行を続けた刈萱道心は
1214年に83歳でなくなった。
刈萱道心が亡くなった後、
石堂丸・道念は
善光寺に赴いている。
花びらが落ちたのを見て
仏道修行に身を投じた刈萱道心。
肉身が死んだのを縁に
仏門に入った石堂丸。
無常を観ずることが
菩提心の一(はじめ)なりと
である。
石童丸は泣く山を下りてみれば
麓でしきりに烏が鳴いている。
不思議に思いつゝ家に帰ってみれば
哀れや母は病の為に亡くなっていた。
止むなく一人の姉をたよりに
筑前に帰ったが、
その姉もこの世を去って
四十九日目であった。
「何たることか」
そこで石童丸は愈々無常を痛感し
遂に意を決し、
自分も父のみあとを慕って
出家しようと
母の遺骨を背に
再び高野の峰を尋ねて
登山した。
再び登山して来た我子の姿に驚き
一切を聞かされた刈萱道心は
「何、母が死に姉も死んだのか」
と思わず知らずホロ-と
一滴の涙をおとした。
この一滴の涙が
彼の十四年間の難行を
もとの木阿弥にしてしまった
という話は余りにも有名なことである。
山にこもって妻子を遠ざけ、
見ざる、聞かざる、言わざるまで
は出来ても、
思わざるだけは
どうしようもなかったのである。
刈萱道心はやむなく
親子の名のりをしないまま弟子とし、
道念と名ずけた。
やがて、成人した石堂丸・道念を
みとどけた刈萱道心は、
断ち切れない親子の情愛を
捨てて修行するために
石堂丸に告げず信州善光寺に赴き、
修行を続けた刈萱道心は
1214年に83歳でなくなった。
刈萱道心が亡くなった後、
石堂丸・道念は
善光寺に赴いている。
花びらが落ちたのを見て
仏道修行に身を投じた刈萱道心。
肉身が死んだのを縁に
仏門に入った石堂丸。
無常を観ずることが
菩提心の一(はじめ)なりと
である。