死の名場面⑱-9(良寛 良寛に辞世あるかと人問はば)
良寛は最後、阿弥陀仏の本願を
求める人となっていた。
「草の庵に
寝ても覚めても申すこと
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
良寛が、その波乱と清貧の生涯を通して、
体得していた信仰は
弥陀の本願にあった。
「わたしにし
身にしありせば今よりは
かにもかくにも弥陀のまにまに」
「われながら
うれしくもあるか 弥陀仏の
います御国に いくとおもえば」
良寛和尚は禅の道を歩まれたとは言え、
仏道全体に通じ、
特に阿弥陀佛の世界に
最後、救いを見出したのだった。
数々の句の中に、
「他力とは
野中に立てし 竹なれや
よりさわらぬを他力とぞいふ」
「おろかなる
身こそなかなか うれしけれ
弥陀の誓ひにあふと思えば」
「極楽に
わが父母は おはすらむ
けふ膝もとへ行くと思へば」
「不可思議の
弥陀の誓ひの なかりせば
何をこの世の思ひ出にせむ」
そして、彼の辞世の句と呼ばれている
一つの句がある。
「良寛に
辞世あるかと 人問はば
南無阿弥陀仏といふと答えよ」
良寛は最後、阿弥陀仏の本願を
求める人となっていた。
「草の庵に
寝ても覚めても申すこと
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
良寛が、その波乱と清貧の生涯を通して、
体得していた信仰は
弥陀の本願にあった。
「わたしにし
身にしありせば今よりは
かにもかくにも弥陀のまにまに」
「われながら
うれしくもあるか 弥陀仏の
います御国に いくとおもえば」
良寛和尚は禅の道を歩まれたとは言え、
仏道全体に通じ、
特に阿弥陀佛の世界に
最後、救いを見出したのだった。
数々の句の中に、
「他力とは
野中に立てし 竹なれや
よりさわらぬを他力とぞいふ」
「おろかなる
身こそなかなか うれしけれ
弥陀の誓ひにあふと思えば」
「極楽に
わが父母は おはすらむ
けふ膝もとへ行くと思へば」
「不可思議の
弥陀の誓ひの なかりせば
何をこの世の思ひ出にせむ」
そして、彼の辞世の句と呼ばれている
一つの句がある。
「良寛に
辞世あるかと 人問はば
南無阿弥陀仏といふと答えよ」